文学

森鷗外を追う

9784480058379

何故か気になって

軍医であり、作家であり、多面的に活躍した森鷗外。昔読んだ本を引っ張り出して読み直してみた。鷗外の人生も紆余曲折である。悲恋であろうエリ-ゼとの別れ。たぶん本当に愛したのは彼女だけだったのだろうな。人間には分岐点がある。もし、あの時あの場所で会わなければとか、たくさんの出来事が積み重なる。明治の知識人の生涯を体験できる書籍。少しずつ鷗外の著書を読み直したくなった。

今こそ漱石を読み直すべきだ

漱石の残した言葉

漱石が亡くなって100年。何かと気になっている存在だ。そもそも漱石を研究対象としただけに、どうしてもやり残したこともあるし、今、読み直しても新しい発見が漱石の言葉にはある。今回、夏目漱石、現代を語る という社会評論集の解説付きという文庫が発刊されている。小説なら読んだことある人は多いと思うが、なかなか「道楽と職業」(1911・8・13)、「現代日本の開化」(1911・8・15)、「中味と形式」(1911・8・17)、「文芸と道徳」(1911・8・18)、「私の個人主義」(1914・11・25)といったものが収録されているが、読んだことがない人が多いのではないだろうか?改めて読んでみると、現代に生きる言葉がちりばめられており、漱石の魅力を再発見できるような気がする。漱石に向き合う機会がどうしても増えそうだ。それだけの価値がある。

主人公はいない

文学って何だろう?

昔、一度だけ佐藤先生の公開講座に参加したことがある。漱石の「三四郎」の話だったが、「三四郎はかわいいですよね」とおっしゃれたとき、女の読み手で、読みが違うんだと驚いた記憶がある。今回、たまたま目にして読んでみた。「主人公はいない、文学って何だろう」 という本。文学という学問を始めるにあたって、非常に読みやすいと思う。また文学部に進学した生徒が、就職相談する話もあったが、どこの大学でもあるのかなと思うような出来事。<語り>の人称の話から、文学が見えてくるものがあるに違いないだろう。新書なので、すらすら読める一冊。

文学研究、最後の砦

20160502 文学

文学の死滅

長年、文学研究を支えてきた岩波書店の「文学」が休刊とのこと。学生時代、大変お世話になった雑誌であるが、学際的な場がまた一つ消えた。ぎょうせいの国文学もなくなり、いよいよ文系の学問の後退は著しい傾向になるだろう。これは序章に過ぎない。文学の場の復帰を夢見ている僕は、寂しくて仕方ない。

 

漱石展、100年後の今

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特別展「100年目に出会う 夏目漱石」

漱石が亡くなって、100年。かつての文学少年の僕は、漱石を研究していたわけである。多忙であり、その100年の今に気づかなかった。100年は世紀という1区切りの中、漱石の『100年』というワードは、現在にも生きるものと感じてならない。改めて漱石に向き合うことになりそうだ。さて、過日、神奈川県にある神奈川近代文学館で漱石展が始まった。漱石の激動の人生の中で、やはり現在に通じる、そしていつも新しいという気がしている。今年は漱石の1年になるだろう、そしていろんな場所でこうした個展が開かれるだろう。39歳で作家デビュ-し、その100年が今年。岸保宏はその39歳である。