同窓会再考

母親を連れて

母親が同窓会に行きたいというので、庄原へ。雪が降るので、スタッドレスも急遽履き替え。大変なスケジュールとなりました。母曰く、70歳も過ぎたので、最後かもしれないと皆さん集まることになったそうだ。僕は同窓会というものに全く行きたいとさえ思わない。過去にも書いたことがあるが、①基本的に成功者が主宰する、②妬み、嫉妬もあるが、それ以上にその人が良くなっていることも悪くなっていることも見たくない、③その過去の一時点を線にする必要はない、そんな所管である。だから僕はうらやましくもないし、嫌悪感さえある。誘っても欲しくない。ただ周りの行動において、どう行動しようがそれはいうつもりがない。あくまで自分の基準でいいのだ。母は参加してよかったと言っていた。それはそれで僕はいいと思っている。久しぶりに庄原の風景を見れてよかったな。少ししか過ごしていないけど、やはりふるさとはいいものだ。

年齢がタイトル

ミドルな微妙な年齢

最近、年齢がタイトルにある書籍や雑誌は気になる。40台で言えば、もう少しで終わり、50歳も近いので、40歳、50歳と書かれているものである。40歳をユングは人生の正午といい、今の僕は午後にあるが、真意はこの通りである。「午前の太陽は昇る勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背後においやられたもの、影に隠れてしまったものがたくさんある。それらを統合していくのが40歳以降の課題」としているという意味で、これからの人生の景色や風景は違うのであるということ。この手の書籍はこれからも手に取りそうだ。人生、充実或る過ごし方をしたいとかねがね思っているので、何らかのヒントになるような気もしている。もう少しセルフィングすることになろう。

 

ボジョレ解禁

頂き物

ボジョレを今年も頂いた。すぐに飲まず、正月に嫁さんの実家で頂いている。あまり好んではなまないが、たまにはいいもの。昔、ボジョレを何年か置いてみたら、味がよくなり美味い酒になった。ボジョレ解禁→すぐに飲むという風習よりも少し寝かした方がいいのかもしれない。それにしても、酒で思い出すが、忘年会等、ちらほら声がけを頂くが、予定的に結構しんどくなってきた。できるだけお酒の機会は減らそうと考えている。これは体力、資力もそうだが、時間の浪費が一番大きく、影響が大きい。そんな意味で時間配分を考えないとなと思うところ。ボジョレ2023は楽しみに飲んでみたいと思う。

たまには飲みに出よう!

話をするということ

一度、一杯という話でとある金融機関の方と飲みに出た。最近はあまり金融機関と交流がなくなった。なくなったというよりコロナもあって、組織としてアフターの制限もあったし、行動様式も変わったことから必然的に行かなくなったのが正しい回答になろう。しかし時は経過し、いろんなことが起こっているわけでこうした交流もやはり必要なんだなと改めて思ったものだ。少しずつ一人の時間を増やそうとする自分と、どこかで人と交流しないといかんなと思う自分と分裂感はあるが、やはり学びも多い。酒の席で円滑に人としゃべることも大切なんだなと改めて思った夜であった。

政治もむちゃくちゃだ

何がしたいのかが見えない社会

昨日、大臣くらいの賃上げが衆議院を可決し、通過したが、今の社会が政治家の皆さんには見えていないんだろうと思う。インボイスにせよ、社会保険の増額にせよ。いろいろ不満も多い。この際、本当の数字を透明化して、国民の開示すべきではないかと思う。本当にお金がないのならないなりの政治をするべきだろうし、もう先進国ではない現実を正面から受け止めるべきだ。いつまで先進国ずらをして生きるのか、不思議でならない。今、政治が何をしたいかが見えず、難破船に国民が乗って、航海しているようなものだ。わかりやすく国民に開示し、その中でできることを一つずつ組み上げていくしかないのではないか。法人税は増税していいと思うし、インボイスは廃止すべきだとも思うし・・・。ほんと今は政治には絶望感でしかない。

喫茶店時間

一息の時間

喫茶店は最近はよく寄る。一息つくのもあるが、論文を書いたり、勉強したり、本を読んだり、スケジュールを整理したり、打ち合わせしたり…。、いずれにしても一度、動いている時間を止めて、整頓する時間である。在京時は喫茶店が好きでよく通っていた。最近は忙しいながらもどこかでこういう時間を作るようにしながら、できるだけ一人でいるようにと思っている。昨日は打ち合わせであったが、会話も楽しむ時もこれも必要である。歳を重ねてどこかで喫茶店はやってみたいと思う仕事である。そのときは「食べる」ための仕事ではなく、「生きがい」としての仕事になればと思うのだが、資金的にもそう余裕のある生活が待っているとは思わないが・・・。いずれにしても、スイッチの切替は喫茶店のみならずである。

 

小学生最後の誕生日

早いもので12歳

昨日、生まれてきたような感覚もあるが、長男、小学校最後の誕生日を迎えた。12歳もなると一丁前である。オオカバチもたれるし、立派なものである。これから大人になる境であるから微妙な歳になってくる。ここからどのように自分を構成していくのかは重要であろう。かといって僕自身がうまく立ち回れたわけではない。なので、ここはうまく乗り越えてほしいなと思う次第である。僕が正解ではない。自分自身で開拓していってほしいと願う次第。そして、誕生日はお母さんに感謝する日だぞ!そこは忘れないでくれ。お誕生日おめでとう!

国家資格へ

そろそろ日本語学校にも

昔、取得した日本語教師の資格が役に立つような立たないようなというか、三原日本語学校には僕も籍がある。計画通り入学されて、学生も増えてきた。そろそろ教壇にとも思うが、なかなか時間も取れない。来年から制度が変わり、日本語教師も国家資格となるので、どうも一部試験を受けないといけないようだ。ちょうど過渡期にもなる。日本という国家があまりにも今、ひどいので、どこかで海外へと本気で思うとき、日本語教師は武器にはならないかと思うのだ。過去にやったことが活かされるかもしれない。そう人生には無駄はないのだとしみじみ思う今日の訪問。

行動の原動力

目的がないと動けない

未来の自分は今の自分が創造する。そう考えると、「今」どうあるべきか、どう動くのかが重要になってくるわけで、やはり日々の堕落や怠惰な自分とどう向き合うのか、なかなかきれいごとでは動かないのもそうであろう。僕も考えると、徒に日々が経過しただけで、果たして年相応に生きて来れたのか、そんなことをふと思う。やはり目的がしっかり定まって生きていないと、小さいころに強制された学校の宿題をこなすという作業では大人になってからは通用しない。しかし、ドリル的にこなす時期も必要であるのは間違いないが、やはり目的を高く持ち、それに向かって努力する。そうなければならないと思う。人に言うようで、実は自分に戒めている。起伏が激しい今の自分にどこか心を静めながら、爆進しなければという起爆剤を欲している。なかなかだな・・・と思いながら生きている。

谷口正和先生を偲んで

足跡の確認

立命館時代にお世話になった谷口正和先生の回顧展が今週末にある。招待状をいただいたが、どうしても今回、上京が叶わず行けそうにない。散々、お世話になったのに、最後のメッセージの場にも入れないとは、不義理でしかない。昨年、僕の誕生日にお亡くなりになった。なので、なおさら忘れることがない。立命館のとき、授業後に飲みに行くのだが、8回授業あって、8回とも僕は行った稀な学生であった。先生曰く、4回目と8回目は交流するように考えていたようだが、僕が引っ張っていろんな話をした。谷口先生の出版社からも書籍を出させてもらった。「構想力」とよく言われていたが、今の僕はどう先生からは移るのかはわからない。しかし、一生懸命生きているつもりだ。天国から見守ってほしい。立命館大学院の一番、熱い時期にお会いできたのは幸運であった。いい学びと時間を僕に与えてくださった谷口正和先生に感謝したい。