左脳

坊ちゃんを読み直す

坊ちゃんから学ぶ

漱石を少しずつ読み直している。今回は坊ちゃん。言わずと知れた作品だが、1週間から10日で書かれたと言われる小説であるが、素直に坊ちゃんの成長小説として読めばいいと思うが、それでもなお深く考えるのは、清の存在、死というものから人生を考えるというか、その人が死んでも、受け継がれるもの(人)の中で生きるんだという命題を与えられているような気がする。そして、教壇に立つようになってから、教師の正義感とか思うこともある。漱石はやはり面白い。もう一度読み直そうと思っているが、なかなかうまく時間がコントロールできない。できるなら、少しサバティカルのような休息が欲しいなと思う今日この頃。

 

しょうがない

今の職業だと・・・

昔も書いたことあるが、僕の仕事で言えば、完全に逃げ遅れた。あれよあれよと逃げれなくなって、結局、立ち止まっているような感じである。会計事務所の仕事だと、確定申告時期は縛られる感じがある。期限が迫っているので、どうしても仕事をしないといけない。量も多いので、仕方ないが、それにしてもこの時期が毎年、こういう状況というのも機会損失と思えることもある。昔、さっぽろ雪まつりに行ったことあるが、たまたま連休にもなって、もう二度といけないかもしれないと思い切って行ってみた経験がある。もしもう少し有給でも取れてゆっくりできるなら、もっと違うこともできるのかなと思ったりもする。仕事があるだけありがたいのだが、人間はないものねだりである。「もし、たら、れば」ということは多い。それにしても、毎年忙しくなっているのは気のせいだろうか。

20年後の今

リスタート2022

久しぶりに論文を起こしている。この2,3年は少し論文を残していこうと思っているが、僕の研究キーワードのひとつ、集落営農法人について何本かまとめようと思っている。平成13、14年ごろに積極的な集落営農の法人化を政策的に進めたが、それから20年が経過した今、集落営農法人はどうなってるのか、学術的にも実務的にも興味深い。持続的な地域保全の道はどこにあるのか、深堀しながら考えてみたいと思う。ヒアリングもたまには必要だと思うが、理論にしっかりよせて脱稿したいと思っているが・・・。

15回完走!

何とか終えました

中国学園大学で1年を対象に、会計学入門という講座を担当した。15回と長丁場であったが、何とか終えることができた。終わってみて、もう少しこんな話したかった、こうすればよかったということはたくさんあるが、最低限、伝えるべき内容は言い尽くせたと思う。それにしても、どのレベルに合わして話せばいいのか、どうすればもっとよりわかりやすく伝えられるのかなど、真剣に悩んだ。一生懸命、駆け抜けた15回であったが、学生たちにはどう映っているのだろうか。最後に難しかったかどうか尋ねてみると、一様に難しかったという。大学は難しいことをやりに行くところだから、簡単ではない。自分たちも悩み、しっかり学習し、一皮むけていくしかない。また来年も岡山に呼んでいただいたので、バージョンアップして戻ってきたいと思う。

野分を読み直す

白井道也は文学者である。

白井道也は文学者であるという有名な書き出しで始まる「野分」。漱石が新聞小説家としてデビューする前の最後の作品。漱石から何か生きるヒントというか、この混沌とした今を打破する糸口を探せないかと思っている。野分を読み直して、教壇に立つようになった今、感じるものが多い。教師はお金儲けでやる職業でないし、お金儲けをするには商人であるということも書かれているが、当時、学者というものが崇高な存在であることも見て取れ、今のサラリーマン化した学者像とは全く違う。言葉に魂があるというか、勉強になることが多い。野分は漱石の中でもマイナー小説だと思うが、一読してほしいなと思う小説の一つ。

 

二百十日を読み直す

剛直な言葉

とかく漱石が気になる。何かハッとする。二百十日は会話で成り立っている短編であるが、言葉が強めのものが目立つ。漱石は世紀末という100年を単位とした思想の中で、小説を読み解くことは重要な要素と思うが、一番、最後の文章、「二人の~百年の不平~を吐き出している」という一説があるが、ああここにも百年というワードが使われていることに改めて気づいたことである。こんなに二百十日の小説の言葉があらあらしく表現されているというのも、草枕からつながるじ「情」の世界と思える。もう少し文学に浸る時間が欲しい、心に余裕がないのかもしれない。

 

補助金という名の罠

終わりのない迷路のようだ

広島県もいわゆるマンボウであり、また補助金というのが紐づけになっている。財源はどうなっているのか、聞くのが怖いくらい湯水のように出しているが、本当にこれを出してもいいのだろうかと思うところだ。広島県の頑張る中小企業月次支援金 を見ると30%から50%の減少のところは補助金が減っている。さすがにいつまで出し続けるのかというのも疑問。今年は頑張ろうとか年始は思うものだが、出花からこの状況でやるにやりきれない。今のオミクロンで言えば、無症状が多く、重症化するケースが少ないことから、平時のように動くのがいいのではないかと思うところ。皆さんの考えはどうだろう?

今年はどうなる?

コロナの影響はどうなる?

コロナ拡大が止まらない。第6波がとうとう来たという感じであろう。実務では確定申告が近づいてきているのもあり、少しずつ話がき始めたなというところはある。ここ2年、1か月延長措置がなされたが、結局、ダラダラする人は1か月延びようが関係なく、同じような行動パターン。つまり、延ばしても対策を打った感を政府が持つだけだ。実務をやる側もだれるし、確かに時間の余裕はあるかもしれないが、いいとは思えない。なんとなく近日中に延長の発表が出るような気もするが、果たしてどうなるんだろうか?気になる話題である。

草枕を読み直す

非人情の世界

何となく草枕が読み直したくなって、読んでみた。「山路を登りながら、こう考えた」と始まるあの小説である。漱石を読めば、社会がわかるという人もいるが、何となく漱石の言葉から今の僕が抱えている諸問題を打破できるのではないかと思い、何故か草枕から読み直すことにした。旅の宿であった女性を通して、芸術や思想、哲学、文明というものが見えてくるのだが、西洋化への格闘がつぶさに読めてくるわけで、国家権力との向き合い方、思想というのがあらわになっている。感染症の時代になっている今、自分自身でコントロールが何かと難しくなっており、ぐっと考えることが多くなっている。少しずつだが、漱石と再度、向き合ってみようと思っている。何かわかってくるものがあるだろうか。

 

お金と文学

経済学者VS文学者

かつて漱石を勉強していた時に、お金と文学という形でまとめたいなと思うことがあった。研究書として、ああ、さすがと思ったものはこの本。冒頭にちらっと書いてあるが、たまたま見つけて写真の本を読んでみた。僕の関心をひいたのは、信用創造という経済学のワードから見る、文学の読みというのは面白いなと思う。お金によって人の心が動く、そして生活がかわる、社会が変わる。漱石で言えば、なんといっても、道草を読むとお金の問題と向き合うことになるが、この書籍でも多く取り上げられている。非常に読みやすく面白いと思うので、是非読んでみてほしいなと思う。