「もうダメ」だの向こう側

言いすぎるのもよくないとわかっているが・・・

中学生になる長男とは衝突する。何かと理屈をこねる。僕もその口だが、長男の将来を憂う。母親も甘い。自分で危機感を抱き、向上心を持たないといけない。難関高校、難関大学へ行くことが成功ではないが、選択肢は広がるのは確かである。なので、ひとまず学校のことはしっかりやる。別に学校に行きたくなければそうすればいいが、行くのなら誰にも言わさない結果を求める。何故かすぐに物事をあきらめる。もうダメだの向こうにまた「ダメ」がある。でもそれを乗り越える。この繰り返しである。自分の人生は後悔だらけである。だから同じ轍は踏ませたくないが、同じように進んでいる気もする。しかし僕はもう少し勉強をしていたとは思う。ハングリー精神を持てないのは親が与え過ぎたという僕の責任である。渇望する状況で現状を打破しないと次はない。だから歯を食いしばってほしいものだ。やはり夢、なりたい自分をみつけることだ。軌道修正してもいいが、ひとまずそれに向けて頑張る。学ぶ環境があることは幸せなことである。僕はまだ勉強している。まだ人には追い付かないからである。若い頃のマイナスはまだプラスにならないのだ。つらい、しんどいと思っても、頑張っているやつがいる。出来る奴がいる。そいつらも努力している。だから2倍、3倍やらないと追いつけもしない、追い抜けもしない。自分を律して戦え!息子に言いながら自分にも戒めながら、子育ても深く悩む。

ずぼらな人の対処法

困ったものです

期限のある仕事をしているので、タイムスケジュールにはかなりうるさい方だと思う。日頃からコツコツやっていればそうでもないのに、つい後回し。こういうパターンの人は仕事が出来ない人である。言い訳の仕方にはなれるのかもしれないが、駆け込み寺タイプは何を主張してもダメ。他の論点にしようするが、ここからは逃げられないのに、突くと痛いのだろう。やっぱりダメな人というレッテルになる。会計の仕事をしているとよくわかるものである。もう大人なんだから子供のようなことは言わせないでと思うが、このパターンの方は非常に多い。だからといって僕が優れているというわけではないが、先延ばしがよくないのである。すぐやるという心構えから習慣を変えるのである。

図書館でのこと

頑張る姿

大学の図書館はよく活用をさせていただいている。論文書いたりとまだまだやること山積みで、あれも知らない、これも知らないと、「無知の知」を感じざるを得ない。大学の図書館にいると、若い人が勉強している。遊びたいだろうなと思いながら、おじさんも負けてられないと思い、刺激をもらう。しかし、大学も偏差値に反映するのだろう。偏差値の高い学校は多くの学生が図書館で勉強をしている。逆に低い学校はまず学生がいない。この前は一人いたけど、ゲームをしていた。迷惑千万、注意しようと思ったが、アホらしくなってやめた。こうやって「差」が出てくるんだろうと感じる。できれば僕も楽をしたいと思うが、そんな簡単に人生幾くらいなら努力はしないのである。頑張った自分だけが助けてくれる。人任せではいけない。自分の子どもにも伝わればいいなと思うが、やはりゲームなど楽な道に逃げる。可能性を芽をつんではならないと思うのだが・・・・。年取ってからではなく、今、気づいてほしい。図書館にいるといろんなことを思う。

リスキリング

教育訓練の拡充

10月1日より特定一般教育訓練給付金、専門実践教育訓練給付金の拡充される。劇的に給付金が上がるわけではないが、傾向的にはいいことだと思う。失業者の手当として考えるだけではなく、在職者のキャリアアップを図ることへの支援はもっとやった方がいい。社会人大学院を通った者(他で教育訓練を使ったので大学院では使っていないが)としては、精度支援があればやはり使うし、やる気も出るものである。手続きの煩雑さを回避してくれれば、ありがたい制度であるのは間違いないだろう。50代になれば、新しいことを考えるかもしれない。違う景色も見たいし、目標あってこそ世界が広がるので、拡充をさらに進め、人への投資は考えてもらいたい。

書店振興

デジタル化の功罪

経済産業省が書店振興に支援策を検討するという記事を見た。書店の利益率の問題やインターネット書店との競合といった点が報告され、書店の経営も圧迫、ひいては書店の廃業など書店が減っているとのこと。つまり、書店で本を手に取ってみることもできないことや、購買者層も減っている、書店にそもそも行かないなど書店離れも事実としてある。本好きな僕であっても書店に行きたいが、ゆっくり回る時間がない。それゆえ、アマゾンなどインターネットで購入のケースは多い。本当は神保町などぐるぐるまわりながら貴重な書籍にありつきたいが・・・。支援策を講じるようだ。果たしてどうなるのか、気になる記事であった。

幅を広げる

日本語教育、再稼働!

来年度から日本語教師を再開予定。とはいえ、少しのコマだけですが、プレイヤーとして。日本語教育系の話も僕に問い合わせも増えてきました。2024年からは国家資格になるので、移行期間で再勉強も必要ですが、現場の先生はその勉強時間を確保できるとは思えず、理想と現実にぶちあたっている気もします。奉職先もちょうど10月入学の学生も順調に入学してきました。久しぶりに日本語教育関係者とも談笑。学校経営の方が僕には魅力的な仕事で楽しいのですが、少しだけプレイヤーをやるのがちょうどいい。日本語教育関係者とは少しずつ交流を深めようと思います。あっ、会計学や農学系は辞めたわけではありません、継続中ですが、これはご専門の先生方に委ねて、僕は楽しい人生を過ごすことに注力したいと思う次第。

最近興味のあるテーマ

手つかずかもしれない

最近、実務でどうも会計がわからないので、いろいろ調べてみた。一般の会計とは違う、いわゆる「コンビニ会計」たるものが存在し、知らないと財務がわからないというカラクリ。これほんとにわかっている人いるんだろうか(かなり少ないのではと思うが)と思うほど、わかりにくい。会計を知っている人が会計を見るよりも知らない人がはじめて「コンビニ会計」を学ぶ方がスムーズに頭に入るのではないかと思うような気もする。実務で問題意識を持ったので、一本くらいは「コンビニ会計」を論文にまとめようと思う次第。来年あたり学会報告もするかな・・・・。

 

 

 

講義前の楽しみ

通過都市であったが・・・

岡山も非常勤をして4年目。岡山の土地にも慣れたし、楽しみも覚えた。時間があるときは早めに岡山に入り、ランチをする。そして美観地区を歩いたりと心を余裕を作る。そうすると見えてくるものもあるし、あっ!これだと思うようなひらめきもあったりと。そんな時間がないとなかなかいい方向には事は進まないのである。社会人になると、生産性を問われる。そうなると、効率性も当たり前に求められ、結果を求められるが、物事には急がば回れの時もある。しかし、目の前のことをとにかくこなすという時にはいいことになっていないことの方が多いと思う。そんなことで「岡山」はいい気分転換にもなる。授業も気持ちよく望めるというものだ。美観地区は何度歩いてもいいなと思うし、ランチも結構楽しめる。

高収入の職業

大学教授は稼げる?

高収入ランキングを見ると、1位:航空機操縦士、2位:医師、3位:大学教授、4位:大学准教授、5位:弁護士だそうで、トップ5の中に大学の先生は2個もランクインしている。実際、恵まれた職業ではあると思う。時間の自由度は高い方だし、収入も高い。研究費も出て、長期休みもあるなど、他の職業と比べてもそう思う。しかし、大学の先生はぶーぶー言う人もいるが、他を知らないだけである。社会的地位も高いし、基本頭を下げる仕事ではない。そうしたことから僕も転職をと思わなくもないが、この歳になると65歳定年といわれると、75歳まで現役とすれば、10年間の社会人としては余暇を楽しむことになるが、それでは困る。お金の面、生きがいの面、もうこの歳であれば、マイナスである。少しだけ大学にはかかわるという程度が好ましいと思うものである。大学の業界も厳しくなり、閉校は進む。頭でっかちのインテリの未来は明るいのかと思うが、今それでもいい職業であることは否定できないのだ。昔、こんな本も流行ったものだ。

 

 

 

踏ん張れない

ダメな典型

決断ができない、物事から逃げる、踏ん張れないなど、ダメ人間は近くいないだろうか。もちろん自分が「よい」「できる」人間とは言わないが、そう感じる人間を見ることはあるだろう。(俺は仕事ができるが、上が馬鹿だから」とかいって、上には上がれないとひがむが、実はそうではなく、やはりその人は「出来ない」人間なのである。仕事だけではなく、人間を見る。総合的にみると、やはり欠点が多いはずである。果たして仕事も出来るのかは定かではない。40歳あたりからキャリアでも「差」がはっきり出てしまう。歳をとってから顔が出来てくるが、出来ない人間は冴えない表情であろう。自信が自分に持てないのだ。誰かが僕を助けてくれる、白馬の王子様がやってくるなどという桃源郷はない。自分で頑張って切り拓くことでしか未来は作れないのだ。こう書きながら自分で自分を戒める。ダメだなと思う人間はどこにでもいる。自覚がないのだから、それはそれで幸せなのかもしれないが・・・。