9歳の誕生日
一番下の子が9歳になった。誕生日おめでとう。早いもんだな、あんなに小さかったのにあれよあれよと大きくなり、もう小学校3年か。しっかりしていて、お母さんのお手伝いもよくしてくれる。子供の誕生日にハッピーバースディを歌うのは灌漑深い。この時は親としてほんと幸せな時間である。しっかりと立派に成長してくれ!
一番下の子が9歳になった。誕生日おめでとう。早いもんだな、あんなに小さかったのにあれよあれよと大きくなり、もう小学校3年か。しっかりしていて、お母さんのお手伝いもよくしてくれる。子供の誕生日にハッピーバースディを歌うのは灌漑深い。この時は親としてほんと幸せな時間である。しっかりと立派に成長してくれ!
乗り越える壁は自分自身にある。そんな思いを強くした今年である。逃げようと思えば、逃げれる。辞めようと思えば辞めれる。でもその「壁」を越えて、新しい自分、未来を創造する。そんな思いで、ひとまず目の前にある壁を乗り越えようとする。素晴らしい営みであるが、やはり道中はしんどいものだ。頑張ること、歯を食いしばること、やり抜くこと、試されている今年。なんか自分を戒めることが多いなと思うが、それだけ今年は自分に向き合ってきた年である。
岡山で教員の皆さんと一杯。その後にamabarへ。ここはすごくお気に入りで岡山で飲んでいると寄るお店。店主が誕生日らしい。お客さんが大量のプリンを持ってきて、プリンタワーを作ると言う。そしてお祝い。なんとセンスがあるのだろう。聞くとその人は建築士らしい。まあこの発想いいよね。年齢と同じだけの数。数にして37個。なかなかいいものを見させていただいた。岡山も残り少なくなってきたけど、たまには飲みに行こうかなと思うもの。こういう感じのお店、雰囲気。人、ないんだよね・・・なかなか。
忙しすぎる。あれこれこなしているけど、追いつかない。効率的にも動いていると思うが、それでもこなせない。今年も喪中であるが、そのハガキを出さないと思っているけど、それが出来ていない。ああ、困った。何せ日常の仕事が重なりすぎている。自分でも追いつかないので、人にも振っているが、それでもうまく整頓できないのは問題がある。少し楽になりたいと思うけど、人生こんなもので重なるときは重なるんだよな・・・。できるだけ忘年会があっても、新年会へ繰越し。飲んでいる場合じゃないんだよなと思うが、一人では生きられないし。ブログ書いている暇があるのなら、喪中はがきだ!年賀状もどこかで区切りつけないともう時間がほんとにない。
SNSが発達して、会ってもないのに会った気になる。繋がっている気になる。しかし、実際は会ってもないし、繋がってもいない。むしろもう二度と会うことや直接、電話ですら話さないこともありうる。このことはよく思うことである。なので、合間合間で時間を作るようにして、自分が会おうと思う人は会うようにしている。かつ2人でとかどんなに多くても4人までを念頭にしている。先日、久しぶりにこの人と思う人と一杯やった。まあその人も忙しい人で、誘われたら断れないのも知っているし、人望があるので。引く手あまた。仕事の休みを見計らう。直接会えば、そうなん?みたいな会わないとしゃべらないことも話をした。やはり会ってよかった。まあ1年に1度くらいは飲もうという話もした。お互い忙しいけれどね、楽しみにまたどこかのタイミングで。
たまたま昔、勉強した本が出てきたので、思わず読み直した。放送大学のテキストである。放送大学は科目数も豊富で、初学分野にはもってこいなので、つまずいたり、入り口で勉強を始めようとするものは、放送大学のテキストのコーナーに行って探したものだ。テレビ、ラジオでも無料で講義も見たり聞いたりできる。なので、フォローもできて、本当に便利だった。MBAのときに最初、ファイナンスがわからず、購入した記憶がある。今読み直しても、たぶん入り口とは言え、深いこと書いてあるので、すべて当時分かっていたとは思えないが、何とか理解しようとはしていた。ファイナンスに関しては、他にも読んだ。わかるようになった。使いこなすというところまでは行っていないかもしれないが、蘇るように復元できる。やはりわからないより、分かった方がいい。世界も広がる。そんなこんなで約20年前のものを読むと、「あの日、あの時」が懐かしくもある。何かと必死だったのだろうと思うなあ・・・。
48歳を無事迎えることが出来た。こうやって大カバチを垂れて生きてこられたのも、まずは産んでくれた母親に感謝したい。そして、たくさんのお祝いメッセージ、ありがとうございます。重ねていつも本当にありがとうございます。
48歳。辰、年男。こんな一年だったが、本格的に50代を意識して生きるようになりました。今年、久しぶりに小学生時代からの友人とお酒を飲む機会があった。その一人が「ワシらの歳ってもう死ぬやつが出てくるよね」という発言にドキっとしたもので、仲がいいから当分会わなくていいやと思っていたが、後悔のないように会って時間を共有しようと思うようになったのが今年。そして、SNS で会った気になっているけど、ほとんど会わないというのも、SNSの功罪でもあるなと思い、そろそろSNS を終わりの時期にと思うようになったのも今年。さらに、自分が生きる時間がほんとに少なくなってきて、果たして「あとの残り」の人生は何ができるのかと本格的に考えだしたのも今年。静的に過ごした産物である。
「あとの残り」の人生。今のところの結論は、つまるところ、生きてきた自分の人生に補助線を引くようなことではないのかという結論に行きつく。算数や数学で補助線を引いてみると、これとこれって合同だよねとか、相似だよねとか、台形に補助線を引くと、三角と四角の形だよねとか、あるものからないものを見出す視点や発見ではなかろうか。その補助線を引く作業から新たなモノやコトが生まれてこないのだろうか。自分のできることは、そんなところにしかないのかもしれないと深く思う。劇的な「新しい」ことは、その一部に内包されているような気がする。
さて、49年目は動きのある年になりそうなので、その動きを強く意識して、人生の「補助線」を引いてみたい。「知」を「知」で洗い、「個」を磨く。その心のセンタク(選択・洗濯)はいかにあるのか。今年は激しく「動」である。春くらいから動いていく。
これを49年目のスタートの声明として、今日から生きなおすこととしたい。
48歳、誕生日 暑い夏の教壇にて
岸保 宏
人間に与えられた一つの平等があるのは、時間である。1日24時間。この中でどのような時間の使い方をするのかは個人に委ねられているが、まあそうはいっても感覚的に年齢を重ねれば重ねるほど、時の経過の早い。もう2024年度が終わるのかと。先日までまだこんなに暑いのかと言っていたが、時はクリスマスなのか、イルミネーションが街を踊る。残り1か月しかないが、2024年をもう一度、振り返りながらかみしめる時期のような気がする。明日が誕生日か・・・、早いもんです、いろいろ。
近頃は四季折々という感じはない。急に秋から冬へと変わる。そのためどうもその時間と空間を味わえない。でもそうはいっても、紅葉で見たいなち思い、少し遠出してみた。彩深く、心和むものである。今年は銀杏並木のきれいなところも見ていない(少しだけはみたけど)。三田のキャンパスにだいたいその頃いるのだが、今年はいなかったな・・・。心はメランコリック、孤独、読書、味覚。そんないい季節がもう終わるなんて・・・・。冬将軍もやってくる。いろいろ思いながらのドライブであった。
もう40年以上の付き合いになる友達と再会。ほんと数少ない友達であるが、姫路で一杯。まあいろんな話した。「気兼ねなくしゃべる」、「言いたい事言える」と言ってきたが、それはお互い様。あと仮に30年生きられるとしたら、70年の付き合い。これ以上の時を越えて付き合える奴はいないわけである。一緒に野球をした。1つのボールを追った。それぞれ違う時間と場所を過ごしても、確かな「場」がある。いい時間だったなあ。頻繁に会わなくてもいいが、適度には会って、時間を共有して話をしたいと思う。これは大切な営為ではなかろうか。友達の大切さを改めて知った夜。
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