
会計の重要性を考えよう!
会計を教えている、会計の仕事をしている。そういうバックグラウンドはあるが、どうも経営者の会計軽視の姿勢が目につく。日常が忙しい、営業が忙しいというが、稲盛さんではないが、「会計がわからんで、経営ができるか」というのはないだろうか。コロナが明け、補助金なども支援がなくなっている今、コロナで融資も増え、銀行も回収に入っており、企業の姿勢や態度を見ているように思う。「まあ、何とかなるだろう」、「何とかしてくれるだろう」と安易に思う。お花畑思考である。もう黄色信号から赤信号になっている。企業側も真剣に会計を見て、経営再建する。それでももう銀行もダメと判断すれば、倒産へ向かわせるだろう。売上UP、販路開拓の素敵なお話を聞くのもいいことだが、足元の点検、会計をきちんと構築する。企業の地味な構造改革こそ、未来につながるのではないかと思うのだが・・・。結局、会計を重要と考えていないのが起因であろう。

意味があるのか
インボイスは離農を促進する作用になる。農業の所得向上からも遠くなる。インボイスは事業者の負担も大きく、本制度はほんとにいただけない。複数税率を辞めて、10パーセント統一、帳簿保存方式で事務負担も減り、税収も上がる。簡素な税制を望む。委託にすれば、収入の確保はさらに少なくなるわけで、本末転倒。産業育成が経済を回す。インボイス制度は廃止すべきと思う。別のやり方もないのだろうか。

初参戦!
学会嫌いの僕が意を決して出陣、島根大学へ。幽霊会員であるが、やっとオンラインから脱却したようだから、向学のために参加した。税法の学会なので、作法がまた違う。法学は判例である。違う頭を使いながら、こうかなああかなと聞いたものだが、何分、素人の域を越していない。そう思いながら聞いたものだ。それにしても国公立大学は予算の関係もあるのだろうが、暑い!。クーラーが効いていない。ほんと汗をダラダラ流して、参加しないといけないというのもどうかと思う。私大がやはりいいなと思うものだ。やはり学会は苦手な場である。新しい人と会うのは、とかく疲れるもの。ほとんどしゃべらず、会場を後にする。意外と人見知りなのである。

そろそろ大きな声で!
メディア統制をしているのか、10月に迫るインボイス制度のことをあまり言わない。これは大ごとになると思うので、大反対である。徴税が必要ならば、他の方法でと思うところだが、明らかに景気は冷え込み、中小企業が廃業に追い込まれていくことは目に見てわかる。現実の世界がわからない人たちの立法かもしれないが、これはまずいと思っている。僕は農業の方の話が多い方なので、農家関係と話をしても、ほんと真面目。いろいろ勉強をしている。感心する。しかし、この制度はやめるべきだ。インボイスの話をすると、政党支持率は間違いなくさらに下がる。だから言わないのだろうと思うが、この制度が導入されると、事業者の負担も大きいが、社会の影響も大きすぎる。そんなこんなもあるが、農家の皆さんにはこの本をご紹介しておきたい。

音を静かに・・・
選挙が近いのかもしれない。普通なら10月から施行されるインボイス制度の関連をCMをバンバン流しているように思うが、インボイス、増税の流れがわかりつつ、さらにビートさせるのは政権にマイナスなのか、静けさを感じる。私論では、複数税率を辞めて、一律10%で税収UP、帳簿保存方式の継続。創業に関しては2年間の免税(創業支援)で、1000万以下でも消費税課税をしていくという流れの方が、租税の原則、公平、中立、簡素と言えないのか。複雑に何でもしたがるのはよくない。みんなにわかりやすく、これ大切だと思うのだが・・・。どうだろう?

少子化に対してやる気がないのはよく伝わる
給食費は通常通り。無料にしようかという議論はどこへやら。3人で15600円。年少扶養控除と給食費の現物支給でひとまず少子化対策したらどうだろう?所得税と住民税の軽減で可処分所得は増える。制度的にもやりやすい、現金給付のような行政コストはかからないと思うのだが・・・・。税収との兼ね合いもあるのだろうが、現金を給付するのではなく、使えるお金を増やせば、家計で考えれば一緒なのだ。物価高、光熱費高騰、使える金は減る一方。過去最高の税収の資金はどこへいった?

自然科学と社会科学
農業会計学と言うと、農業経済学の一端から派生した学問として位置づけられる。農学部に農業会計学は用意されるものの。社会科学だともいわれる。修士まで社会科学系で進学し、博士から自然科学、理系に行くとなると、やはりどうしても違和感がある。自然科学にいても、違和感。社会科学にいても、違和感。このせめぎあいはなかなか感じるものではないだろう。社会学は複雑に考えようとするし、自然科学はシンプルに考えようとする。いろんなことで「違い」は感じてしまうのだ。なかなか論文を起こしたときに、どうしても違うものを感じながら、書いているが、それでもどこかで「接点」はあるんだろうと思うのだが・・・・。その「接点」がわかるにはもう少し時間がいりそうだ。

研究活動にいそしむ
コロナもあって、入場制限をされていた図書館もオープンに。久しぶりに図書館でいろいろ物色、多くの学生が勉強をしていた。僕も4年ぶりに広島大学の図書館に入館し、いろいろ見て回っって、資料を検索。広島大学の蔵書は少ない(新しい本が少ない)と思うのだが、それでも発見もいただいたりと思うこともたくさん。毎週1回でもこうして時間を作って、図書館にいる時間も作ろうかと思う。生活にアクセントをつける意味でも重要な営みではないかと思う。だいぶコロナ後の日常へって感じがする。

群れる必要はない
とある研究会に誘われたが、丁重にお断り申し上げた。学問において、学会や研究会は昔は多少、必要かなとも思っていたが、たぶん必要ない。学問は孤独である。自分で論文を読み、格闘し、書いていく。論文は読めばわかるし、それ以上でもそれ以下でもない。だから顔を売るとかいうが、忖度よりも自分に力をつけた方がいい。そんな思いである。あと数年は入会している学会は所属するが、50歳にはほぼ辞めていくつもりである。紀要に書けばいい。今、オープンアクセスなんだから、査読だのはまったく関係ない。第一、自分の所属する大学に誇りを持てない紀要なら、もうそれはやめた方がいい。批判を受けても出していくことしかないのである。僕もあと数年は農業会計・税務分野では思っているが、学会や研究会は断っていきたいと思っている。

改めて簿記からスタート
先日、文献を新たに請求した際に、ああこうなんだと思うような農業簿記の文献に巡り合った。その人の書籍も出ているようだから、日本の古本屋で探して購入した。自分ではある程度、わかっていると思うことも実はそうではなく、いつも勉強の途中なんだなと気づかされることがある。そう思うと、無知の怖さと常に向き合う羽目になるのか。まあいろいろ思うものだ。40代で、今の学術系は卒業したいと思っている。次の僕の展開をするにあたり、40代は最後のエネルギーを注いで、自分の再構築を図りたいと思っている。希望でしかない50代を迎えるように、今が大切!頑張っていこう。