日常

1日の充実度

幸せの総量

本の腰巻にひかれて、読んでみた。ムダ、後悔、ストレスが消えて、1日が良い気分で埋めされる本と書いてある。いわゆる時間の使い方、意識の持ち方、毎日を充実されるシンプルな考え方、いい本だなと。1日2時間だけ、幸せになるためのコミットをすることであるが、この2時間というスパンの捉え方はとてもいい。論文を書いているとき、2時間くらい没頭して、ぱっとトイレ行ったり、ふと時間を見るような気もする。この時間割がちょうどいいような気もするし、自分の気持ちの持ちようがああそうかもねと思うこともあって、いい読書時間でした。

 

スーツが破ける

今年2本目

1回目、ズボンが引っかかって破ける。2回目、ズボンのファスナーが壊れる。最悪。すぐにスーツ購入となり、痛い出費である。よりによってツーパンツでないので、こういうことが起こる。上着は全然使えるのにえらいもったいない気もするけど、やりようがない。冬だけで2本目だから困るよね・・・。今回、2回目で安全ピンでファスナーを閉じるが、やはり解放感満載。よろしくないのである。確かにスーツを着ている時間が多いのだから、消耗品ということになるか、諦めの悪い男、もう少し持たせたかった。

数年の見通し

だいぶ見えてきた

未来はどうなるかはわからないが、数年、これをしよう、あれをしようと言うのはおぼろげながら見えてきた。この歳になって、だいぶ時間の使い方も上手になったようにも思うし、こうすればいいのではないかと思うこともあって、見通しはよくなった。すべてが好きなことばかりではないが、これだけはやっておきたいというものもあって、サクサクと列挙していくと、空白が埋まってきそうだ。今年は静かに暮らすように、自分時間を作るようにしたので、ほんと考えることができた。新しい自分の楽しみもできたので、他人がどうのこうのではない、自分軸で生きていけるのではないかと思えるようになった。もう少し肉付けしたり、そぎ落としたり・・・・。楽しい人生を過ごしたいと思う。

次女の誕生日

9歳の誕生日

一番下の子が9歳になった。誕生日おめでとう。早いもんだな、あんなに小さかったのにあれよあれよと大きくなり、もう小学校3年か。しっかりしていて、お母さんのお手伝いもよくしてくれる。子供の誕生日にハッピーバースディを歌うのは灌漑深い。この時は親としてほんと幸せな時間である。しっかりと立派に成長してくれ!

壁は自分自身です

結局は向き合うのは「自分」である

乗り越える壁は自分自身にある。そんな思いを強くした今年である。逃げようと思えば、逃げれる。辞めようと思えば辞めれる。でもその「壁」を越えて、新しい自分、未来を創造する。そんな思いで、ひとまず目の前にある壁を乗り越えようとする。素晴らしい営みであるが、やはり道中はしんどいものだ。頑張ること、歯を食いしばること、やり抜くこと、試されている今年。なんか自分を戒めることが多いなと思うが、それだけ今年は自分に向き合ってきた年である。

センスあるよ

大量のプリンで

岡山で教員の皆さんと一杯。その後にamabarへ。ここはすごくお気に入りで岡山で飲んでいると寄るお店。店主が誕生日らしい。お客さんが大量のプリンを持ってきて、プリンタワーを作ると言う。そしてお祝い。なんとセンスがあるのだろう。聞くとその人は建築士らしい。まあこの発想いいよね。年齢と同じだけの数。数にして37個。なかなかいいものを見させていただいた。岡山も残り少なくなってきたけど、たまには飲みに行こうかなと思うもの。こういう感じのお店、雰囲気。人、ないんだよね・・・なかなか。

時間がない

喪中はがきが出せてない・・・

忙しすぎる。あれこれこなしているけど、追いつかない。効率的にも動いていると思うが、それでもこなせない。今年も喪中であるが、そのハガキを出さないと思っているけど、それが出来ていない。ああ、困った。何せ日常の仕事が重なりすぎている。自分でも追いつかないので、人にも振っているが、それでもうまく整頓できないのは問題がある。少し楽になりたいと思うけど、人生こんなもので重なるときは重なるんだよな・・・。できるだけ忘年会があっても、新年会へ繰越し。飲んでいる場合じゃないんだよなと思うが、一人では生きられないし。ブログ書いている暇があるのなら、喪中はがきだ!年賀状もどこかで区切りつけないともう時間がほんとにない。

機会を作る

やはり会わないとわからない

SNSが発達して、会ってもないのに会った気になる。繋がっている気になる。しかし、実際は会ってもないし、繋がってもいない。むしろもう二度と会うことや直接、電話ですら話さないこともありうる。このことはよく思うことである。なので、合間合間で時間を作るようにして、自分が会おうと思う人は会うようにしている。かつ2人でとかどんなに多くても4人までを念頭にしている。先日、久しぶりにこの人と思う人と一杯やった。まあその人も忙しい人で、誘われたら断れないのも知っているし、人望があるので。引く手あまた。仕事の休みを見計らう。直接会えば、そうなん?みたいな会わないとしゃべらないことも話をした。やはり会ってよかった。まあ1年に1度くらいは飲もうという話もした。お互い忙しいけれどね、楽しみにまたどこかのタイミングで。

昔の書籍から

初学者の入り口

たまたま昔、勉強した本が出てきたので、思わず読み直した。放送大学のテキストである。放送大学は科目数も豊富で、初学分野にはもってこいなので、つまずいたり、入り口で勉強を始めようとするものは、放送大学のテキストのコーナーに行って探したものだ。テレビ、ラジオでも無料で講義も見たり聞いたりできる。なので、フォローもできて、本当に便利だった。MBAのときに最初、ファイナンスがわからず、購入した記憶がある。今読み直しても、たぶん入り口とは言え、深いこと書いてあるので、すべて当時分かっていたとは思えないが、何とか理解しようとはしていた。ファイナンスに関しては、他にも読んだ。わかるようになった。使いこなすというところまでは行っていないかもしれないが、蘇るように復元できる。やはりわからないより、分かった方がいい。世界も広がる。そんなこんなで約20年前のものを読むと、「あの日、あの時」が懐かしくもある。何かと必死だったのだろうと思うなあ・・・。

48回目の誕生日

人生の補助線を引く

48歳を無事迎えることが出来た。こうやって大カバチを垂れて生きてこられたのも、まずは産んでくれた母親に感謝したい。そして、たくさんのお祝いメッセージ、ありがとうございます。重ねていつも本当にありがとうございます。

48歳。辰、年男。こんな一年だったが、本格的に50代を意識して生きるようになりました。今年、久しぶりに小学生時代からの友人とお酒を飲む機会があった。その一人が「ワシらの歳ってもう死ぬやつが出てくるよね」という発言にドキっとしたもので、仲がいいから当分会わなくていいやと思っていたが、後悔のないように会って時間を共有しようと思うようになったのが今年。そして、SNS で会った気になっているけど、ほとんど会わないというのも、SNSの功罪でもあるなと思い、そろそろSNS を終わりの時期にと思うようになったのも今年。さらに、自分が生きる時間がほんとに少なくなってきて、果たして「あとの残り」の人生は何ができるのかと本格的に考えだしたのも今年。静的に過ごした産物である。

「あとの残り」の人生。今のところの結論は、つまるところ、生きてきた自分の人生に補助線を引くようなことではないのかという結論に行きつく。算数や数学で補助線を引いてみると、これとこれって合同だよねとか、相似だよねとか、台形に補助線を引くと、三角と四角の形だよねとか、あるものからないものを見出す視点や発見ではなかろうか。その補助線を引く作業から新たなモノやコトが生まれてこないのだろうか。自分のできることは、そんなところにしかないのかもしれないと深く思う。劇的な「新しい」ことは、その一部に内包されているような気がする。

さて、49年目は動きのある年になりそうなので、その動きを強く意識して、人生の「補助線」を引いてみたい。「知」を「知」で洗い、「個」を磨く。その心のセンタク(選択・洗濯)はいかにあるのか。今年は激しく「動」である。春くらいから動いていく。

 

これを49年目のスタートの声明として、今日から生きなおすこととしたい。

 

48歳、誕生日 暑い夏の教壇にて

岸保 宏