スキマ

過去の写真より

フェイスブックをやるたった一つの事由

前回、書いたように何かせわしい。せわしい中、懐かしい写真が出てきた。フェイスブックの過去の思い出というやつだ。長男である。もう今年で8歳になる。第一子であり、子育ても素人。手探りの真っ最中、たぶん1歳にまだなっていなんじゃないか。長男だけであったが、よくこの策をかじっていた。他の子はかじらなかったが、何を主張しているのか、当分前の話なので覚えていないが、とても懐かしい写真で、息子らしい顔だ。息子にも見せてみたが、笑っていた。写真は一枚で物語れる素晴らしさがある。ところで、この写真はFBであるが、僕のFBの継続事由はこの過去の思い出の機能がとても好きで、これだけが動機となっている。だれそれが何をしたとか、うまいもの食っているとか、全く関心がない。その時を振り返り、思うことがあるもので、それがあるといい時もある。同窓会とか、ああいった類は以前も書いたが、興味がないが、こうしたものはほっこりする。僕にとって宝物である。そんなに遠くないと思う時間だが、もうだいぶ経過した。あっという間に時が過ぎる。そう思うと、今の時間を大切にしなければといつも思うのだが・・・・。

忙しいというよりせわしい

暑いだけでいらいら

雑多、いろんなことがあって、落ち着かない、いらいらした毎日である。最近、忙しい?と聞かれたら、タイトルの通り、忙しいというよりせわしいと答えている。まず自分のことも抱えているものが多いのに、他のことで動かなければいけないことが山積で、それに追われていることもある。だから充実もしていない。解放されたいという気持ちもありながら、これ以上、やることは増やしたくない。まあ弱ったものだ。一応、お盆休みを迎える。ちょっとクールダウンしたい。ブログも休憩していたので、少しずつ空間を埋めていきたいと思う。暑いので、まあぼちぼちとやります。

一つの物事の見方

テクストは死んだ

参議院選挙も終わり、少し静かになった。この場面から思ったことから。自民党とれいわ新選組が述べる今の日本が全く違う。同じ日本に住んでいて、別のところにいるような感覚になるほど、違うなと感じた。事実は一つであるが、解釈はさまざま多様であると言いたいのだが、選挙を通じて、今回、そのことを強く思った。どっちが正しい間違いの議論ではなく、こうも違ってくると、何が真実で、何が事実なのかさえ疑ってしまう。しかし、たまたま選挙を例にしたが、世の中、こうしたことはたくさんある。日常の生活の中でも多くないだろうか。本質的なところは冷静に物事を見て判断することに帰結する。そして語り手によって、主語によって、その対象となるモノ・コトは、それによって解釈という色を付けて、発信される。今回、僕自身もいろいろ考えさせられた。客観的な視点で判断をしていくこと。改めて感じる。今回の選挙の例からも、自民党とれいわ新選組の内容を比較すると面白い。

 

 

生駒へ

息子を連れて

用事があって、大阪へ日帰りした。午前中の用事だったので、夏休み。息子も連れて行った。一人なら遠出しても何とか面倒をみれるが、三人は厳しい。だから残した二人の娘には申し訳なさもあるのだが、息子も小学校になっているし、何といってもトイレ。男の子と女の子は手のかかり方が違い、子供を連れていくときの悩みの一つである。午前の部は大変、充実した時間となったが、午後は行きたいところへ連れて行こうと。息子は言う。生駒で降りると、ケーブルカーがあって、その山頂に遊園地がある。その通り動いてみた。たしかにある。はじめて言った場所かつ僕も昨日初めて知ったのに、息子は雑誌かテレビかわからないが、鉄道関係の情報できちんと把握している。何々線かとも。恐るべきである。背広をきて遊園地なんて行くとも思わなかった。まあ仕方ない。約束だから。いつもいつもこういうことはできないが、できるときには子供にはしっかり親やっていたい。今回、別のところを指定されると思ったので、びっくりはした。しかも大阪に用事で、行ったのは奈良県か・・。こうした経験もいい思い出になろう。2019年夏休みはまだ始まったばかりだ。

更年期なのかもしれぬ

バランス悪く・・

どちらかといわなくても、自分の性格はバランスは悪い方だと思う。最近、殊更怒りっぽいし、イライラが続いている。それに対して、我慢があまりできない。攻撃的になってしまうこともある。自己分析をしつつ、抑えるようにしているが、それが突出してしまうこともある。人にあまり会いたくない、かかわりたくないという傾向も最近あり、とにかく何かとわずらわしい。あれこれと考えているけど、心の安定がないのだろう。家庭に不満があるわけでもない、日常はどうかというと、物足りない。これが蔓延している気がする。いささか心を落ち着かせなければならないと思うのだが、なかなか冷静になれない。僕のタスクは仕掛りが多く、片付いていない問題が多いことにある。それに重ねて、問題は増える。需要と供給のバランスが悪いのか。とにかく空回りの状況。気分転換をしてもすぐにかき消される。う~ん、流れが悪い。こういう時もあるかと割り切れないのが、今の僕。早くこの霧から脱出したいものだ。

ファミリービジネスのゆくえ

親子で仕事を共にすること

どこの家も同じだ。親子でともに仕事をしている2世の友人と一緒した。彼がここまで思っているとは思わなかったが、自分自身とたいして変わりない。目立ちたい親、あるいは変えられない思想、変えたい子供。時代とともに。自己顕示欲が強く、自分が会社を大きくし、維持してきた自負の部分はわかるが、時代も変わり、「継承」していかないといけない現実。いつまで親の政権を維持し、継続するのか、時は刻々と過ぎ、子供もいい年齢になる。親子のせめぎあいを感じた。うちでも、同じような感じで彼のところよりまだひどかったし、やはりいろんな人に会ったりということの経験が薄いんだろうな、そして理念なく、成り行き任せのところが多分にあったので、ついてくる人もそうはいなかった。いろいろ考えると、親子でともに仕事をするのは避けたほうがいい。僕の経験則からもそう。同じ境遇の人の話を聞いてもそう。間違いないと思う。企業は1代限りがいい。僕は親の交通事故というところから、入って逃げるに逃げれなくなってしまっている。たくさんのチャンスも失った。いい部分もあったが、通算するとやはり悪い部分の方が多いのではなかろうか。自分の子供とは、仕事は共にしない。その方がお互い幸せ。僕が社会の居場所を求めて、しがみついているかもしれない。そんな無様な姿で、子供はついてくるのか。夢おやじで最後まで生きる。でも巻き込まない、取り込まない。親子の確執は深い。大塚家具のように親子の確執をみると、大なり小なりの現実をいつも目の当たりにしてしまう。仲のいい親子はいるんだろうか?成功例も見てみたい。

 

どう考えても休養だ

10連敗

昔のカープに戻ってしまった。打ってダメ、守ってダメ、投げてダメと。確かに3連覇して、調子に乗っていたところも大いにある。しかし、それでも驚異的に弱い。3連覇の功績は認めるが、今回は監督は休養すべきだ。組織が疲弊する。再登板もまた機会に恵まれると思う、ここは勇気ある撤退を望む。ここまで落ちたら、2位狙いにシフトしなければならない。監督代行は、2軍監督の水本監督にすべきで、これがベターだろう。何が悪いかというと、ミスが多すぎる。野球はミスのスポーツだが、輪をかけて凡ミスが多い。これでは勝てない。また一部選手の優遇がありすぎる。好き嫌いなのかとも思うが、これではチーム内も活気づくはずがない。休養をして、心機一転と僕は思うが、どうであろう?広島の皆さんは我慢するのか、僕は緒方が嫌いではないが、今回は致し方ないと思っている。捲土重来を期してほしい。

体調を崩す

子供のもらい物

油断したというか、仕方ないというか、子供から風邪をもらった。日ごろ、あまり冷房を十分につけさせてもらえないだけでも体調がおかしいのに、輪をかけた状況になってしまった。喉は乾くし、頭も重い。たぶん軽く熱もある。月曜日からこれだけ気が重い。思うように睡眠もままならずで、どうにもこうにもならない。最悪である(現在のカープほど重症ではないが・・)。加齢からくるのか、毎年、病気の回数が多くなった気がする。なんだかんだといって、疲れているんだと思う。ついつい若いころと同じようにやってしまうところもあるんだろうと思う。さすがに今日は病院行くかな。夜は宴席だが・・・・。

紛れもなく難しい年齢だ

40代前半-思うこと-

最近、自分の周辺の年齢での転機に遭遇する機会が多い。それぞれいろんな環境下にあり、それがいいとか悪いとかではなく、人生の分岐点に差し掛かったというケースが多い。たとえば、離婚、たとえば、転職。前者で言えば、子供がいるケースも多く、はい、別れますとはなかなか言い難いところもある。後者は、まだしやすいかもしれないが、今の日本の社会からみると、厳しい条件であると思える。会社に使われない人生を選ぶ-独立を考えてみる。創業といえば、聞こえはいいが、やはり収入を得るというのはなかなか難しいことだ。思い切らなければ何も始まらないが、思い切るだけの環境下にあるのかどうか、いろんなことを考える。他人事のように聞くのではなく、自分に照らし合わせても、40代前半の年齢は難しい年頃だなと思う。家庭もそうだが、社会でも一人前として自立して一方、煙たい年齢でもある。あれこれ考えると頭がおかしくなるが、話を聞いていると、どうしても他人事で片付かない。離婚や転職という点では考えてはないが、プラスアルファ何かをというのは常に考えている。時代の変化もめまぐるしく早いが、なるほどと思うこともある。何が起こるかわからない今、世の中への動体視力を鍛えながら、自分を戒めたい。

日ごろのこと

片付かない日々

毎日が忙しいというより、何か心がせわしい。落ち着きがない。多分充実していないんだろうと思うが、イライラの一つに、仕掛案件が多すぎることにある。要は片付かないのであって、その片付けが整理できないまま、新たなタスクがのっかってきている。その既住の案件も、力を入れて時間を割いてやっていることも、いつの間にか断ち切れになることもあり、結局何だったのか、ピエロだったのかと思うこともしばしばである。誰かに依存する、あるいは自身で価値を生み出していないものは特にそうなりがちで、時間の無駄遣いにもなっているように思う。年々、年を取るにつれて、やれることができなくなることもある。そうすると、どうにもならないのであって、やはり動きはしていくことに他ならない。そうやってあれこれ考えていると、非常に頭が疲れてきてしまうが、どこかで「これ」を乗り越えれば、新しい世界が切り開けるのではないかと思うのだ。令和の時代に入り、新しい「自分」にも出会いたい。そんな思いで、あれこれ思索の森へ舞い込んでいるといったことだろうか?もう少し絞る必要もある。