薬局での出来事

丁寧と迷惑の間

うるさい日本の私。病院でさんざん待たされ、診察。輪をかけて調剤薬局でさんざん待たされるという経験はないだろうか。今日は調剤薬局で出来事。近年、ジェネリック薬品が普及され、それを積極的に活用していこうという動きがある。それは知っているが、それを必要以上に勧めるのはどうだろうか。調剤薬局は国策により、ジェネリックを一定程度、仕入普及させることが必須となっているが、それは要は僕から言わせれば、在庫処分である。その在庫処分によって、加算がつき、薬局は儲かると仕組みにもなっている。よく考えてみてほしい。もし本格的にジェネリック薬品が必要であるなら、処方を出す前に医者がその処方をするわけで、だいたい診察の際に、薬の説明は受ける。どういう効果で強い弱いといった効能まで。自分が聞きたいことはそこで聞く。だから調剤薬局ではほぼ聞くことはない。必要であれば聞く。にもかかわらず、時間をかけ、顧客を待たせる。調合が必要な薬なら手間がかかるのはわかるが、錠剤などは処方に従って、その個数を数えて、袋に入れ計算する。これだけだ。手が遅いのも非常に困る。それもそうだが、ジェネリック薬品は僕は断っている。効用も落ちるよ。当たり前だ。必要であれば、先ほど言ったように処方の段階で、そうしているからだ。利益を追求したいのもわかるが、ジェネリックを勧めることで、時間の浪費は避けてほしい。顧客になるとわかるよ、さんざん医療で時間を費やし、家に帰って体を休めたい。何かしら体が悪いわけだから。今一度、考えてほしいものだ。

経験と勘

根源を探る

なかなか自分の心に余裕がない。気になることがあれこれを行動を止めているのか、それとも言い訳なのか・・・。博士論文のことで学術研究はおろそかになっており、せめぎあいが未だ続いている。しかし、区切りがついたという感じを受けたので、そろそろ新しい動きをいうことで申し込みつつも、続いてしまっているので、やることはまた増えてしまう。そんなこんなだが、久しぶりに報告をしようと思い、あれこれ構成をしているが、今、ぶち当たっているキーワード、「経験と勘」。わからないのが、これは誰がはじめたのか、どういうところに言葉の歴史があり、意味があるのかを知りたい。言葉には意味があり、その意味を深く知ることでわかることがある。経験と勘は誰かがいい、それが慣用句として使われているのか。経験とは何か、勘とは何かといったように、2つをわけて捉えるのか、それとも1つとしてみるのか、いろいろ考えてしまう。もう少し探索をしてみることとしよう。少しやる気がでている事案である。ゆっくりと研究したい時がある。でもしたくない時もある。自分勝手そのものだ。

終戦(秋の気配)

4連覇は遠く

わずかながら期待していたカープの4連覇は、夢とかした。 現実には0%ではないが、ほぼ厳しいだろう。今年は、基本的、初歩的なミスが多い。先頭バッターを簡単に四球を出すとか、エラーの多発、采配ミス(好き嫌い采配もある)も多く、目に余ることしばしばであった。毎年、勝てるとは思わないが、今年も各球団決定打のないまま、進んだペナントレースなだけに忸怩たる思いはある。何とか制することはできたと考えている。3連覇の疲労というのは、今年はかなり出たのも間違いないが、それを見越した補強もすべきであった。2つのトレードはうまくいっていると思うが、こうした効果的な補強をもっとやるべきで、それを怠ったのも間違いないだろう。ひと昔ならCS進出で盛り上がるであろうが、目が肥えてしまっている。冷静な視線をファンも持ち合わせた。やはりペナントを制すること、144試合の総集が物語る。今年はチケット確保もままならず、異様であっただけに、失望感もひとしお。残りの消化ゲーム。あまり僕にとっては見所がない。それでも日本シリーズ進出となれば、浮かれているんだろうが・・・・。

コンサルタントの選択

迷える子羊

人を多く知っている経営者にありがちな点。多くの情報を得てしまうが故に、前に進めない、判断できないということないでしょうか?経営相談やアドバイスを受けるにしても、一つの事象であっても、百人いれば百通りあるのアドバイスがあるとすれば、やはり迷うもの。経営者は孤独、聞いてもらいたい、それはそうかもしれないが、コンサルタント(外部専門家)を絞り、その人のことを聞くことだ。聞くと言っても、最後は経営者が判断すればいいのだが、あれもこれもというのがよくない。いい匂いがすればいい匂いの方へ。殊更、蟻地獄に入ってしまう。僕は、その会社にそういう役割の人がいれば、ほぼ何も言わないことにしている。迷うから。経営課題で分野が異なる場合は、その領域を超えないように考えるが、まあやはり多様な情報は時に害になる。コンサルタントも仕事にしようとするから、あの手この手、プレゼンをするだろうが、経営者の見極めも大切。選択は難しいものだ。問題の解決はなかなか至難の業だが、そこを乗り越えていくのも経営者の試練だ。経営とは何か、こういった根本の問いにはしばし考えることは多々あるのではないだろうか。

夏の再来

暑さもほどほどに

休みといっても僕は動いていたほうが疲れない。日常もさることながら、論文のやり取りにだいぶ疲れてきており、どこか観光をしているような気分で、一日を過ごしたい。心のリセットというか、とにかくそんな感じ。日常もさることながらといったが、日常もあれこれと悩むことも多くで・・・。さて、そんな最中、宮島へ。なんだかんだといって、1年に1度、行っているような気がする。今は残念ながら大鳥居の工事中で、見ることができない。何度も見てもいいものだが、それも叶わずだ。観光地にいると、日常から離れる気持ちが出て、とてもいいもんだ。いろいろ散策したが、クレジットカードや電子マネーが整備されていないところもちらほら。宮島水族館が使えないのは、非常に驚いた。インバウンドとかキャッシュレスの時代に、「えっ!」って感じで、そこだけではなく、僕の今回行ったところはすべて現金。軽減税率導入になったら、整備されるのかな?この点、改善をすべきですね。それにしても暑い日だった。秋らしい気候になりつつあったが、この週末は夏に逆戻り。近くに観光名所があるのはありがたい。また来年に訪れたい。

人生のファイティングポーズ

戦う姿勢

人生もこれで満足とか、ここまででいいとかと腹のくくりがないと、やはりいいことにならないのかな。この頃は案件、案件の「仕掛り」ばかりが増えて、なかなかやることが片付かない。片付かないうえ、やることは増えている気がする。戦う姿勢ーファイティングポーズーをとれないと、人もついてこないだろうし、自分自身ものってこない。あきらめてはいけない。最後までやり抜く。エンジンが湿りがちになっているが、やはりアクセル踏んで、前へ進まなければと思う。人の姿を見ながら、自分を見る。最近、殊更そのことを考えることが多い。人生を楽しく面白みを持つためには、人生に喝を!仕事もプライベートも・・・。

私の働き方改革

理想を求めると・・・

最近、よくどういう風に仕事をしたい?と聞かれることがあるが、僕はこう言っている。3分の1ずつ仕事を構成したいと言う。Aの仕事、Bの仕事、Cの仕事というように。そしてできるなら、Aの仕事は札幌、Bの仕事は広島、Cの仕事は東京のように、場所も変わるとスイッチが変わって言うことない。これまで一つの仕事に従事することがよしとされていたが、それは果たして現代的にフィットするのか、疑問に思う。副業やフリーエージェント、働き方、生き方の多様性を求められている今、一見、ドリフトしているようで、相互補完的に価値が想像されるのかさえ、思う。僕も常々、言っているが、3本の柱で仕事を構成したいと言っている。この数年でそうしたい。ひとまず今の本業がAの仕事にはなるだろう。骨太なB,Cの仕事。まだ既存のものでは柱には弱いかなと。これから強くもしたいとも思うが・・・・。

 

人間の記憶

記憶とは何か

人間の記憶の研究。認知的情報過程がどのようにあるのかということで、古い書籍になるが、読んでみた。なぜ、読んだかというと、記憶を通じて、どのように会計を見るのかということに対して、何か手掛かりがないかと思った次第だ。書籍は3部構成。1)日常記憶、2)作業記憶、3)再認と再生のおける付合化と検索、ということで、僕にとって、1部、2部を重要視して読んでみた。会計学に心理学を取り入れて研究したものもあるが、もう少しこの類の書籍を当たろうと思う。しっくり図式化できる、ポンチが必要だ。記録と記憶。興味深いテーマである。

 

 

夏の長期休みー最終日の巻ー

松江に

今年の夏休みはいろんなことがあって、ゆっくりしたとは言い難い。最終日なんで、ちょっと遠出をしようということで、松江に訪れた。3,4年前を最後にご無沙汰している土地であった。たまには城に登るかと、これも松江城、久しぶりに登ってみた。松江城は確かに行ったことがあるが、記憶にあまりない。歩いていると、何となく思い出してくるかと思ったが、これもなかった。しかし、松江城は現存の天守であり、なかなかのものである。広島を起点にすると、日帰りでも結構なところに行けるものだ。まあどこを起点にしてもそうだが、こうやって違う土地に来ると、気分も変わる。そして観光客として、違う目で街を見れる。十分に楽しめた。子供と一緒に行けたことも、非常に良かった。この日は鉄砲隊の実演という、1か月に一度の機会にも恵まれた。お堀の周りの船も乗ってみた。街並みをもう少し味わいたかったが、時間切れ。温泉に入って帰路に着いた。また数年後に訪れたい。

 

過去の写真より

フェイスブックをやるたった一つの事由

前回、書いたように何かせわしい。せわしい中、懐かしい写真が出てきた。フェイスブックの過去の思い出というやつだ。長男である。もう今年で8歳になる。第一子であり、子育ても素人。手探りの真っ最中、たぶん1歳にまだなっていなんじゃないか。長男だけであったが、よくこの策をかじっていた。他の子はかじらなかったが、何を主張しているのか、当分前の話なので覚えていないが、とても懐かしい写真で、息子らしい顔だ。息子にも見せてみたが、笑っていた。写真は一枚で物語れる素晴らしさがある。ところで、この写真はFBであるが、僕のFBの継続事由はこの過去の思い出の機能がとても好きで、これだけが動機となっている。だれそれが何をしたとか、うまいもの食っているとか、全く関心がない。その時を振り返り、思うことがあるもので、それがあるといい時もある。同窓会とか、ああいった類は以前も書いたが、興味がないが、こうしたものはほっこりする。僕にとって宝物である。そんなに遠くないと思う時間だが、もうだいぶ経過した。あっという間に時が過ぎる。そう思うと、今の時間を大切にしなければといつも思うのだが・・・・。