
当分読めなかった書籍
書店で長らく平積みになっている書籍であるが、読みたいなと思いながら読めなかった。自己啓発本はある程度のサイトで読んだ方がいいと思う。それは生きる上でヒントになるし、振り返りにもなるからである。この本は「移動」することで、人生を変えていく方法を示しているが、僕も移動する方である。しかし、住まいは移動していないので、ここは違う。家族を持たないと移動の方がいいと思っている。すべてをいったんオールリセットできるし、変なしがらみもなくなる。兼好法師の言う仮の住まいというのもわからなくもない。違う場所に身を起きて、人生を考える、考えながら動くことも必要。近年は静的に生きてきたので、動的に生きる。ようやく動き始めてきた。年度末、今日で終わり。

上げるべきか下げるべきか
非常に興味深いニュースである。選挙における供託金を引き上げたらどうかという提案。現在、国政選挙で300万円の供託金がかかるが、それを10倍にした3000万円にして、候補者の乱立の見られる現象をなくし、選挙の質を高めようというもの。もし3000万円にしたらお金持ちしか出らればくなるので、これもどうかという意見もあるが、一考の余地はある。ただし国政選挙や都や府や県の知事選挙に限るとし、地方議会は定員割れもあるのだから、これは考えもの。3000万円までいかなくても、1000万円くらいはとも思う。僕が出た選挙は町村なので、供託金はなかった。あっても出ていただろうが、この頃は今のような混沌とした選挙ではなかった。時代も変わってきているし、公職選挙法は見直すべきであろう。そうそう、湯茶しか選挙事務所はダメである。珈琲はダメ。僕はきちんと守っていたが、だあだあになってはいないか?

時代の流れか
企業間の決済手段として広く利用されてきた手形と小切手が、2026年度末で全て廃止される見通しだそうだ。簿記を学ぶにも手形は理解が難しい分野で、教える側になってもその気持ちはわかる。学生の顔が「??」というのがわかる。これこそ訓練の賜物である。実務でも小切手で報酬をくれる企業や倒産前に手形を切ったものをもらった経験もある(これは悪質であった経験であるが)。手形の歴史も長く、手形や小切手を知らない人がたくさん出るんだろうと思う。会計学者の端くれとしては、少し寂しいニュースかな。

1人だけの博士
熊本学園の2024年度の博士取得者は僕一人。本来は行くことのない修了式。なんだかんだでほとんど学校に行っていないので、学校の勝手もわからず終わりました。理事長の講話で熊本学園の建学の話を聞いたとき、伝統ある学校であることを知り、いい学校を終了出来たなと思い、今回、参加してよかったと思いました。一人だけが博士を呼ばれ、壇上に上がる、学位記を授与していただけるのは、この上ないことであるなと思い、2年の時間の早さを改めて感じました。その後、師匠の佐藤先生と一杯。かなり飲んでしまいました。伴奏してくださった日々をたぞりながら、熊本の地を離れます。またきますね、ありがとうございました。

487円
論文を書くのに、どうしても大学の図書館は必須である。授業期間は夜間が空いていないので、昼休憩などに借りたい本を最初にピックアップして、それを借りる。そうなると時間もないので、学食に行くのだが、安い。味や質を求めれば、厳しいが、これでカツカレー487円。よく考えると、学費は確かにかかるが、夜も学食は空いているわけで、食費は安く済まれることも可能。自炊の方が安いが、もし水筒を持参し、学校の図書館にこもる。たまたまカレーの例をだしたが、500円前後で食事を済ませると、1日千円。冷暖房も完備し、その間、家の光熱費は軽減する。ずっと勉強ばかりにはならないにしても、そんな日があると、あまりお金をかけず居られる。大人になってこういう施設を使う時、ありがたいなと思う。学生時代にもっと大学施設は有効に使うべきである。これは特権の一つである。

政治家への暴力
千葉県知事選挙にて、NHK党の立花党首がナタで暴力を振るわれている。安倍元総理や岸田元総理にも殺害へ及ぶこともあったが、やはり暴力はいけない。言論で理路整然とやるべきである。いろんな考えがあるから、それはそれ、やはり武力行使はやってはいかん。怖くて政治にも出られなくなる。思いを強くして、選挙にでるわけで元候補者としても心が痛い。日本が変わってきていることを目の当たりにしながら、もう少し有権者も考えるべき。主義主張はいろいろあるんだから、そこと暴力を同一視してはいけないと思う。

ガソリン減税について思う
今回の予算でガソリン税の減税にはならなかった。5000円ガソリン代を支払うと、だいたい2000円分が税金の現実であるが、これは利権があるのか変わらなかった。政党の合意なんて、破られるから美しい。そもそも暫定とは、正式な決定がなされるまで、仮の措置として、とりあえず定めることという意味である。「暫定」ということは、それをそもそも予算の中に考慮して、計画だてるのは間違ってはいないか。暫定なんだから仮なのである。ガソリン税は二重課税で税構造からもおかしいし、これそのままでいいの?って思う。維新の政治も変わってしまい、今回失望した。無償化についても作り方に疑問。なんか政治は不安定。ほんとどうなる日本と思う。ガソリンは車がないと生活が出来ない人もいる。考え直してほしいことである。

農大時代は書き忘れている
謝辞は書いても書かなくてもいいそうであるが、やはり書いた方がいいと思い、書いてみた。今回は忘れずに。謝辞は振り返るのにとてもいい。決して一人でできたわけではないので、いろんな人の助力に感謝すべきと思うからである。農大時代は正直、父親もなくなって、そんなことを考えている余裕なく、目の前にある課題をとにかく片付ける。そのことばかり考えていた。そんな時だからこそ、自分もよく踏ん張ったと思うもの。あのときも気持ちも添えた。印刷して、製本。そろそろクライマックスだな・・・。そろそろ春が来る。春には何かのスタートをと思う今日この頃。

世の中がさらに「カオス」に
トランプさんとゼレンスキーさんの首脳会談の決裂は、巷で言う「新しい戦前」を感じさせるものである。たぶん修復は不可能だろう。どうも歴史的な系譜から考えても戦争は起きるような気がする。スペイン風邪がはやり、世界大恐慌、世界大戦。コロナウィルスがはやり、財政不安、・・・。流れ的には同じ。歴史は繰り返すのか。今日の新聞で、こんな言葉が書いてあった。「敵とともに生きる。反対者とともに統治する(オルテガ)」、つまりそれができる大きな器の人間だけが公人にふさわしいというのだ。反対にけそれが出来ないのであれば「権力をもった私人」に過ぎないという。と考えると、日本の選挙のあり方も変わってきているが、「公人」とは何かということを再度、考え、社会を見直す時期にも来ているのではないかと思う。いずれにしても社会はおかしい。

なかなか面白かったです
お誘いを頂戴して、村上誠一郎総務大臣のお話を聞きに行きました。大臣なので、SPがしっかりついて、物々しさもありましたが、ざっくばらんないい講演会でした。総選挙の話、総務省の話、現在の日本政治、諸外国のことなど、ストレートな主張で聞くにも心地よかった。かいつまんで言うと、誤解を生じてはいけないので避けるが、なるほどなと思うことも多々。今度、ゆっくりしゃべりたいなと思う政治であった。