スキマ

回数券のおじさん

大衆の風呂にて

昔、風呂に行ったときにおじさんが話しかけてきた。内容は回数券の攻略法である。この時期に買うと、安くなって、こう使うと効率的だということを僕にしゃべってくる。どうでもいいと思っていたが、何故か内容を覚えている。この話をし終わると、満足そうにお先にと言って、僕から離れるのである。たわいのない話であるが、こうした話を見知らぬ人としゃべるといいのではないかと最近、思う。回数券がどうのこうのという話は僕が興味があって聞いたわけでもない。しかし、そのおじさんは自分の得た情報がすごいと主張したいのか、それを他人に教えてあげたいという気持ちなのか、いろいろあろうが、まあこんなほのぼのという時間と空間がいるのではと思うものだ。おじさんの顔も覚えていないし、会ってもわからない。ただこんな話をするおじさんはそのおじさんしかいないだろうから、その話をすればわかるだろうが・・・・。

47回目の誕生日

「動」から「静」へ

かねがね僕が言ってきたように、誕生日というのは母親へ感謝する日と思っているので、自分を祝ってもらうのもと思うが、お祝いメッセージをいただくこと、素直に感謝したい。いつも本当にありがとうございます。47歳。50歳が近くなってきており、40代の棚卸時期に差し掛かっている。そのこともあるが、近頃はできるだけ一人でいる時間を作るように考えている。漂流した浪人のようなところもあるが、どうも孤独を楽しむというか、物事を考えるのに、雑踏の中にいる誰も知らない<ただ>の人という位置づけを最近、好む。それだけこの数年は大切な時間のように思う。昔のように、たくさんの人に会って、見識を広めるという時期はもう過ぎた。適度に人と交流すれば十分である。力を蓄える時間、棚卸の準備期間、残りの人生の設計。「動」的ではなく、「静」的に生きることを求められているように思う。今のままでは人生はうまくいっていない。風を変えるにも、一度立ち止まることも必要に思う。もうこの年になると、大きな夢ばかりを語っては生きれないが、もう少し「夢親父」でいようと思う。そのためにも今年は特に「個」を大切する。そういう「時間割」で動くと、少し「風」は変わってくるのではないか。47歳の「風」は、静かに吹かせたいが、突風なのか、逆風なのか、軽風なのか、この答えも「風」に吹かれているのか・・・。

 

47歳、誕生日。東広島・賀茂の大地にて

岸保  宏

ぐっと沈む

年齢かわからないが・・・・

近年、人と会うとすごく疲れる。会っている時間はいいのだが、離れると異様な疲れが残る。その人が嫌なわけではないが、先にわずらわしさがきて、だんだん連絡も無精になる。かかわることがいい時もあるが、そうでもないこともあり、極力、一人でいるように時間構成をしているのが現状である。確かに考えることが増えた気がする。自分のギガ数も減っているし、あれこれ出来なくなっている。複眼的に物事が見れるといいなと思うが、もうその能力がないのかと思うし・・・。何となく浪人していたころのような心境で過ごしている。

11月22日

いい夫婦なのか

今日、テレビをみていると、11月22日はいい夫婦の日であるということをやっていた。久しぶりに「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」という言葉を聞いたが、僕は年上の女性といたいと思っていたが、年下ばかり縁があって、年上とは縁がなかった。縁がないということはそういう理解をすべきであろうが、もし年上といた場合、どうだっただろうと思う。パートーナーの選び方は難しいもので、やはり運命として受け入れるべきではあるが、みんなないものねだりである。かといって、今が悪いのかといえばそうでもない。ということでいい夫婦でいれるように引き続きということでとらまえると、必然的に幸せになるのかもしれないと祈念しつつ・・・・

 

SNSの拡散とは

SNSはどこまで効果があるのか

縁あって、元カープの高橋慶彦さんとコラボしている。やはり僕らの世代はスーパースターで、ほんとかっこよかったし、ああなりたいと思っていたものだ。実際、お会いするようになって、男にも女にももてるのが分かる気がする。人間味のある人である。そのときの状況を楽しんでいるような気もする。若いころは血気盛んだったんだろうけど、穏やかな感じは今はするし、とても僕もいいご縁をいただいたと思っている。どうもツイッターで慶彦さんが投稿を見つけてくれたようだ。リポストしてくれている。なかなかのヒットをしているが、購買にはつながるのか?楽しみではある。

同窓会再考

母親を連れて

母親が同窓会に行きたいというので、庄原へ。雪が降るので、スタッドレスも急遽履き替え。大変なスケジュールとなりました。母曰く、70歳も過ぎたので、最後かもしれないと皆さん集まることになったそうだ。僕は同窓会というものに全く行きたいとさえ思わない。過去にも書いたことがあるが、①基本的に成功者が主宰する、②妬み、嫉妬もあるが、それ以上にその人が良くなっていることも悪くなっていることも見たくない、③その過去の一時点を線にする必要はない、そんな所管である。だから僕はうらやましくもないし、嫌悪感さえある。誘っても欲しくない。ただ周りの行動において、どう行動しようがそれはいうつもりがない。あくまで自分の基準でいいのだ。母は参加してよかったと言っていた。それはそれで僕はいいと思っている。久しぶりに庄原の風景を見れてよかったな。少ししか過ごしていないけど、やはりふるさとはいいものだ。

ボジョレ解禁

頂き物

ボジョレを今年も頂いた。すぐに飲まず、正月に嫁さんの実家で頂いている。あまり好んではなまないが、たまにはいいもの。昔、ボジョレを何年か置いてみたら、味がよくなり美味い酒になった。ボジョレ解禁→すぐに飲むという風習よりも少し寝かした方がいいのかもしれない。それにしても、酒で思い出すが、忘年会等、ちらほら声がけを頂くが、予定的に結構しんどくなってきた。できるだけお酒の機会は減らそうと考えている。これは体力、資力もそうだが、時間の浪費が一番大きく、影響が大きい。そんな意味で時間配分を考えないとなと思うところ。ボジョレ2023は楽しみに飲んでみたいと思う。

たまには飲みに出よう!

話をするということ

一度、一杯という話でとある金融機関の方と飲みに出た。最近はあまり金融機関と交流がなくなった。なくなったというよりコロナもあって、組織としてアフターの制限もあったし、行動様式も変わったことから必然的に行かなくなったのが正しい回答になろう。しかし時は経過し、いろんなことが起こっているわけでこうした交流もやはり必要なんだなと改めて思ったものだ。少しずつ一人の時間を増やそうとする自分と、どこかで人と交流しないといかんなと思う自分と分裂感はあるが、やはり学びも多い。酒の席で円滑に人としゃべることも大切なんだなと改めて思った夜であった。

喫茶店時間

一息の時間

喫茶店は最近はよく寄る。一息つくのもあるが、論文を書いたり、勉強したり、本を読んだり、スケジュールを整理したり、打ち合わせしたり…。、いずれにしても一度、動いている時間を止めて、整頓する時間である。在京時は喫茶店が好きでよく通っていた。最近は忙しいながらもどこかでこういう時間を作るようにしながら、できるだけ一人でいるようにと思っている。昨日は打ち合わせであったが、会話も楽しむ時もこれも必要である。歳を重ねてどこかで喫茶店はやってみたいと思う仕事である。そのときは「食べる」ための仕事ではなく、「生きがい」としての仕事になればと思うのだが、資金的にもそう余裕のある生活が待っているとは思わないが・・・。いずれにしても、スイッチの切替は喫茶店のみならずである。

 

小学生最後の誕生日

早いもので12歳

昨日、生まれてきたような感覚もあるが、長男、小学校最後の誕生日を迎えた。12歳もなると一丁前である。オオカバチもたれるし、立派なものである。これから大人になる境であるから微妙な歳になってくる。ここからどのように自分を構成していくのかは重要であろう。かといって僕自身がうまく立ち回れたわけではない。なので、ここはうまく乗り越えてほしいなと思う次第である。僕が正解ではない。自分自身で開拓していってほしいと願う次第。そして、誕生日はお母さんに感謝する日だぞ!そこは忘れないでくれ。お誕生日おめでとう!