日常

広大について

僕の所感

職場に近いのもあって、広島大学はよく利用させていただいている。修士の2年間、東千田に通わせていただいて、一応卒業生ではあるが、この大学は嫌いである。なぜ嫌いかといえば、どうも東京大学にいるかのような錯覚が起きる。変な自信、プライドがあるので、謙虚さを感じない。広島大学育ちの人は感じないだろうが、外部にいた(いる)人はわかる。この話を外部から広島大学に進学した人に言うと、共感を呼ぶ。まあそんな所感である。しかし、悪いところばかりでもない。最近は外部に向けた開かれた大学へ進んでいる気がするし、何と言っても総合大学の強みがある。国立大学なので、あまり新しい書籍が少ない一方、逆もあって古いものはよくあるので、助かることもしばしば。一長一短である。最近はよくお世話になっているので、気持ち的には薄れてきた。まあ活用できるものは活用しようと。誤解を招くといけないので、個々がどうのこうのではない。学内で学生時代に会った人に印象は起因している。今は知らない。

 

人の「死」

いつかは通る道

職場の近所の方が亡くなった。雑談も多くしたし、ランチもよく行った。夜もたまには飲みに行った。81歳でお亡くなりなったから、年齢的にはそういう歳になんだろう。最後の方はお身体を壊され、入院続きのようだった。現役時代はバリバリで迫力もあったし、仕事もすごかった。それを象徴するかのように、葬儀も今どきにないくらい、多くの方の参集であった。いつかは通る道とは言え、別れは寂しいものである。やはりほんとに近親者が亡くなり始めた。よりよく生きる、そして自分の中での基準で「人生よかった」と思えればと最後は思うが、どうだろう。悲しい別れに合掌!ありがとうございました。

逃げてはいかん

小テストの巻

大学で小テストを実施した。大学は論文を書きに行くところだという理念を捨てて、今年は加点方式での実施。試験に出るところまで披露しや大盤振る舞い。さあ結果は?だいたいはできているが、出来ていないやつもいる。明らかに勉強をしていない。やる気がないのはやりようがない。子供でもあるまいし、大学は別に行かなくても、働いてもいいし、専門学校で資格をとってもいいし、生き方はさまざま。一番いけないのは、欠席である。目の前の困難から逃げることだ。勉強ができる、できないはいい。できなければ、人の2倍、3倍やるしかないだろう?、出来ない自分と向き合って成長させるのではないか。もう子供じゃないぞ!といって鼓舞するが、何人かは毎年、響かない。結局、自分のことは自分で落とし前をつけないといけないのよ、親は助けてくれないぞ!こんな思いでいるのだが、「甘く」向き合う気もない。突き放すこともやさしさと思うし、ここを乗り越えないとだめだと思うから。もう少し小テスト、点数取ってほしかったな・・・。

趣味がない

素敵な人生の彩

ほんと僕には趣味がない。登山でもいい、陶芸でもいい、なんでもいい。そうした非生産的で楽しめる趣味というのがあればいいなと思う。あまりにも自分にないので、蕎麦好きな人と「蕎麦屋紀行」、いわゆるグルメツアー、灯台好きな人、いわゆる灯台巡りツアーとか、人の趣味に付き添うこともする。人としても幅であったり、楽しみで会ったり、その部分の欠落が僕には多い。仕事ばかりというほどでもないし、子供もだんだん大きくなり、手も離れつつある。じゃあ残された自分はどこに?嫁と散歩?ああでもない、こうでもないとまた考える。案ずるより産むがやすし、とかく50歳を分岐点にと思い、40代をすごしている。今すぐやればと思うかもしれないが、ほんとに今は余裕がなさすぎる。

広島での再会

刺激を与えてくれる

岡山でご縁をいただいて、この度、広島へ支店を出されたので、久しぶりに一杯。もともと広島出身であり、①カープで意気投合、②日本酒で意気投合、ってなこともあって、岡山でも盛り上がった記憶がある。しかも出身地域が近かったので、親近感もあったし、さらに年齢も1個上で近い。まあいろんなことがフィットしてる。やっぱり面白いこと、考えさせられることを僕に投げかける。会社規模は僕とは雲泥の差だが、学びが多い。アプリでもなかなかいいなものを出されているし、着眼点も素晴らしい。僕も頑張らないと。いい趣味も僕に与えてくれそうだ。50代へ着々と楽しい人生へ向かいそうだ。また再会が楽しみになった。久しぶりに会えて、いい時間、楽しかったな~。

来年度はどうするのか

明日に向かって

今年度のこともまだ終わっていないが、やはり来年度以降のことも考えてしまう。あれをしよう、これを辞めようとか。やはり時間は有限なので、あれこれ考える。自分が想定していてもそうはならなかったり、割り込み事案もあったりと人生はそんなものかもしれないが、着実に着実に進めていくことでしかないわけで。今のところ、決まっていることは、①久しぶりに学会報告をする、1本出す。②日本語教育を再開する、この2点である。それにわたる補強や補充はする。ビジネスもああする、こうするとかあるが、これはここでは書けまい。もう少し時間も欲しいなと思う今日この頃。

過日のランチ

残された2人

次女とワシ、二人家に残されたので、昼ごはんを一緒に食べに行った。どうせならということで、うちの母親も連れて。ピザが食べたいと言う。どうせなら子供が喜ぶジョリーパスタへ。チェーン店を僕は好まない。理由は面白みを感じないからである。構成を作りこんでいるという点で、システム化してビジネスとしては素晴らしいが、僕には新鮮さを感じない。しかし、子供はこういうのを好むので、自分の私利私欲ではないところも必要である。そんなところでたまにはチェーン店も行くよ。母親は洋食は行かないので、たまにはよかっただろうし、孫と会うのもいいだろう。また要望者の次女は満足していたようだし、あまり次女とどこかへというのも少ないので、いい時間だったなと思う秋の日でした。チャンチャン!

愛息、13回目の誕生日に言葉を添える

明らかに変わった面白い「男」へ

まずは13回目の誕生日おめでとう!中学生になってから初の誕生日を迎えることになり、大人へ少しずつステップアップしている日々。祝いもさることながら、ゲーム、スマホ、ipadのやりすぎ、そろそろ真剣に将来を考えなさい。勉強もしなさい。心の底から思いますよ。僕も親の言うことを聞いていたタマではないので、あんまり言えないが、まあ心配。日々、無駄な時間を過ごしているようにしか思えない。そう思うと悲しい気持ちですよ。まずもって、できるのにやらないというのが気に入らない。ユニークで変わったところは散見するし、決して出来ないとも思わないが、「やらない」というのはもってのほか。そう思いながら向き合い方をどうするか、迷いはあるが、結局は自分に跳ね返る。結局は頑張った自分しか助けてくれない。僕は期待しない人間には言わない。最近の所感である。大物になりなさい、人よりできなければ、人の数倍、努力する。これしかない。祝いより公開説教になってしまった。ゲーム、スマホ、ipadより面白く、夢中になれるものを探しなさい。お誕生日おめでとう、そして産んでくれた母に感謝すること。祝っていない気もするが、そんなことないぞ!

ある秋の日

子ども時間

長女が思い出したかのように、交通公園に行きたいと言う。もう少し小さい時に連れて行ってあげればよかったと思うのだが、ゴーカートに久しぶりに乗りたかったんだろう。小さい頃に親に連れて行ってもらった記憶がある。それは苦いもので、アクセルとブレーキを間違え、ゴーカートに衝突して怒られたのである。それしか記憶にない。ほんとに小さな公園で、ゴーカートの他、遊具も多少あるが、小学校の中学年になると少し幼稚ではあると思える。それでもこうして子供とどこかに行くのも終わりが近づいているのはわかる。だからこの時間を大切に親としては噛みしめたいと思う次第である。

義理の妹と

成長を感じる

職場のある東広島に義理の妹が転職した。ということでランチをしようと食べに行ったが、大人になったなとうれしく思ったものだ。前向き発言をするようになった。そして自分ときちんと向き合い、誠実に一生懸命、かつ感謝の気持ちが聞けた。まだ知り合った頃は高校生であり、幼い子供であった。こうすればいいのに思うこともしばしばあったが、なぜこれをしないとすべきなのか、過去を紐解いてみた。遠回りだったかもしれないが、新しい人生を切り開いて行ける気がした。しっかり頑張るんだぞ!そんな思いでエールを送った。今はいいが、これからいろいろあるが、初心忘るべからず。それでもいいランチ時間でよかったなと思う所感。