2024年 の投稿一覧

雪崩のように運気が悪い

人には裏切られ、それでも生きる

ほんと小さないい話があって、ぬか喜びをすると、少しの時間で奈落に落とされる。そんなことが重なっている。人間不信にもなっているが、どうも落ち着いて検証すると、その人にその器がないにも関わらず、大きく見せた器や、あるいはその場しのぎのことが大火事になっているケースではないかと思う。たとえばと言いたいところだが、愚痴にしかならないので、辞めるが、あんまり「情」を出さない方がいいのかなと思ったり、人とのかかわりを辞めた方がいいかなとかいろいろ思うものである。先日、書いたが、「淡交」。これに尽きるような気がしている。嫌気がさすので、基本的に今は自分を塞ぐしかないように思うもの。ああ、何かいいことないだろうかと思うのだが。

旅立ちの時

新たな門出と寂しさ

人は環境を変えたいなと思うことはしばしばあるのではないか。僕も広島は大好きであるが、違う場所に移り住んで人生をやり直したいと思うことはよく思う。今は望みが叶うのなら東京に帰りたい。戦友が海外に就職すると連絡があった。出会ってからはたくさん助けてもらったし、気も合ったのでよく連絡もしていた。仕事的にはコロナも合ったりと苦しいことが多かったようだが、ほんと休みもなしでよく頑張ったと思う。一区切りついたこともあり、海外へ移住を模索していたが、彼の念願は叶った。しかし、一抹の寂しさはある。いくら多くの人と付き合っていても、そう気の合う人間は少ないものだ。そう思うと、旅立ちの応援と寂しさという心の渋滞はあるが、これも人生なんだろう。環境が変われば、また人生も変わってくるだろうと思う。

大逆転へ

猛追、あと一息だ!

一度、会ってみたいと思い、先日、選挙の激励をした。本人にも会えた。ほんと普段は年下の好青年で、政治になるとエンジンが入り、いい顔つきになる。歯切れもよく、先を見越しており、彼に都知事になってほしいと思うばかりである。自分の言葉でしゃべっているし、血が通っている。褒めちぎるばかりである。経済の手法で政治に参入しているように感じ、政治の世界でスーパースターになっている。今回、まだ現職が強いだろうが、奇跡をみたい。奇跡と言ってはいけない。現実に。今回、心を熱くさせられ、自分も頑張らないと思うばかり。さあ頑張ろう!

減少の加速化

農業問題

これは先日の記事であるが、本日の日本農業新聞でも農業経営体90万割という記事が出た。国内の農業生産をいかに維持するのかが課題となっているが、若手の農業参入には所得の低さもあるし、創業資金の確保などなかなか進まない。離農、新規就農・・・・・担い手の問題は大きいなと思うところ。集落営農を中心に研究をすすめている身としては、地域維持には必要な要素であるが、問題の繰延をしているだけで抜本的な解決はしていない。どうすればいいのか、おそらく農業の場合、事業を軌道に乗せるには7年はかかると思う。まずもって創業資金がかかりすぎる。ハウス一棟建てると、今や5000万円近い。軌道にのせるまでの支援をどうするのかをもう一度構成すべきと思う。食は人間生活の根幹を担う。食料自給率が40パーセントなら、60%は食べられないということ。輸入に頼るだけではいけないのでは?2割減と言えば、10000人から8000人ということ。100万人なら80万人である。そういう事実を受け止めるべきであろう。

君子の交りは淡きこと水の若し

2024年上半期を振り返り

昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。

漸く行けた

立命館時代の思い出

なかなか上京がままならず、谷口正和先生へのお礼が出来なかった。ようやく事務所へ参上することができた。コロナもあって、ご無沙汰していたが、生きたうちにもう一度お会いしたかったものだ。生前、あれだけお世話になりながら、恩返しもできず、これからこうご期待と言おう。まあそこまでにはなれないかもしれないが、もう少しもがいてみることにする。上京すると、あれやこれやあって時間が足りない。ほんと東京は過ごしやすい。ほんと引っ越して新たなスタートを切ろうかどうか考えるときもあるが、そういう風にはならないよね・・・。

大学院の集まり

函館にて

毎年、大学院のときにつくったグループでの旅行をする。別研という名前で2006年から。コロナで中断はあったものの、毎年のようにどこかへ行く。今年は「函館」である。1泊2日でずっといるといろんな話もするし、人間関係も濃くなる。酒をたらふく飲み、美味しいものを食べて、観光。素敵ではないか、こんな時間。とても贅沢に過ごすことができる。これだけでも立命館に通ってよかったと思えることだ。旅行に関しては普段いかないようなところばかり行くので、新鮮さは抜群である。来年は静岡。楽しみに1年を過ごしたいと思う。

モノの違い

期待感いっぱい

前安芸高田市長の石丸さんが東京都知事へ出馬される。一度、会いたいと思っている人だが、昨日の記者クラブでの映像をみたら、ほんとびっくりした。「政治屋の一掃」というインパクトある言葉、そしてキラーワードの「恥を知れ、恥を」と決める。まあレベルが違うなと感じた。たぶん普段会うと、賢いさわやかな青年、年下だから少しだけ先輩づらしておちゃらけることもできるんじゃないかと思う人柄のように思う。しかし、仕事になると映像で見るようなキレキレ、妥協のない仕事ぶりになるのだろうと思う、まあこれは予想としてだが、期待感いっぱいで見ている。こういう人が出てくると、選挙も行きたくなるよねと思う。さあ今日からすべての候補者にエールを送ります。

ちょうどいい「温度」

自分の「器」

大きくもなく、小さくもなく。あるいは大きく!とか会社ややることなどあると思うが、やはりそれぞれにある個のちょうどいいところがどこなのか見極めることが必要である。温度がわからないと結局、いいことにならないのではないか。この前から大きなことを言うが、その中身に客観性がない、つまり数値化できない人が多く、これを何度いってもダメな人はダメなのだ。ダメと言うよりカルチャーが違うから、言うだけ無駄なのである。自分の「器」を考えるにあたって、自分での把握もあるが、第三者への伝えられる内容かどうか。だから大きくしたくてもできないとか、できてもしないとか、その判断枠組みは持った方がいいよと思う次第。そんなことを考えることが最近は多い気がする。

 

アジサイの時期

長女と

3人の子どもがいても、どこか行こうというと長女だけが乗ってくる感じになっている。昨年も長女と見に行ったが、奇麗だったことをよく覚えていて、じゃあ行こうかという話になった。アジサイを見ると、鎌倉に行きたくなる。心が和む時間であった。花は人を幸せにするんだなと感じる瞬間である。今年は春にチューリップを見ようと思っていたが、行けなかった。そういう余裕を持って生きないと思うのだが、なかなかそうも生きていけてないのが現実。そんなこんなでいい気分転換になりました。