右脳

小テストの作り方

客観的に数値化をする

授業をやりやり考えるが、何とか評価をしようと思い、小テストとか作って積み上げるようにすすめている。本来は大学は論文を書きに行くところだという信念もあるので、レポート1本で評価をしたいのだが、なかなか評価が厳しい場合、小テストというのは生きるだろう。いろいろ考えて作問してみた。2022年版はどうだろうね。大学だからやはり難しいことをやりにいくところだから、ある程度、仕方ないよねと思うものだ。最後まで食らいついてきてほしいなと願いながら、大学の仕事をそろりと仕上げた。

授業の後で

 

感慨にふけて

今日も無事、終わりましたね。さあ帰りましょう。今日で基礎パート、終了。やはり会計は仕訳に立ち戻ることですよ。教えるようになって殊更、思います。コンピューター会計だの、クラウド会計だの、それはそれでいいですが、結局は人間がやるんですよ。積み木のように積み上げ、崩しても再度、組み直せる。一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一。そんなことは思いながら、昔の板書スタイルをやり、学生は手と頭を使いながら思考する。こちらも忍耐も必要ですが、そこは愛を持って待ってあげる。資料ばかり与えて、先生も学生もやった気になるような、幕の内弁当授業をやったって、見栄えは良くて、食ったらそうでもないだけですよ。そんな風に自分はやらないといけないと強い意志でやってますが、学生はどうなんでしょうか?やっと今年の学生も反応が出てきたので、不人気講座【会計】もやりがいあるってもんです。もし大学で経営系で教鞭取るなら、マーケティング系がおすすめです。なんか今日は疲れた…。ちなみに弁当は至って普通、駅弁で割高。

一般向け講演

12年ぶりに

地元の東広島商工会議所に呼ばれて、12年ぶりに講演をさせていただきました。クラウドファンディングの話はまだ続くのかと思いつつ。クラウドファンディングの中でも投資型クラウドファンディングの話が中心にいつもしゃべるけれど、今回は購入型を中心にお話。まあ疲れました。いつも学生向けにお話をするので、一般向けに対しても授業のような感じだったといわれるが、まあその辺はおおめに見てほしい。

授業の進め方

昔ながらのスタイル

最近の授業スタイルはもっぱらPPTなど配布資料を十分に生徒に与え、進めていくようであるが、僕は通年講座は板書のスタイル。筆記させ、思考する、頭を使え、手を動かせという昔ながらの形態。賛否もあるだろうが、やった気になるのが先生も生徒も双方向同じような気がして、板書がいいと思っている。確かに最初にPPTなどは作ってしまえば、翌年も同様な講座なら使いまわしはできるのだが、やはり苦労しないとねと思いつつもやっている。賛否両論あるだろうが、時代遅れのやり方かもしれないが、今のところ、そのやり方で。単発講義にはPPTを使うけどね。まあどうなんでしょう?

今年もはじまりました

会計学入門

今年も月曜日に岡山にある中国学園大学の講義が始まった。昨年と同じ講座であるが、今年の学生は暗いなって感じがする。反応が薄く、まだ最初なんで感触がわからないのが本音。昨年の反省も踏まえて、板書の整理法を少し変えて講義中。今年はどうでしょう?会計学だとどうしても不人気の王様のような講座。なかなか険しい道のりである。

2022年夏ー集中講義ー

夏の終わりに

県立広島大学からお声がけをいただき、4日間の講義を終えました。4日間べったりいたわけではなく、最初の入り口と最終日の講義、総括などというものであるが、大変優秀な学生と共にいい学びを得た。ほんとに大学らしい、今どきの言葉で言えば、アクティブラーニングか。いずれにしても、夏の暑い中、予定受講生も倍以上。学生の求める講義をすべきなんだなと思うところだ。それにしても、会計学のつもりが実はそうではないのかもしれないと思うが、自分に幅があるんだという理解をひとまずしておこう。

野菜の日

好きな野菜ランキング

日本農業新聞もそうはないが、たまに面白いと思う記事がある。今回、目を引いたのはこの記事。早速朝から子供らにもクイズをしたが、なかなか当たらない。僕も予想外というのが多く、なるほどと思うランキングで会った。ベジアイスをやっているので、なんとなくわかっているつもりがわかっていない。アスパラガスやにんじんは入ってそうな気もするが、10位までには入っていないなど、改めて消費者動向と自分の認識のズレを知る。ナスが10位にランクインとか、嫌いな方に入ってそうな気もするがというのが先入観であろう。

漱石再読、文鳥

楽読、楽して読むのではなく、楽しく読む。

漱石再読。文鳥編。それにしてもなかなか進まないが、期限あるものではないので、ゆっくりと。文鳥。早稲田に引っ越してきた漱石が鈴木三重吉にすすめられて、文鳥を買い、2日ほどかまわなくて死んだという話で、昔知っていた女の回想を織り交ぜて、美しいものの死を描いている作品。あまり読むことのない小説ではないかと思う。分量もそうはない。小品。女が漱石に潜む夢としてあり、ここに収集されている夢十夜にある意識ともつながってくる。夢十夜はまた綴るとして、ようやく前期三部作へ読み進めようと思う次第。

 

久しぶりの大学講義

中国学園大学へ

昨年の後期の授業以来となったが、中国学園大学へ単発講義。岡山学というオムニバスの1コマで、「中山間地域」をテーマとした内容。思えば、いろんな話をさせていただくようになったなと思うところだ。昨年はオンラインで大変苦戦した。対面はやはりいいものだ。岡山もそうだが、75%が中山間地域となり、様々な問題がある。今回、1コマだからざっとこうだよって話しかできなかったけど、これはこれでと思うところ。やはり教壇でしゃべるのは向いている仕事のように思う。

文学論再読

文学とは何か。

ほんと進まない漱石再読、文学論。凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要すと始まる一文が有名である(ちなみにFとは認識すること、fとは認識に伴って生じる情緒であるという)が、文学の内容について、深く考察された論。下巻に「間隔論」と「意識の推移」にかなり興味を持って読んでいた記憶が蘇る。文学論をもし学べるなら、是非、教授いただきたいなと思う。難しいし、深いねと思う。理解にはまだ遠いような気もするが、学びもあったのでひとまずよしとする。少しずつ、読み進める。