何とか終えました
中国学園大学で1年を対象に、会計学入門という講座を担当した。15回と長丁場であったが、何とか終えることができた。終わってみて、もう少しこんな話したかった、こうすればよかったということはたくさんあるが、最低限、伝えるべき内容は言い尽くせたと思う。それにしても、どのレベルに合わして話せばいいのか、どうすればもっとよりわかりやすく伝えられるのかなど、真剣に悩んだ。一生懸命、駆け抜けた15回であったが、学生たちにはどう映っているのだろうか。最後に難しかったかどうか尋ねてみると、一様に難しかったという。大学は難しいことをやりに行くところだから、簡単ではない。自分たちも悩み、しっかり学習し、一皮むけていくしかない。また来年も岡山に呼んでいただいたので、バージョンアップして戻ってきたいと思う。
教養のつけ方
久しぶりに本屋に子供を連れて行った。いろいろ物色をするのだが、小学校4年生の息子はなかなか勉強になるような本を選ぶ。下の娘2人は付録のついた雑誌を選ぶ。長女に関しては小学校に入り、もっと教養のつくような本を読んでもらいたいが、どうも彼女はその気がない。陶芸教室ではすごい集中力で作品作りをするわけで、決して集中力がないわけではない。字面を読むのが苦痛なのかもしれないが、とても気になるところ。三番目は、小学校に入ったら、お兄ちゃんのように新聞を読むらしい。長女にも読んでもらいたいと心底思うのだが、どうやる気に導くかは親の務めであろう。今回、画像のような書籍を購入した。子供には漢字が難しいかもしれないが、少しずつ覚えていけばいい。ぱらっと読んでみると、面白いかったので、興味をもって調べてもらえればと思う次第。
白井道也は文学者である。
白井道也は文学者であるという有名な書き出しで始まる「野分」。漱石が新聞小説家としてデビューする前の最後の作品。漱石から何か生きるヒントというか、この混沌とした今を打破する糸口を探せないかと思っている。野分を読み直して、教壇に立つようになった今、感じるものが多い。教師はお金儲けでやる職業でないし、お金儲けをするには商人であるということも書かれているが、当時、学者というものが崇高な存在であることも見て取れ、今のサラリーマン化した学者像とは全く違う。言葉に魂があるというか、勉強になることが多い。野分は漱石の中でもマイナー小説だと思うが、一読してほしいなと思う小説の一つ。
自分ではそうは思わなかった
11月から一緒に仕事をしている同僚に言われたが、腑に落ちた。転職についての話であり、普通の人はAの仕事をしていれば、だいたいルーティンで同じ仕事になり、内容が嫌になったり、人間関係が嫌になったりで退職する。これが普通だと言う。この点は何も違和感なく聞いたのだが、僕の場合、核になる仕事をしながら、いろんなことをやっている。だから会社の中で転職を繰り返しているだけで、外から見れば「転職」を繰り返している人に見えるとのこと。この視点は僕にはなく、そうだなと腑に落ちた話だ。性格的に一つのことをずっとするのは難しい。熱しやすく冷めやすい。好奇心旺盛である。有機的にどこかでつながってくると思っている点と、一つにあまり固執しない、みんなが思っているほど執着しない。そんな性格が大きく影響しているが、転職ということを考えるとそうなんだろうと思った次第。僕は謎らしい。
とかく機械に振り回される
超アナログ人間のため、とかく機械には疎い。パソコン関係がもっと強くなればと思うし、その能力があれば、もっと違う技能、技術を得て、新たな仕事もできるだろうに思うことはしばしば。インターネットであれこれやり方を調べてもよくわからないことも多く、ほんと困りっぱなしである。IT に強くならなければと思うのだが、それがかなわずというか、努力不足もあろうが、振り回されぱなしである。アプリやソフトなどもっと知って、使いこなせば全然違う世界があるんだろうがといった思考がぐるりぐるりと頭をまわる。1からしっかり教えてくれる人はいないだろうか?ワード、エクセルからITまで。
バタバタして進まない犬かきのようだ
忙しい、忙しいというのはいいとは思わないが、とにかく仕事、やることが多い。終わらない。一個、事が終えると、二個やることが増えているという感じで、毎日、増えているような感じ。年々、やることが増え、楽になる感じはない。若いころの方が全然、楽に生きれていた気がする。とにかく年々、歳を積み重ねるので、やることを少なくして、もう少しゆとりが取れるものだと思っていた。じっくり本を読んだり、自分の時間を取れたりと考えていただけに、その意味では想定外。周りがうらやましいと思うこともある(僕に対してうらやましいと思う人もいるだろう)。立ち止まりたいが、立ち止まることは許されない。動きながら考える、そんな生活。期限のあるものばかりなので、本当に終わるのかなと思うのだが、終わらせないといけないし・・・。今、そんな生活状況である。
果敢にチャレンジ!
リアル店舗でサザエスタイルというアイスクリーム屋を経営していた時に、小スペースだが、喫茶ができるようにしていた。そのときに珈琲も自社ブランドで出して売っていた時のデザインである。例のごとく、私の奥様。彼女時代に書いてもらったものだが、嫁のことをほめるわけではないが、やさしいタッチの絵を描く。僕の似顔絵も嫁さんが書いてくれているが、一時期、評判になったもので、選挙の時も僕の似顔絵は使った。嫁としてはどんどん販路拡大といったように望んでいないので、進めてはいないが、デザインの世界は川上が多く、費用が高い、そして川中は精度が劣る。川下はそれ以下とすると、川下にあっても、川上でも通用するデザインというものは市場があるように思う。それにしても、懐かしいデザインである。若さゆえの果敢チャレンジだったなと今でも思う。
剛直な言葉
とかく漱石が気になる。何かハッとする。二百十日は会話で成り立っている短編であるが、言葉が強めのものが目立つ。漱石は世紀末という100年を単位とした思想の中で、小説を読み解くことは重要な要素と思うが、一番、最後の文章、「二人の~百年の不平~を吐き出している」という一説があるが、ああここにも百年というワードが使われていることに改めて気づいたことである。こんなに二百十日の小説の言葉があらあらしく表現されているというのも、草枕からつながるじ「情」の世界と思える。もう少し文学に浸る時間が欲しい、心に余裕がないのかもしれない。
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終わりのない迷路のようだ
広島県もいわゆるマンボウであり、また補助金というのが紐づけになっている。財源はどうなっているのか、聞くのが怖いくらい湯水のように出しているが、本当にこれを出してもいいのだろうかと思うところだ。広島県の頑張る中小企業月次支援金 を見ると30%から50%の減少のところは補助金が減っている。さすがにいつまで出し続けるのかというのも疑問。今年は頑張ろうとか年始は思うものだが、出花からこの状況でやるにやりきれない。今のオミクロンで言えば、無症状が多く、重症化するケースが少ないことから、平時のように動くのがいいのではないかと思うところ。皆さんの考えはどうだろう?
新しいステップの準備
あれこれ動いているので、頭の整頓が難しいが、将来的なことを見据え、スタートアップをしようと思う。思いもよらない福岡、九州でスタートする。昔からそうだが、広島に住んでいると東へ向く(僕だけか?)。大阪、東京。ことさら関西エリアは飛んでしまい、東京ばかり向いているような気がする。福岡も大都市圏であるが、西へ向かうことはまずない。なので、土地勘がとかくない。政策学校時代、福岡に在籍していたが、日帰りなので、その場所との行き来しかないため、ぶらっとすることもなかった。ほんと処女地のようだ。九州は正直、頭さえなかったが、今回、いい話になりそうだ。ここ数年は九州にお世話になることは多くなると思う。生きなおす意味でもチャレンジしたい。人生は思うようにコトが進まないが、受け入れて生きていかないといけないように思う。とかくいろんなことを考えさせられる日々だ。