こういう「場」もあったのか
会計学講義後、同僚講師と。一度、ここへという話を頂いたことから。8つの農業高校で栽培された農作物を使った飲食店。高校生にもやりがいがあるのではないかと思いますし、こういうお店は行ったことがない。人気店のようで次々お客さんは来店しますが、予約でいっぱい、大盛況。いろいろ勉強させていただきました。農業高校の学生と喋ってみたいなあ…。
会計学講義後、同僚講師と。一度、ここへという話を頂いたことから。8つの農業高校で栽培された農作物を使った飲食店。高校生にもやりがいがあるのではないかと思いますし、こういうお店は行ったことがない。人気店のようで次々お客さんは来店しますが、予約でいっぱい、大盛況。いろいろ勉強させていただきました。農業高校の学生と喋ってみたいなあ…。
こだわりが強すぎる、物事に執着をするといったことは時にはいいが、度が過ぎるとマイナスになるような気がしてならない。変化に対応できるのかという観点である。どうしても自分の得意技にある強い方に力点を置きがちだが、それにとらわれてばかりではやはり前に進めないのではないか。過去、こうだったという経験も邪魔になることもあったりと。柔軟に物事に対処しないと思うところだ。あれもしたい、これもしたいとも思うし、プライドある領域もあるが、いったんリセットして考えてみる。これできるようで出来ないが、もう少しと思うアクセルを踏むことによって、事故を生み出すこともあるのではと感じる。まあどちらに進むも決断であるが・・・・。
だんだん社会が悪くなってきている。選挙中であるが、快方への見通しというか、それを予見はしないのが実情である。なので、安定路線をという話であれば、公務員であったり大手企業であったりという就職をした方が無難である。そんなことを考えると、夢も希望もない。でも現実的なのか。金利があがり、普通に持ち家を持てなくなる。借家でもいい、借りた方がいいというのもいいが、つまるところ、一部の人間だけが富を享受できるということなのか。殊更、世の中が悪くなってくるとこのような話が多い。子供たちに夢を与えて育てられるのかと思うが、周りの声をそれをかき消すほどのような気もする。そんなことを思いながら未来を憂う。
もう4年になるだろうか。息子が陶芸をやりたいといって、学ばせていただいている。あまりにも陶芸作品が家に増えるので、頻度は減ったが、それでも続いている。当初は息子だけであったが、娘もしたいという。今や娘の方が必死にやっているように思うが、継続は力なりである。そもそも陶芸家を知っている親も少ないぞと子供らにも言うが、まったく言ってもわからないようだ。とかく陶芸にしかり、芸術に触れることはいいことであるし、もっと真剣に真摯に向き合うといいと思うのだ。学校では教えてくれないことを学ぶことの重要さを感じてほしいと思う親心。
中学生になる長男とは衝突する。何かと理屈をこねる。僕もその口だが、長男の将来を憂う。母親も甘い。自分で危機感を抱き、向上心を持たないといけない。難関高校、難関大学へ行くことが成功ではないが、選択肢は広がるのは確かである。なので、ひとまず学校のことはしっかりやる。別に学校に行きたくなければそうすればいいが、行くのなら誰にも言わさない結果を求める。何故かすぐに物事をあきらめる。もうダメだの向こうにまた「ダメ」がある。でもそれを乗り越える。この繰り返しである。自分の人生は後悔だらけである。だから同じ轍は踏ませたくないが、同じように進んでいる気もする。しかし僕はもう少し勉強をしていたとは思う。ハングリー精神を持てないのは親が与え過ぎたという僕の責任である。渇望する状況で現状を打破しないと次はない。だから歯を食いしばってほしいものだ。やはり夢、なりたい自分をみつけることだ。軌道修正してもいいが、ひとまずそれに向けて頑張る。学ぶ環境があることは幸せなことである。僕はまだ勉強している。まだ人には追い付かないからである。若い頃のマイナスはまだプラスにならないのだ。つらい、しんどいと思っても、頑張っているやつがいる。出来る奴がいる。そいつらも努力している。だから2倍、3倍やらないと追いつけもしない、追い抜けもしない。自分を律して戦え!息子に言いながら自分にも戒めながら、子育ても深く悩む。
期限のある仕事をしているので、タイムスケジュールにはかなりうるさい方だと思う。日頃からコツコツやっていればそうでもないのに、つい後回し。こういうパターンの人は仕事が出来ない人である。言い訳の仕方にはなれるのかもしれないが、駆け込み寺タイプは何を主張してもダメ。他の論点にしようするが、ここからは逃げられないのに、突くと痛いのだろう。やっぱりダメな人というレッテルになる。会計の仕事をしているとよくわかるものである。もう大人なんだから子供のようなことは言わせないでと思うが、このパターンの方は非常に多い。だからといって僕が優れているというわけではないが、先延ばしがよくないのである。すぐやるという心構えから習慣を変えるのである。
大学の図書館はよく活用をさせていただいている。論文書いたりとまだまだやること山積みで、あれも知らない、これも知らないと、「無知の知」を感じざるを得ない。大学の図書館にいると、若い人が勉強している。遊びたいだろうなと思いながら、おじさんも負けてられないと思い、刺激をもらう。しかし、大学も偏差値に反映するのだろう。偏差値の高い学校は多くの学生が図書館で勉強をしている。逆に低い学校はまず学生がいない。この前は一人いたけど、ゲームをしていた。迷惑千万、注意しようと思ったが、アホらしくなってやめた。こうやって「差」が出てくるんだろうと感じる。できれば僕も楽をしたいと思うが、そんな簡単に人生幾くらいなら努力はしないのである。頑張った自分だけが助けてくれる。人任せではいけない。自分の子どもにも伝わればいいなと思うが、やはりゲームなど楽な道に逃げる。可能性を芽をつんではならないと思うのだが・・・・。年取ってからではなく、今、気づいてほしい。図書館にいるといろんなことを思う。
10月1日より特定一般教育訓練給付金、専門実践教育訓練給付金の拡充される。劇的に給付金が上がるわけではないが、傾向的にはいいことだと思う。失業者の手当として考えるだけではなく、在職者のキャリアアップを図ることへの支援はもっとやった方がいい。社会人大学院を通った者(他で教育訓練を使ったので大学院では使っていないが)としては、精度支援があればやはり使うし、やる気も出るものである。手続きの煩雑さを回避してくれれば、ありがたい制度であるのは間違いないだろう。50代になれば、新しいことを考えるかもしれない。違う景色も見たいし、目標あってこそ世界が広がるので、拡充をさらに進め、人への投資は考えてもらいたい。
経済産業省が書店振興に支援策を検討するという記事を見た。書店の利益率の問題やインターネット書店との競合といった点が報告され、書店の経営も圧迫、ひいては書店の廃業など書店が減っているとのこと。つまり、書店で本を手に取ってみることもできないことや、購買者層も減っている、書店にそもそも行かないなど書店離れも事実としてある。本好きな僕であっても書店に行きたいが、ゆっくり回る時間がない。それゆえ、アマゾンなどインターネットで購入のケースは多い。本当は神保町などぐるぐるまわりながら貴重な書籍にありつきたいが・・・。支援策を講じるようだ。果たしてどうなるのか、気になる記事であった。
来年度から日本語教師を再開予定。とはいえ、少しのコマだけですが、プレイヤーとして。日本語教育系の話も僕に問い合わせも増えてきました。2024年からは国家資格になるので、移行期間で再勉強も必要ですが、現場の先生はその勉強時間を確保できるとは思えず、理想と現実にぶちあたっている気もします。奉職先もちょうど10月入学の学生も順調に入学してきました。久しぶりに日本語教育関係者とも談笑。学校経営の方が僕には魅力的な仕事で楽しいのですが、少しだけプレイヤーをやるのがちょうどいい。日本語教育関係者とは少しずつ交流を深めようと思います。あっ、会計学や農学系は辞めたわけではありません、継続中ですが、これはご専門の先生方に委ねて、僕は楽しい人生を過ごすことに注力したいと思う次第。
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