函館にて
毎年、大学院のときにつくったグループでの旅行をする。別研という名前で2006年から。コロナで中断はあったものの、毎年のようにどこかへ行く。今年は「函館」である。1泊2日でずっといるといろんな話もするし、人間関係も濃くなる。酒をたらふく飲み、美味しいものを食べて、観光。素敵ではないか、こんな時間。とても贅沢に過ごすことができる。これだけでも立命館に通ってよかったと思えることだ。旅行に関しては普段いかないようなところばかり行くので、新鮮さは抜群である。来年は静岡。楽しみに1年を過ごしたいと思う。
期待感いっぱい
前安芸高田市長の石丸さんが東京都知事へ出馬される。一度、会いたいと思っている人だが、昨日の記者クラブでの映像をみたら、ほんとびっくりした。「政治屋の一掃」というインパクトある言葉、そしてキラーワードの「恥を知れ、恥を」と決める。まあレベルが違うなと感じた。たぶん普段会うと、賢いさわやかな青年、年下だから少しだけ先輩づらしておちゃらけることもできるんじゃないかと思う人柄のように思う。しかし、仕事になると映像で見るようなキレキレ、妥協のない仕事ぶりになるのだろうと思う、まあこれは予想としてだが、期待感いっぱいで見ている。こういう人が出てくると、選挙も行きたくなるよねと思う。さあ今日からすべての候補者にエールを送ります。
自分の「器」
大きくもなく、小さくもなく。あるいは大きく!とか会社ややることなどあると思うが、やはりそれぞれにある個のちょうどいいところがどこなのか見極めることが必要である。温度がわからないと結局、いいことにならないのではないか。この前から大きなことを言うが、その中身に客観性がない、つまり数値化できない人が多く、これを何度いってもダメな人はダメなのだ。ダメと言うよりカルチャーが違うから、言うだけ無駄なのである。自分の「器」を考えるにあたって、自分での把握もあるが、第三者への伝えられる内容かどうか。だから大きくしたくてもできないとか、できてもしないとか、その判断枠組みは持った方がいいよと思う次第。そんなことを考えることが最近は多い気がする。
長女と
3人の子どもがいても、どこか行こうというと長女だけが乗ってくる感じになっている。昨年も長女と見に行ったが、奇麗だったことをよく覚えていて、じゃあ行こうかという話になった。アジサイを見ると、鎌倉に行きたくなる。心が和む時間であった。花は人を幸せにするんだなと感じる瞬間である。今年は春にチューリップを見ようと思っていたが、行けなかった。そういう余裕を持って生きないと思うのだが、なかなかそうも生きていけてないのが現実。そんなこんなでいい気分転換になりました。
あれこれ話して
岡山も長いことお世話になるようになり、思い入れもある街となった。広島から岡山という距離はさほどないが、通過するだけ。関西へ東海へ、関東へというところを目指すのならただ通るだけで、途中下車もすることさえない。そんな土地柄であったが、大学でお世話になってからはほんと頻繁に行くので、だいぶ馴染みもできた気もする。2軒目。僕のかねがねから行きたかったアマバー。ようやく行けることができた。こんな場所が広島にも会ったらいいな(あるのかもしれないけど)と思う、いい場所だった。
6年で7倍だそう
先日、住んでいる町で「給食無償化」をセンターピンで公約して当選し、町長になったが、そうはならなかったということに苦言を呈したが、先日、文部科学省が実態調査結果を公表した。とすると、6年で7倍が自治体の導入事例となっているようだ。それでもまだ給食無償化には程遠い。無償化の目的は、子育て支援が90パーセント、少子化対策9パーセント、定住、転入の促進が5パーセント、食育の推進が3パーセントと続くようだ。財源では、自己財源が66パーセントのようで、自治体の財力が強いところができるのかと思うところ。実際、3人子供がいる我が家は無償化は助かるが、現実は出来ないだろう。なので、「嘘」のつかない政治をしてほしいと切に願うのだ。給食も公費が入って、安価に子供が食べることができる。そして何より食べているのだ。そこではない学校が徴収する諸費を公費を援助するように持って行くべきだ。算数ドリルや文具といったものを毎月のように請求が来るが、これは直接的に学習に影響をするし、給食費と比べれば、自治体負担も安いはずだ。そんなことで、子育て支援にはあまり注力しない子の国に、自己責任という負荷があるが、一方で仕方ないと思っている。だからもう一度、「嘘」のつかない政治。そして持続可能な運営のためにどうすべきかをもっと見えるようにと願い次第。
中山間地域へ
少し遠めの農業法人へお仕事。まあいろいろ話していると、あれこれ出てくるもので、いいコミュケーションが取れたのかなと思う時間でした。内容は言えないけれど、たまに農業の現場に行き、学びを得ることをしていかないといけないなと思いながら、どうしても農業の仕事になると、ちょっと遠めの位置にあることから時間がとか言い訳となることもある。まあそうは言わず、動かないと改めて思ったところ。農業の仕事もまだまだやりますよ。写真は道中でランチ。
効率的な時間の使い方でもある
子供らがボーリングをしたいと言う。どうも学校でそんな話になったようだ。確かコロナの時に一度連れて行った記憶はあるが、それ以外はボーリングの機会はなかったような気がする。よくよく考えると、室内なんだから雨の日にはボーリングはとても適している。さらに朝にやると割引が多く、メリットは大きい。安く遊ぶことができる。朝早くやると、その後の時間も有効に使える。これはしめたものだと感じたものだ。いろんなことをやっていれば、それなりに素養も増える。そんなことを思う休日の時間であった。
連絡無精の人の対処法
たとえば、電話をする。取れない→折り返すといった流れが通常である(遊びとかでなければ)と思っていたが、あまりにもそれが多くなった。相手がどのような状況かは計り知れないが、即座にという話ではないので、それはできるのではないかと思うもの。そうはないようだ。電話をする、メールで記録を残すといったこともするが、僕と関わりたくないんだろうと思うので、それも辞めていこうと。逆にその相手から連絡があっても、もう折り返しもしないし、受信もしないようにしようと心に決めた。それで悩むのはバカバカしいし、その人は連絡が出来ない人なんだと割り切った方が効率的である。仕事の上でこの件が起こりうることが多くなったので、たぶん僕を馬鹿にしているんだろうなと思うのだ。これはうがったも方かもしれないが、そういうことが多くなり、ストレスでしかなくなっている。すべての人と付き合えるわけではないという事実を正面で受け止めるようにしようと思う今日この頃。
遠くからの来客
4月に引き続き、MBA時代の同期が広島に来たる。連絡があって、お好み焼きをほおばりながら談笑。今回は、僕も参画しはじめた一般社団の方と引き合わせた。たぶん合うだろうなと思って、ご一緒できたが、ずっと笑いの中の真剣さ。なんやねん!って思うだろうが、建設的な会話ができたように思う。一見、繋がりがないようなものでも繋がってくる。今回は親和性の高い話であるが、その時その時で出会いも別れもたくさんあるものである。キーワードは楽しむことだろうか。まあいい夜であったことは間違いない。