岸保宏

「こそ」と「せい」

心の持ちよう

コロナだから「こそ」とコロナの「せい」。一つの事象で大きく局面と思考は異なるが、積極的と消極的。正直、いずれの面もあるなと。コロナで人々の考え方が変わり、明らかに人々から余裕がなくなっている気がする。それはそうだ。消費税のインボイス、物価高、インフレなど、不安定な要素、話が多い。そう考えると、コロナにしかり、「せい」と考える人は多いのかもしれない。今、現在ではどう評価していいかわからないが、気持ちの浮き沈みはある。いいも悪いも・・・。「こそ」と思えるか、「せい」なのか。考えることはいろいろということだろうか。

特別講義

いろんな話を聞くこと

僕が受け持っている「会計学入門」でゲストを今年も呼びました。なぜそうするかというと、僕も多くの非常勤やゲストの先生に支えられたので、それを継承するというか、その影響はきっと大きいと思うので、僕も踏襲しています。昨年は、「会計と職業」という話をし税理士に。今年は「販売戦略と会計」という話を企業経営者にしてもらいました。単発講義と連続講義は違いますが、それぞれに意図や意義があるもので、それをどう組み立てるのかは勉強になるものです。来年も授業があるので、少し考えてみたいと思っています。

久しぶりの新刊

擬態社会

いつも谷口先生は新刊を発行すると、謹呈をくださる。いつもながら有難いお話である。冒頭より。

「日本は変わろうとしない人たちによって未だに社会が成り立っている。そのため、過去の教訓すら生かせずに、変われないまま時だけが過ぎている。翻って、世界を見渡せば常に変わり続けている。変化を拒み続ける者によって停滞し続けている日本の現実を目の当たりにすれば、いま、一人ひとりがサバイバル・マインドというものを求められていることに気づけるのではないだろうか。
 あなたの未来は、あなた自身が切り開いていくしかない。今こそあなた自身が時代の牽引者として立ちあがる時なのではないだろうか。最初は誰もがたった一人の反乱者かもしれない。しかし、やがてその意志は、共感連鎖を生み出し社会へと広がっていくに違いない。
 とかく変化の多い今、僕らはどこへ進むのだろうか。そんなことを思いながら、新刊を楽しみたい。
著者 : 谷口正和
ライフデザインブックス/ジャパンライフデザインシステムズ
発売日 : 2022-11-01

東京時代の名残

若い時から

東京時代に球場で出会った仲間との忘年会を3年ぶりに開催した。いつものとりきん佐藤は20年以上の付き合いになるが、とうとうそのとりきん佐藤も年内で閉店、引退をされるうようだ。後継は別の場所でお店をオープンすることになるようで、思い出の詰まったお店はこれが最後(もう一回くらい行けないかな・・・)。寂しいものだ。正直、この集まりはもうなくなり、会うこともないだろうと思っていた。若い時に戻ったようで、つい調子に乗ってしまった。楽しい時間はすぐに終わる。久しぶりに球場でみんなで感染したいものだ。

都の西北で

忘年会シーズンスタート

12月のゴングとともに忘年会が始まった感じがある。まだまだコロナ禍で少ないとは言え、それでもたまにの交流も大切。先日、いただいた「都の西北」で一杯やらせてもらった。なかなか人と会うというのも会えるようで会えないというか、機会がね、それに恵まれるかどうか。それは誘う側のときも誘われる側のときもあるし、ほんとタイミング。そんなことも思うし、もう会うことないだろうなと思う人もいるし...。人間関係は面白いのか、難しいのか。いずれにしても、いい酒でいい料理で、いい時間を過ごせました。

親父の形見

親父の形見

親父とはまったく合わない人間だったが、もう亡くなってから3年が経過した。最後に親父が乗っていた軽自動車を引き継いだが、とうとう10万キロは走った。当時、小さい車は嫌だとかどうのこうの言っていたが、運転もおぼつかなくなってきており、小さくしてよかったなと今でも思う。事故なんかしたら大変だから。軽自動車だと遠出はしないので、ほんと走行距離はそうはなかったので、10万キロ走るというのは移動がかなりあったわけで、そう思うと感慨深いところもある。もう一回、車検をくぐってから車は変えようと思う。もうしばらく付き合ってくれと思う。

46回目の誕生日

人生を稼働させたい

まずは丈夫に産んでくれた母親に感謝したい。自分が祝われるが、やはり母親に感謝をする日として、誕生日という日はあって、そのことは子供らにも継承したいと思っている。さて46回目。一皮むけるようで向けない人生を過ごしているが、どうすれば僕自身が満足のできる人生なのか、納得できる人生なのか、その解決のキーはよくわからない。近年、歳をとったこともあるだるうが、できるだけ穏やかに生きたいというのはほんとに思うことである。すごい前に記憶に残っていることがある。テレビでご活躍の林修先生が47歳になって、ようやく人生が動き出したと言っていた。自分が表舞台でようやく出れて活躍しはじめることができたと実感したんだろう。そうなると、46歳の時にはその予兆があるということで、そうした1年に僕もなるだろうか。僕の活動領域は広くなっているが、それはそれで「有機的」に繋がってくる。僕には僕の「基準」で生きる。だから人生の「文法」はない(よく人生論を語る人はいて、僕に説教じみたことをいう人はいるが・・・、自分のことは棚に上げて)。あれこれ今年もやるだろうが、そろそろ成果も欲しい。中年の星となれるように頑張っていきたいと思う。

 

2022年11月30日、東広島の地にて(写真は北海道藻岩山(2022.8))。

逆行も真なり

魔法の道具

今どきの授業はPPTを中心として、プリント配布など前もっての準備をもって、そして受け手(生徒)のたくさんの「情報量」を得る。受け身の姿勢になりがちと思える。なので、昔ながらの板書スタイルがたぶん授業に適すると考えており、ここで思考しながら、自分の頭でも整理するといいのではないかと思うわけで、時代とは逆行しているのは理解の上で進めている。プリントも補足では配るが、必要以上に情報を与えることは、基礎基本の幹がぶれるような気もする。あれこれの2年目も中盤から終盤へ向かっている。今年はコンパクトに進めているつもりだが、どうだろうと思う今日この頃。

鳥取へ

見せておきたかった場所

中国地方とは言え、鳥取はかなり遠い。どこかで気持ちも遠くなる気もするが、ようやく子供たちにも鳥取砂丘に連れていくことができた。たぶんここは想像と全く違うだろうし、来ないとわからないところはあるのではないか。そんな場所に違いないと思う。よき田舎が残る鳥取県。また訪れたいと思う。

時間の使い方・再考

平等な時間

365日24時間。これはみんな平等であるが、その時間の使い方ひとつで、幸せの尺度は大きく異なる。家でダラダラ過ごす。こんな時もあるだろうし、朝にフォットネスクラブにいって、健康つくりに努めることもあるだろうし、仕事終わりに交流をすることもあるだろうし、さまざま。今日は実家経由、温浴施設へ行ってみると、充実する感じはある。こういう一日の使い方もいいものだなと改めて思う。あれこれをどうリセットし、スタートを切れるか。忙しい毎日をどう過ごすのか。重要な問題である。