
時代はオンライン
コロナ渦の中、大学の講義依頼をいただいた。ありがたいことである。ただし、対面授業ではなく、オンライン講義である。オンラインでもできるだけ学生にも当てるようにした。資格取得などの目的と大学の講義は違うと思っているので、そういうようと取り組んだわけだが、オンラインになると場所を選ばないことになる。つまり、全世界どこでもということになると、広島にいながら東京の大学在籍にという通信制の進化版になろうか、こういう理解もできる。とするならば、居住地から動かず、留学だけを他のところに行くということも可能で、仕送り分をプールしていけば、より豊かに学生生活を送れるかもしれない。住まいを変えて、環境を変えるという素晴らしさは享受できないが、こうした考えもありだろう。今回のオンライン講義は僕自身も勉強になった。これからそういう機会が増えるのかもしれない。時代も変わっていく。こうなると大学がなくなっていくのも時代の流れであろうか。

平和であること、戦争のない日常
広島に生まれ育った人間として、やはり思いのある今日。コロナ渦で混沌とはしていているが、戦争のない平和な日々を続くこと、特に思う。75年も経過すると、やはり風化してくるものの、語り継ぎ次の世代でも戦争の悲惨をへ伝え、戦争のない世の中にしていく、大切な継承と思う。コロナもあって、世界で戦争があるような気がする。中東でも続いてはいるが、戦争で得たものは何があるのか。敗戦国だからそう思うのか。いろんなことを思う。広島から大切なメッセージをいつまで送り、住みよい世の中になればと本当に思う。

実務家がダメにしている
実務者として、博士号を取得したが、やはりプロの研究者とは違う。それはまずもって、①研究者で生計を成り立たせていない。②キャンパスで育った学者はやはり理論研究など文献学の領域ではかなわない、といった点で違う。①の点がやはり大きいと思っていて、やはり研究者というように自分で言えるというのは全く違う。僕は博士号を持っていても、自分を研究者とは言わない。もどき程度である。大学というところはやはり論文を書きに行くところだと思うので、その訓練をたゆまず続けてきた人。社会人から教育業界に参入する人もいるが、やはりプロではないのだ。そういう点で実務者がどんどん大学にというのは歓迎されているとは僕は思わない。歓迎されていない中、少し大学に係る程度がいいのかもしれない。やはり研究者というように胸を張れるにはまだ僕にも時間がかかる。

これはこれで
給付金、助成金、補助金などこうした申請書類を何件お手伝いしただろうか。コロナになってから、結構な数を支援していただいた気がする。自分のところもなかなか書けぬまま、忙しい日常が過ぎる。補助金などは各事業者にとっては、自社を見直したり、新たな展開をするということを踏まえれば、是非チャレンジした方がいい。それも自分自身で。人に任せると能動的な思考にはなかなかおぼつかないように思う。あれこれ考え、検討すること、大切なことのように思う。それにしても、コロナ関係でたくさんの種類があり、頭もパンクしそうである。情報がついていかないのもある。こんな時期だから書式も簡素にしてほしいと思うところであるが、公金が出ることを考えれば致し方ないのかとも思わなくもない。昨日の記事ではないが、今、踏ん張りどころ。みんな歯を食いしばっていこう。

沈んでいる今
「いつやるか、今でしょ!」と数年前、一世風靡したが、コロナ禍の今、そんなときのような気がする。とはいえ、GOTOキャンペーンを推進したりということではなく、事業者にとって、再浮上をするとき、回復時に向けて、今こそビジネス仕込んでいくという意味で。この僕もそのときのために動き出した。補助金を活用し、企画・立案そして計画、実行へ。あれこれ考えている。力になれるかどうかわからないが、少しは僕のところにも相談がある。僕なりにこういう手があるのではという話もする。結局のところは、自分がやるかどうか。また自分ひとりで解決できるのならそれが望ましいが、やはり誰かの手を借りるのが多いのではないだろうか。やはり桜の下でしか人は集まらない。苦しくても笑う。前を向く。なかなか僕がそういう人間かと言えば、そうでもないかもしれないが、そうなれるように努力する。今、真価が問われている。回復の兆しは一向に見えないが、回復した時に始めるのでは遅い。今、しっかり煮詰め、仕込む。行動する。旗手となって動いていきたいと思う次第。

井戸端会議
あるプロジェクトを始めるにあたり、打ち合わせを兼ねて食事をしようということになった。コロナ感染拡大が続く中、どうかとも思うのも思ったが、遅い時間からの集まりもあって、一杯やりながらという話になった。さあどのお店に行こうかといろいろ考えた挙句、事務所で持ち寄ってと言う話になった。イカを釣ってきたからイカを持ってくる、農家から野菜を小分けしていただく、豆腐屋から豆腐を・・・と集めていくと、豪華な食事会になった。もちろんいい話もできた。邪魔されることなく、我々の時間を十分に満喫し、気づけば5時間くらい井戸端会議。お店で飲み食いしていたら、すごくお金はかかっていたと思う。これからの時代は、「場」をどこに持ち、「場」を提供する。そこに「人」が集い、「情報」が集積する。密になるので、今時期は考えるところも当然あるが、再三、言ってきたようにホームパーティーの時代。持ち寄れば、またとない食事会になる。ちなみに写真は、農家さんから小分けいただいたとれたてのアスパラガス。規格外ではあるが、水洗い、焼いてそのままもしくは塩でという感じで食した。贅沢なパーティーであろう。とあるプロジェクトはそう遠くない時期に進んでいく。知の総合芸術というか、いい発信ができると思う。

テイクアウトで。
コロナ以前もホームパーティーの時代になるというのはかねがね僕は言ってきたし、そう思っている。コロナになってさらに家での過ごし方や人との集まり、会合は加速化すると思われる。飲食業も当然であるが、コロナの最中、今、ネクストにどう手を打ち、事業を展開するのかを考える必要がある。もちろん資金計画もそうである。飲食店などは開業から3類の仕出しの許可は創業時に薦めている。構造上、仕出しの許可ができる店舗と出来ない店舗があるが、できるように設計し、事業展開する。販売チャンネルを増やしておくことだ。コロナと食中毒の問題を混在する人がいるが、それはまったく別の問題で、コロナ苦境下においても、ダメなものはダメなのだ。事業者の経営もどうしていくのかはこれからより一層考えることが増えよう。この前、とてもおいしかったので、また黒焼 (広島市中区幟町)のオードブルをテイクアウトした。広島市内の仕事があったので、朝電話して、なんとか即席で作って下さった。見事なものである。味もかなりうまいし、子供たちがガツガツ食べて、あっという間だった。うまいものは子供もよくわかっている。テイクアウトは第二波で増えるだろうと思う。家庭料理もいいが、たまには外食でと思うこと、あるのではないだろうか。

コロナ感染者拡大どうする?
第二波とも言われるが、かなりの感染者数が拡大している。僕個人の考えで言えば、すぐにでも都市圏は止めるべきだ。経済との両立もわかるが、経済を立て直す前に転がり落ちるのではないか。マスクを配るとか、テレワークをして、GOTOキャンペーンをどんどんやろうとか、もう無茶苦茶である。情報が錯綜し、何が本当か、何が優先順位かがわからない。コロナの時代になったのは仕方ない、いややりようがない。だから今、やれることをやる。これしかないわけで、封じ込めないと医療崩壊も目に見えている。もちろん僕らも最大限の予防を続けるべきだ。取り返しのつかない前に、決断をしてほしい。地方の自治体の長の方がリーダーシップがあるようにしか見えない。他人事で進んでいる日本国、どうする?これから。

天候不順の影響
毎年、この時期になると、とうもろこし農家に行く。週末に行こうとしたが、この天候不順で早めの方がいいとのことで訪問させていただいた。日照りのなさ、雨が続くことによる農作業の遅れなど、いろんな作物に影響を及ぼしている。ニュースでも取り上げられているが、野菜の高騰はすさまじいものである。倍以上の価格になっているものもある。カット野菜の会社などは高騰した野菜はもちろん野菜が集まらないということもあるようだ。飲食店の仕入れも心配、食卓にも影響大。農業も天候に左右されるので、露地栽培のものなんかはやはり怖いなと思う次第。少し農家も回って話を伺っていきたいと思う。

会計の素人
僕も会計に携わってから、長い時間を経過したが、最初のころ、減価償却というものがよくわからなかった。また減価償却という言葉を聞くだけでアレルギーというか、いやなワードだった。当然のごとく、会計税務に携わる以上、減価償却から逃げれるどころか必須である。わからなかったのが、現金があるかないかということを念頭に置くと、減価償却の概念はドロップキックのような横やりというか、お金がでないのに、費用化する。経営者と話していても、昔の僕がわからなかった点と同様な出来事はしばしばある。わからないことは素直にわからないと言ったほうが後々、いいと思う。僕は話しやすいようにわからないことはわからないと素直に言おうというルールを設けて、仕事をする。減価償却にはその点で思いで深い概念である。大人になると、物事をいいにくくなる。こんな話をふと思い出したので、少しつづってみた。