岸保宏

スーツが破ける

今年2本目

1回目、ズボンが引っかかって破ける。2回目、ズボンのファスナーが壊れる。最悪。すぐにスーツ購入となり、痛い出費である。よりによってツーパンツでないので、こういうことが起こる。上着は全然使えるのにえらいもったいない気もするけど、やりようがない。冬だけで2本目だから困るよね・・・。今回、2回目で安全ピンでファスナーを閉じるが、やはり解放感満載。よろしくないのである。確かにスーツを着ている時間が多いのだから、消耗品ということになるか、諦めの悪い男、もう少し持たせたかった。

数年の見通し

だいぶ見えてきた

未来はどうなるかはわからないが、数年、これをしよう、あれをしようと言うのはおぼろげながら見えてきた。この歳になって、だいぶ時間の使い方も上手になったようにも思うし、こうすればいいのではないかと思うこともあって、見通しはよくなった。すべてが好きなことばかりではないが、これだけはやっておきたいというものもあって、サクサクと列挙していくと、空白が埋まってきそうだ。今年は静かに暮らすように、自分時間を作るようにしたので、ほんと考えることができた。新しい自分の楽しみもできたので、他人がどうのこうのではない、自分軸で生きていけるのではないかと思えるようになった。もう少し肉付けしたり、そぎ落としたり・・・・。楽しい人生を過ごしたいと思う。

次女の誕生日

9歳の誕生日

一番下の子が9歳になった。誕生日おめでとう。早いもんだな、あんなに小さかったのにあれよあれよと大きくなり、もう小学校3年か。しっかりしていて、お母さんのお手伝いもよくしてくれる。子供の誕生日にハッピーバースディを歌うのは灌漑深い。この時は親としてほんと幸せな時間である。しっかりと立派に成長してくれ!

壁は自分自身です

結局は向き合うのは「自分」である

乗り越える壁は自分自身にある。そんな思いを強くした今年である。逃げようと思えば、逃げれる。辞めようと思えば辞めれる。でもその「壁」を越えて、新しい自分、未来を創造する。そんな思いで、ひとまず目の前にある壁を乗り越えようとする。素晴らしい営みであるが、やはり道中はしんどいものだ。頑張ること、歯を食いしばること、やり抜くこと、試されている今年。なんか自分を戒めることが多いなと思うが、それだけ今年は自分に向き合ってきた年である。

センスあるよ

大量のプリンで

岡山で教員の皆さんと一杯。その後にamabarへ。ここはすごくお気に入りで岡山で飲んでいると寄るお店。店主が誕生日らしい。お客さんが大量のプリンを持ってきて、プリンタワーを作ると言う。そしてお祝い。なんとセンスがあるのだろう。聞くとその人は建築士らしい。まあこの発想いいよね。年齢と同じだけの数。数にして37個。なかなかいいものを見させていただいた。岡山も残り少なくなってきたけど、たまには飲みに行こうかなと思うもの。こういう感じのお店、雰囲気。人、ないんだよね・・・なかなか。

時間がない

喪中はがきが出せてない・・・

忙しすぎる。あれこれこなしているけど、追いつかない。効率的にも動いていると思うが、それでもこなせない。今年も喪中であるが、そのハガキを出さないと思っているけど、それが出来ていない。ああ、困った。何せ日常の仕事が重なりすぎている。自分でも追いつかないので、人にも振っているが、それでもうまく整頓できないのは問題がある。少し楽になりたいと思うけど、人生こんなもので重なるときは重なるんだよな・・・。できるだけ忘年会があっても、新年会へ繰越し。飲んでいる場合じゃないんだよなと思うが、一人では生きられないし。ブログ書いている暇があるのなら、喪中はがきだ!年賀状もどこかで区切りつけないともう時間がほんとにない。

機会を作る

やはり会わないとわからない

SNSが発達して、会ってもないのに会った気になる。繋がっている気になる。しかし、実際は会ってもないし、繋がってもいない。むしろもう二度と会うことや直接、電話ですら話さないこともありうる。このことはよく思うことである。なので、合間合間で時間を作るようにして、自分が会おうと思う人は会うようにしている。かつ2人でとかどんなに多くても4人までを念頭にしている。先日、久しぶりにこの人と思う人と一杯やった。まあその人も忙しい人で、誘われたら断れないのも知っているし、人望があるので。引く手あまた。仕事の休みを見計らう。直接会えば、そうなん?みたいな会わないとしゃべらないことも話をした。やはり会ってよかった。まあ1年に1度くらいは飲もうという話もした。お互い忙しいけれどね、楽しみにまたどこかのタイミングで。

農業を始めよう!

新規で始めるときに

新規就農者の話でも来ないかなと思うが、新規就農するときには、農水省の就農準備資金や経営開始資金の利用がを考えたい。原則、就農時に年齢が49歳以下で、就農後5年以内など一定の条件はあるが、年間150万円の補助がある。ただし、補助があるにはあるが、最初が苦しい。最初のイニシャルコストがかなりかかる上、農業はすぐに生産物にならないことを考えると、お金を投下しつづけることになる。その後に生産物になってから収益を生み出すが、販売先も自分で開拓することにもなる。すべてがきれいなシナリオではない。もちろんどんな仕事もそうであるが、投下資金に対しての回収を考えると、天候不順などのこと、持続的な経営と悩みは尽きない。一歩踏み出さないと始まらないが、農業をやりたい、事業主になるという人は、この創業資金を利用するのは鉄板だろう。他にも大規模な設備資金のために最大1000万円の助成である経営発展支援事業などもあるが、制度を知っておくのは重要である。

初の国家試験

社会的地位向上に寄与するのか

日本語教師も今年度から国家資格になり、初の試験が実施された模様。対策が打ちにくいということもあり、様子見が多い聞いているが、どんなんだろう?できれば僕も来年度にチャレンジしたいとは思っているが、今年がどうだったのかも聞いてみないと。国家資格にすることで職場改善や知識増強などプラスに働くのか。疑問ではある。現場は精いっぱいの時間を割き、試験対策の時間を取れるのだろうか。いくら外堀だけUPしても、実態がついてこないと何ら改善しない。これを機に現役日本語教師は職を変えることもあるかもしれない。これからの人の方が希望の目はある気もする。過去に取得した人間からすれば、資格を流すのもどうかと思うが、この武器を人生でまた使うことになろうとは予想だにしなかった。人間的には器が広がる気もして、楽しみな面もある。今年の結果はどうなるんだろう。少し見守って、来年度の対策を練りたい。

大学崩壊

大学の存在意義

少しは大学に関わっている者として、少し寂しい記事を読んだ。定員割れ、学力低下、頼みは留学生・・・。まあ現実。今、教えている学校はまさにそうかもしれない。僕自身が大学の教壇にそう魅力を感じていない。むしろ立ちたいのは高校の教壇である。何故ならば、高校が最後の教育を受ける場になるのではないか。そもそも大学に行く意味はあるのかと自問自答するからである。たくさん行った人間としては、自分の涵養を高めることにあって、自分自身の問題として受け止めてはいるが、僕の意識と周りの意識は異なるだろうし、出来れば苦労せず、大過なく過ごしたいと思う者が多いのだろう。苦労は買ってまでするものではないと思うが、それでも苦労するのだから、これも人生と思うのだが・・・。思うに大学と冠する以上は大学であってほしいと思う。それが実現しないのであれば、大学と名乗ることを辞めさせたらどうだろう?生き方はたくさんあるんだし。そう思うが、やはり悲しい記事かな。