6年で7倍だそう
先日、住んでいる町で「給食無償化」をセンターピンで公約して当選し、町長になったが、そうはならなかったということに苦言を呈したが、先日、文部科学省が実態調査結果を公表した。とすると、6年で7倍が自治体の導入事例となっているようだ。それでもまだ給食無償化には程遠い。無償化の目的は、子育て支援が90パーセント、少子化対策9パーセント、定住、転入の促進が5パーセント、食育の推進が3パーセントと続くようだ。財源では、自己財源が66パーセントのようで、自治体の財力が強いところができるのかと思うところ。実際、3人子供がいる我が家は無償化は助かるが、現実は出来ないだろう。なので、「嘘」のつかない政治をしてほしいと切に願うのだ。給食も公費が入って、安価に子供が食べることができる。そして何より食べているのだ。そこではない学校が徴収する諸費を公費を援助するように持って行くべきだ。算数ドリルや文具といったものを毎月のように請求が来るが、これは直接的に学習に影響をするし、給食費と比べれば、自治体負担も安いはずだ。そんなことで、子育て支援にはあまり注力しない子の国に、自己責任という負荷があるが、一方で仕方ないと思っている。だからもう一度、「嘘」のつかない政治。そして持続可能な運営のためにどうすべきかをもっと見えるようにと願い次第。
美辞麗句を並べて
自分の住んでいる町は若手の首長に昨年変わった。公約は子育て支援を強く訴えかけ当選して今に至る。特に、給食費の無償化というアドバルーンを高く上げたわけだ。僕を含めて、子育て世代は大きな期待をしていただろう(僕は期待していないが)。先日、給食費の案内がこないから学校教育課に電話すると、給食費のことはわかりまんと回答。確か議会でも無償化の議題はあがったように思う。結果、例年通り給食費の納入の案内がきた。これとは別に固定資産税。固定資産税はなんと増税であった。給食費の話に戻すと、無償化を公約にし、街の特徴や支援体制を形成する重要政策、1町名番地ではなかったのか。僕は財源も何もない中で無理だと思うことや子供は給食は食べているわけだ。そして公費も使われて安価で食べさせてもらっていることを考えると、給食費までというのは虫のいい話と思うが、やるというのならやらないというのは詐欺のようなものだ。段階的に無償化に向かうようにするのであれば、減額をしていくのだろうが、それもない。政治家は若い方がいいという意見にドロップキック!能力がない人がやるのは百害あって一利なし。あまり公では批判しないが、ひどすぎる。
何がしたいのかが見えない社会
昨日、大臣くらいの賃上げが衆議院を可決し、通過したが、今の社会が政治家の皆さんには見えていないんだろうと思う。インボイスにせよ、社会保険の増額にせよ。いろいろ不満も多い。この際、本当の数字を透明化して、国民の開示すべきではないかと思う。本当にお金がないのならないなりの政治をするべきだろうし、もう先進国ではない現実を正面から受け止めるべきだ。いつまで先進国ずらをして生きるのか、不思議でならない。今、政治が何をしたいかが見えず、難破船に国民が乗って、航海しているようなものだ。わかりやすく国民に開示し、その中でできることを一つずつ組み上げていくしかないのではないか。法人税は増税していいと思うし、インボイスは廃止すべきだとも思うし・・・。ほんと今は政治には絶望感でしかない。
見えない未来
最近、よく思うことがある。何かを変えようというエネルギー。殊更、若い時はそのエネルギーは万歳であったが、今は自分がそのフィットする環境に身を置くという方がいいのではないか。年齢がそうさせたかもしれないと思う。今の政治、ほんとひどいよねといつも思う。じゃあこの国を見限るしかないのかなと思うこともしばしばである。少子化にしかり、物価高、マイナンバー・・・。きりがないだろう。よくなっていくシナリオは全く見えないのが、今の日本。夢も希望も子供たちにバトンを渡していけるのか。今の答えはNO!自分の合う海外の国で生きた方がきっと幸せだと思うのだが、皆さんはどうなんだろう。
制限の多い毎日
個人的感想で言わせてもらうと、広島サミットは迷惑でしかない。交通規制をはじめ、企業さんもお休みのところも出てくる、学校もオンラインなどもあれば、飲食店も自粛など多くに影響している。広島で言えば、コロナ後のGWのフラワーフェスティバルも延期(6月にやるようだが)になり、機会損失もしていると思う。都心部でのサミットは極めて難しいのではないか。影響が多すぎる。GW休みで稼働日数が少ないうえ、サミットでも自粛の休みになると、稼げないので生活苦だという新聞記事を読んだ。誰が喜んでいるのかわからないが、ほんと僕にはメリットも感じない今の日々である。
終わってみれば
結局、自民党が勝ったなという補選であった。信任ということになろうか。もう少し野党にという風にも思ったが、そうにはならなかった。民度とのズレであろうか。一つの政党に偏らせすぎると、独善的になるので、本来は2大政党で緊張感ある政治が望ましいと思うが、今の野党の現状を見ると、当分は無理であろう。地方選挙も知った方の多くは当選している。初心忘れずに頑張ってほしいものだ。それにしても、政治に無関心になってしまった。10年前の候補者とは全く自分が思えない。
覚悟をすること
読書の時間もあるようでない。だから本だけは購入していてもいつ読めるのか、そのままなのか。なかなか読めなかった本であるが、面白い。今、立憲民主党に行ったので、出版時期と見方は違うところがあるが、無所属で小選挙区で勝ち続けた中村喜四郎先生のお話であるが、心が強いなと感心する。名前も父親と同じ名前に改名し、徹底した姿勢、選挙、地域とのかかわりなど、いろんなことを学ぶ契機になる。最近は、政治家と接点をあまり持つことを望んでいないので、近づきもしないから状況はわからないが、ああこういうこともあるんだなと思うことはしばしば。政治家にも覚悟がここまである人は少ないと思う。
終わりのない迷路のようだ
広島県もいわゆるマンボウであり、また補助金というのが紐づけになっている。財源はどうなっているのか、聞くのが怖いくらい湯水のように出しているが、本当にこれを出してもいいのだろうかと思うところだ。広島県の頑張る中小企業月次支援金 を見ると30%から50%の減少のところは補助金が減っている。さすがにいつまで出し続けるのかというのも疑問。今年は頑張ろうとか年始は思うものだが、出花からこの状況でやるにやりきれない。今のオミクロンで言えば、無症状が多く、重症化するケースが少ないことから、平時のように動くのがいいのではないかと思うところ。皆さんの考えはどうだろう?
候補者と第三者
かつて選挙も出たこともあるので、候補者の気持ちも第三者の気持ちもわかる。「外」から見るとよくわかるものだ。候補者は目の前しかどうしても見えなくなる。それだけ必死なのである。周りはあれこれ言う。あれこれも本来はその人のために言っているが、それどころではないということも出てくる。やはり難しいものだ。未だに僕に出馬してほしいと言ってくれる人もいるが、やはり向き不向きもある。自分が向いていると思っていたが、実際はまったく向いていないという現実。これは身に染みてわかるものだ。選挙があって、知っている人が出ると思うことだ。選挙一つで思うこともたくさんあるなと改めて感じる。
それぞれの公約
衆議院選挙もいよいよ時期が来た。今回は解散が遅かったのかとも思うが、あちこちで候補者の姿を見る。一つ公約の中で挙げるとすれば、公明党が18歳以下の子供に1人10万円給付するという。もし実現すれば、うちの場合は子供3人、30万円になる。お金を配ればいいかというと、それもどうかと思うが、現実的には子育て中の身としては有難い。正直なところ、もう一度国民の皆さんに一律給付の方が公平性はあるような気もする。限られた予算かもしれないが、数年後の大増税は当然にあるだろうから、そう考えるとただの仮払になるんだろうと思う。しかし、目の前の現金はやはりあるに越したことはない。それにしても、選挙はどうなんでしょうかね?