時の経過を感じる

退任祝い

いろいろお世話になった方が退職されるとのことで、ご挨拶へ伺った。コロナもあったので、空白の時間も多くなったが、まあ一時期はよく一緒していた印象がある。懐かしい話も今からの話も、現在の話も談笑しながら、会話を楽しんだという感じだ。あれこれいろんなことがあるので、失礼している方も多いと思うが、できるだけ配慮できるようにとは思っている。ちょっと落ち着いたら一杯やろうという話で、今日の続きを楽しみたいと思う。この方ももうそんな歳かと思うと時の早さを感じざるを得ない。

お誘い多く

忙しいときに忙しく重なる

野球を見に行っている場合ではない。とかくあれやこれや忙しいときに輪をかけて事が起こる。人生ってそんなものと片付ければそうかもしれないが、そればっかりではない。まあいろいろ。終われば繁華街へという運びで遅くなるのだが、たまには(僕はたまにはではない気もする)である。たまにはいうのは、たまにしか会わない人と行くので、たまにはなのであり、たまにしか出ない人はたまにはを味わいたいわけである。言っても仕方ないが・・・。さすがに歳をとってきているので、次の日は堪える。ほどほどにもしておかないと思う50歳近い僕。

嫌になる

いつも衝突する

子どものゲーム、ipadなどのやりすぎでいつも口論になる。夢中になるのもわからなくないが、明らかにやりすぎ。いつも注意することになるが、ほんと勉強をしない。しないといえば、御幣がある。わずかだけするという感じで、ほんと先行きを重んじる。もっと本を読むなどの活字に触れるなどやってほしいと思うだが、ゲームなどを優先される。これ異常ですよ。本を読めと言われれば、アニメ。アニメも悪いわけではないが、そればかりではよくない。自分の子どもだけに諦めきれないところもあり、情けなくもなる。いつもゲームを捨てる論争になる。百害あって一利なし。他の家はどうなんだろうと思うが、昔から言うように、うちはうち、よそはよそである。

宴席

ふっかけているわけではない

なんか酒を飲みに行こうという人が多く、何個かは断ってもモグラのように新しくお話が出てくる。なぜそんなに飲みたいのかと思うのだが、飲みたいんだろうね・・・。まあそんなこんなで飲みの席は多いですよ。まことに。出ないと先細り感はあるので、たまには思うが、どうも億劫でねというのが所感。そんなこんなです。思うにどうも何かを動かそうとしている人、たまには接点を持ちたいと考える人、行きずりのような人、まちまち。いずれにしても6月戦線は忙しそうだ。

何事も勉強である

お金の勉強

息子と株式投資の話をしたが、やってみるものいいね!と珍しく息子が乗り気である。好奇心は旺盛である方なので、こういう面はしっかり伸ばしたいと思う。なにせ僕の子である。小さく差育ってはいけない。あれやこれや考えるが、やらせてみるのが一番いい。案ずるより産むがやすし。どう勉強するのかというのもあるので、その辺の進め方は考えるにしても、とてもいいことなのではないかと思うのだ。お金の教育は2022年度から教育面でも強化する方法で進んでいるが、実際は教える人がいないのも現実か。いるけれども、学校現場には入っていかないのだろうと思うので、ここは親の出番かとも思いつつ、楽しみになってきたというのが僕の所感である。

 

デジタル終活

徐々に

モノは使いようとも思うが、最近見た記事でデジタル終活たるものを読んだ。今の時代。個人でSNSをしていることもあり、残された者はそのすべてを知り得ない。その整理を生きているうちにしていくというものだ。SNSをやることは情報も入ってくるのもあるが、それを知ることでリアルで会っていないのに会っているような感覚もあるし、それがよしとする人もいる。僕は新鮮味に欠けることもあるので、これは辞めていった方が幸せな気がしているので、どこかの区切りを持つことも必要ではないかと思う。このブログもそう。まだ50歳手前で早いだろうと言われるが、時が経過するのは早いので、まずはフェイスブックから卒業を図りたいと思っている。それにしても、デジタル終活。これ結構、大切なんではないかと改めて思う。

残暑の集中講義

蘇る「夏2024!」

今年の夏も県立広島大学でブランド論の講義に招聘された。今年で3年目で最後になる模様。一応、農業会計学の専門になるので、マーケティング系に呼ばれるのは最後になると思っている。まあ専門違いではあるが、実務的にはこんなことをしているわけで、まったくのずぶの素人ではない。ただ県立広島大学の学生のレベルは高い方なので、それなりの仕上げが必要である。偏差値が下がるからと言って、手を抜くわけではないが、どうしても話す内容が変わってくる。そんなこんなで暑い夏が今年もやってくる。おおむね最初の仕込みは済んだかなというところ。

 

生産と経営のバランス

農業経営者の時間配分

日本農業新聞で経営のツボというコーナーがあり、たまにUPされる。今日、たまたま掲載された記事であるが、農業生産と農業経営のバランスたるものを整理されているが、結論を言えば、こうだ。「これからの農業経営者に大切なことは、農業生産の力を落とさずに農業経営の時間を確保し、自らの農業経営力を高めていく」ということになる。儲かる農業経営の実現の本質が農業生産にあるということを言われているが、6次産業化など加工に走るのではなく、根幹がやはり生産事業をどう構成して経営していくかということになる。どうも生産事業を軽んじるような傾向に踏み入りがちであるが、やはり基礎基本に立ち戻り、農業経営をしていくことに他ならない気がする。農業経営という観点への意識は強めることは必要であるが、自己点検は基礎基本からである。

 

子どもの関心

好奇心にこたえる

娘がキャンプに興味があるらしい。テントで一夜を過ごすという体験。僕があまり好きではないので、なかなか達成はしないが、子供たちだけでそうした体験をさせてくれるところがあるようで、行ってみるようだ。知らない人と過ごすことも大切な営みではないかと思うし、たまにはいいのではないかと思う。一緒にご飯を作ったり、いろんな作業を共にしたり、いい経験になると思う。うちの子どもはどこかチャレンジングなところがあり、時々突飛なことを言う。子供に一つずつ答えながら、成長を見守りたいと思う。

ビジネス構造の頭の働かせ方

頭にある財務の視点

これは職業病もあるであろうが、どうも「仕入」を伴うビジネスの頭の働かせ方には弱い気がする。アイスクリーム屋も長年やっていたが、日ごろの役務の提供をする仕事に従事していると、仕入がないわけで、数字がどう動くはわかっていても、前提が違うことをふと思うことがある。仕入が伴うと、「モノ」に対して付加価値をどうあげていくのかを考えるし、「サービス」であるならば、専門という付加価値である。前者の方が売上高としては高くなりやすいが、利益率と考えると、後者の方が高いわけである。まあそんなことを考えていると、あれこれやっても何でもできるわけではないなと当たり前の帰結にたどり着くことになる。意外にできることが多いようでできないということなのかとも思いつつ・・・。日々雑感。