紅葉を見て

季節を感じて

近頃は四季折々という感じはない。急に秋から冬へと変わる。そのためどうもその時間と空間を味わえない。でもそうはいっても、紅葉で見たいなち思い、少し遠出してみた。彩深く、心和むものである。今年は銀杏並木のきれいなところも見ていない(少しだけはみたけど)。三田のキャンパスにだいたいその頃いるのだが、今年はいなかったな・・・。心はメランコリック、孤独、読書、味覚。そんないい季節がもう終わるなんて・・・・。冬将軍もやってくる。いろいろ思いながらのドライブであった。

@姫路にて

40年後、「おじさん」

もう40年以上の付き合いになる友達と再会。ほんと数少ない友達であるが、姫路で一杯。まあいろんな話した。「気兼ねなくしゃべる」、「言いたい事言える」と言ってきたが、それはお互い様。あと仮に30年生きられるとしたら、70年の付き合い。これ以上の時を越えて付き合える奴はいないわけである。一緒に野球をした。1つのボールを追った。それぞれ違う時間と場所を過ごしても、確かな「場」がある。いい時間だったなあ。頻繁に会わなくてもいいが、適度には会って、時間を共有して話をしたいと思う。これは大切な営為ではなかろうか。友達の大切さを改めて知った夜。

残り少ない時間

2024年カウントダウン!

岡山での非常勤も今年最後になるので、余韻を楽しむかのように街を歩く。よく行く美観地区に阿智神社を見つけた。参拝をした。意外に階段も多く、たどり着くまでに時間を要したが、美観地区に神社があるのは、灯台下暗し。知らなかったな・・・。倉敷の街中も歩くと風情がある。何より駅からも近いし、電車でも行ける観光地。いいところだと思う。昼に行こうと思ったところがランチが今日に限ってランチが休み。寂しいではないか。いるうちに再チャレンジを考えて、その後に学校へ行ったとさ。

期待感ある大学

シーンが変わる

大学が変わるのではないかと期待している。ZEN大学。大学の在り方が変わる気がする。グローバル社会で活躍するための素養やスキルを身に付けることができる、日本発の本格的なオンライン大学として来年開学する模様。N高やS高なども今や東大など難関大学へも進学する学生も排出している。僕が今の時代に生きていれば、きっとS高やN高に進学したいし、わくわくするところがある。教育コンテンツも興味深いし、可能性を感じる。そう、こういう前向きでないといけない。今や定員割れ、Fランク・・・、大学の意義は?と思うもの。自分のチャンスは自分でつかむんだよ。そう思いながら、ZEN大学に大きく期待!

広大について

僕の所感

職場に近いのもあって、広島大学はよく利用させていただいている。修士の2年間、東千田に通わせていただいて、一応卒業生ではあるが、この大学は嫌いである。なぜ嫌いかといえば、どうも東京大学にいるかのような錯覚が起きる。変な自信、プライドがあるので、謙虚さを感じない。広島大学育ちの人は感じないだろうが、外部にいた(いる)人はわかる。この話を外部から広島大学に進学した人に言うと、共感を呼ぶ。まあそんな所感である。しかし、悪いところばかりでもない。最近は外部に向けた開かれた大学へ進んでいる気がするし、何と言っても総合大学の強みがある。国立大学なので、あまり新しい書籍が少ない一方、逆もあって古いものはよくあるので、助かることもしばしば。一長一短である。最近はよくお世話になっているので、気持ち的には薄れてきた。まあ活用できるものは活用しようと。誤解を招くといけないので、個々がどうのこうのではない。学内で学生時代に会った人に印象は起因している。今は知らない。

 

人の「死」

いつかは通る道

職場の近所の方が亡くなった。雑談も多くしたし、ランチもよく行った。夜もたまには飲みに行った。81歳でお亡くなりなったから、年齢的にはそういう歳になんだろう。最後の方はお身体を壊され、入院続きのようだった。現役時代はバリバリで迫力もあったし、仕事もすごかった。それを象徴するかのように、葬儀も今どきにないくらい、多くの方の参集であった。いつかは通る道とは言え、別れは寂しいものである。やはりほんとに近親者が亡くなり始めた。よりよく生きる、そして自分の中での基準で「人生よかった」と思えればと最後は思うが、どうだろう。悲しい別れに合掌!ありがとうございました。

逃げてはいかん

小テストの巻

大学で小テストを実施した。大学は論文を書きに行くところだという理念を捨てて、今年は加点方式での実施。試験に出るところまで披露しや大盤振る舞い。さあ結果は?だいたいはできているが、出来ていないやつもいる。明らかに勉強をしていない。やる気がないのはやりようがない。子供でもあるまいし、大学は別に行かなくても、働いてもいいし、専門学校で資格をとってもいいし、生き方はさまざま。一番いけないのは、欠席である。目の前の困難から逃げることだ。勉強ができる、できないはいい。できなければ、人の2倍、3倍やるしかないだろう?、出来ない自分と向き合って成長させるのではないか。もう子供じゃないぞ!といって鼓舞するが、何人かは毎年、響かない。結局、自分のことは自分で落とし前をつけないといけないのよ、親は助けてくれないぞ!こんな思いでいるのだが、「甘く」向き合う気もない。突き放すこともやさしさと思うし、ここを乗り越えないとだめだと思うから。もう少し小テスト、点数取ってほしかったな・・・。

社会心理学の援用

手掛かりになるかもしれない

今年は今年でしなければならないことも山積しているが、来年、一つ取り組もうと思うものがあって、ツラツラ考えた。心理学的な概念を述べる必要があるのではないかと思い、手掛かりがてら読書。この先生は習ったことがあると思う。そもそも心理学は興味のある分野ではあったが、フラッシュバックのように戻ってきた記憶。一般書で書かれてあるので、導入にはもってこいの書籍、タイトル通り、とってもわかる本である。僕の課題解決の活路になるかも。

 

兵庫県知事選

地上波の終焉

地上波をはじめ、オールドメディアの荒廃が加速している。明らかにこちらがフェイクにニュースとなり、メディアが選ぶ「正解」へ紐づけてきた今に「NO!」が言い渡された。東京都指示選挙からネット、SNSの活用とその情報ソースの重要度、見方が変わった。確かにすべてが正しいと言わないが、「いいこと」だけではなく「悪いこと」も発信して、有権者が判断する。明らかに地上波が足を引っ張っている。CMを打つ企業も今後は地上波に出稿すれば、企業イメージが下がるということにもなるかもしれない。今回、斎藤知事が圧勝、0打ちである。オールドメディアがほんとあり方を変えないと、見放される日は来るかもしれない。メディアの「正解」は、都合の悪いことを隠すのではなく、公正公平にさらに真実を伝えることだ。そこに欠如した答え、吹き溜まりが今回の選挙になった気がする。選挙のあり方も変わる。今回の旋風をどう受け止めるのか、さあ見ものである。

趣味がない

素敵な人生の彩

ほんと僕には趣味がない。登山でもいい、陶芸でもいい、なんでもいい。そうした非生産的で楽しめる趣味というのがあればいいなと思う。あまりにも自分にないので、蕎麦好きな人と「蕎麦屋紀行」、いわゆるグルメツアー、灯台好きな人、いわゆる灯台巡りツアーとか、人の趣味に付き添うこともする。人としても幅であったり、楽しみで会ったり、その部分の欠落が僕には多い。仕事ばかりというほどでもないし、子供もだんだん大きくなり、手も離れつつある。じゃあ残された自分はどこに?嫁と散歩?ああでもない、こうでもないとまた考える。案ずるより産むがやすし、とかく50歳を分岐点にと思い、40代をすごしている。今すぐやればと思うかもしれないが、ほんとに今は余裕がなさすぎる。