100名城第69番
久しぶりの城めぐり。桃太郎の舞台とも言われた鬼ノ城である。岡山県にある。もう一度行くことはないかもしれない。天気にも恵まれ、紅葉の中、歩くことができた。息子が山を一周回ると言い出して、2時間。登山じゃないかと思いながら歩いたわけだが、下の子、娘2人もよく頑張った。疲れ果てた。子供の育て方をやはり考える。息子の歴史に対する向学心は活かしてやりやいと思う。下の娘がもう少し僕に主張して欲しいのだが、この点、よくわからないところ。鉱物に多少興味がありそうだから、連れて行ってみようとは思う。遠出は僕は好きなほうなので、苦にはならない。楽しみながら子育てをする。これは基本である。
愛息9歳
写真は生まれた当時のものだが、昨日、息子が9歳になった。ほんと早いものだ。もう小学校3年生。今のところ、出来すぎの子である。果敢にいろいろ勉強にも取り組むし、自分から積極的に動くなど、順調に育っていると思う。男の息子が出来たら、キャッチボールをしたいと思っていたが、まったくスポーツには興味がないようだ。強制するものではないが、野球はしたかったなと思う次第。激変する社会で大きくなっていく。世の中、不安だらけだ。これから戦争も起こるかもしれない。そう思うと、今の時代にと思うこともあるが、希望をもっていきてもらいたい。僕ら大人もそう思えるような社会を作っていかないとね。ひとまず9歳、おめでとう。お前は20時間かけて出てきたが、お母さんも苦労したぞ。しっかりやってくれ、お父さんも応援する。
MBA学生の時の思い出
noteに社会人大学院生のころのものを整理しているが、思い出深いファイナンス。ほんとよくわからなかったので、もっと平易に書かれている書籍を紹介して欲しいと尋ねたところ、この書籍を紹介していただいた。この本でファイナンスがわかるようになったんだが、基本がないと応用もない。読み返せば、当時が蘇る。まったく未知の分野に飛び込み、暗中模索で生きていたころを懐かしく思う。あまり過去は振り返らないが、大学院のことは再度、自分の中でも整理した方がいいのではないかと思い、思い起こしている。やはりあのころでしかできないこともある、今しかできないこともある。そんなことを思いながら、バタバタの毎日を過ごしている。楽になりそうな気配がない。逆にやることが増えているような気がしている。
1人になりたい
なんかバタバタが続くと、電話取るのもメール返すのも億劫となり、1人になりたいと思うことが多い。こういう時に限って、ああだのこうだのと言われ、耳をふさぎたくなるのに、輪をかけるように事が起こるのだ。世捨て人。昔は鎌倉に住んで、ひっそりと暮らす。原節子のように忍びながら生きるというのが夢であった。しかし、実際はそうはならない。なんやかんやと時間に追われ、何んだろうと思いながら、空を見上げる。やはり充実度が足りないのか。結局、自分が追い詰められている心境なので、それをどこかで払拭する生活にしないと、この病は治らない。まあ毎日あるが、淡々とこなす部分とこれからを構築する部分と構成することが大切であろう。
熱狂の大統領選挙
他国の大統領選挙にもかかわらず、日本でも盛り上がったような気がする。アメリカの人たちの熱量には頭が下がる一方、日本自国の選挙の盛り上げのなさを考えると恥じるところでもある。開票がすべて済んでいるにもかかわらず、未だすっきりしていないところもあるが、その是非は意見を避けるが、それにもしても、これくらい日本も自分たちの国に関心を持つべきと思える。ニュースをみても、国会会期中にもかかわらず、アメリカの件が多くを占め、コロナ関連である。国会の様子は学術会議のことだろうか。そう取り上げられているわけではない。政治の向き合い方は考えるべきではないだろうかと思うところだ。
コロナ渦中のイベント
今年はめっきりイベントは軒並み中止。毎年、イベントの最後は広島大学のホームカミングデーで終わりわけだが、今年は最初で最後のイベントとなった。悲しいことに天候が悪く、雨。売上も振るわずである。今回、コロナでのイベントでの顧客反応や消費者行動がどうなんだろうと思い、この点、楽しみにしていた。しかし、雨でお客さんもまばら。まったくわからなかった。ブースで販売していると、こうしたものはよくわかる。10年も露天商をやれば、この経験は大きいと感じる。馬鹿にした人も多かったけど、そういう人はまったく僕も相手もしないわけで、自分が優位という考えなんだろう。行商は商売の基本と思うので、これからもやめる気はない。できるところまではやりたいと思っている。まあそれにしても、イベントに関しては残念な一念だった。来年も中止を早々と出しているところもある。景気も悪くなるだろうと思う。大変な時代。大きく変わることを求められているのだ。
最高に寒かった
気を使ってくれて、カープに誘ってくれた。今年はぶっちぎりに弱く、さすが下位チームだなと改めて思った。コロナ渦、大声が出してはいけない、マスクをしなければいけない、ジェット風船は禁止など、あれこれあり、まったく違う雰囲気の中、球場で楽しませてもらった。こんな寒い日に見たのは、数年前の日本シリーズだ。あれは10月末であったが、今回はもう11月だ。かなり重装備で出かけたが、それでも寒かった。コンポタージュを飲みながら野球をみたのは初めてだ。今年はコロナもあり、沈んでいるので、カープが勝って、気持ちだけでもハイになりたかったものだ。カープも70周年で記念すべき年であったが、今年はほんと見所が少なかった。客観的に見ても低迷は続きそうだ。数年、いい思いをさせてもらったが、またそういう日がくればと思う次第。今年のカープは最初で最後、見納めである。
大都市の在り方
先日、大阪都構想の選挙、2回目の審判が出た。否決。個人的には大賛成だっただけにとても残念である。神奈川県や福岡県など、たくさん同じような問題をはらんでいるだけに大阪がフロントランナー的役割を担い、統治機構を変える。かなり期待をしていた。大阪は特に西の中心、副都心的役割を担うべきで、この選挙は改革への第一歩だったように思う。維新の2トップがうまく連携しているのもあって、二重行政の問題も見えにくくなったと思う。それに加え、住民サービスの低下というが、どうなればよくてどうなれば悪いのかもあいまいなど、説明が不十分、その点わかりにくかったのかなと思える。今回の結果はとても残念で仕方ない。しかしながら、民主主義。民意として受け止めないといけないのだろうが、これからこのままでいいはずがないと思うのだが、どうだろうと思うところだ。
慶應義塾大学へ
ずっと行けなかった東京。やはりいろいろ会いたいものだ。是非、お会いしたかった友岡先生にお会いすることができた。僕の博士論文には、マストの存在であった。正直、この先生の論文に出会わなければ、論文は完成しなかっただろう。なので、ほんと論文に出会えたことは幸福である。思い切って、塾員ということもあり、論文を送ってみた。そして、一度お会いしたい旨、お伝えしたところ、快諾してくださり、時間を割いて下さった。あれこれ誰かを介すと、あとでのトラブルもなる可能性もあるので、まあこれでいいのだろう。2時間くらい、いろんな話がdえきた。会計学の世界でも頑張らないといけない。そう思いながら三田をあとにした。いい機会であったのは間違いない。
三鷹へ
意を決して東京へ。1月以来だからかなり久しぶり。寄ってみようと思っていた太宰治サロンへ行くことができた。元三鷹市民である僕。しかし、ほんとすごい久しぶりに三鷹駅に降りると、ほんと変わっていて、あまり記憶がない。もう遠い過去なのか。三鷹駅からほど近くにある太宰治サロンになんとか到着。10年前くらいにできたらしい。だから在京時には知らないのは当然である。文学関係も好きなので、寄れるときは寄るようにしている。身近にあると、もっと行っているかもしれないが、旅の時だから寄るのかもしれない。太宰を志した若者の僕は、まったく違うことをしている。人生とはこんなものなのかと思うこともしばしば。太宰をまた読みたくなった。このサロンも機会があれば、寄っていただきたい。思ったよりかなり小さいが・・。