日常

コロナ後の社会

カオスな社会

コロナが収束すると、コロナ前の社会に戻る。この幻想を抱いている人は意外と多い気がする。今日、そんな新聞記事を読んだ。もう人々の価値観が変わり、コロナ後、あるいはwithの形でどう考え、動くのか、一新するように生きていくしかないのかもしれない。コロナが終わった平時を期待する人は多いし、それは僕も望むことだ。マスク、アルコールなど不自由な制限も取っ払いたい。それは皆が思うことだろうが、思考をリセットしていく、そんな思いで生きていくしかないだろうと改めて思うことである。

 

ランチにて

すしざんまいで

広島市内で仕事があったので、すしざんまいでランチ。何気にはじめてすしざんまいにいった。やはり緊急事態宣言中なので、街中も暗い感じがしたな・・・。流川・薬研堀など繁華街に行くことがないので、市内にもほんと出ることがない。ランチ時間を有効に情報交換の場としたいが、なかなかコロナで人との交流が制限されているので、それも少なくなってしまった。故に今日のような時間は大切な時間である。それにしても、あれだけ感染対策をしている飲食店にこれ以上、規制するのは間違っているように思う。

 

8月が終わります

穏やかな心で

ほんと不愉快なことがあり、心はブルーである。穏やかな気持ちではない。それだけに心を何とか落ち着かそうと思うが、その気持ちを上積みしており、何とか抑えている感じ。ブログを書くのもちょっとしんどいかな。

 

 

2021年夏

コロナ渦のお出かけ

外出も今の時期難しいといえば難しい。なので考えるところはあるが、あれもダメ、これもダメだと子供にも悪影響。昨年、オープンした四国水族館へ。瀬戸大橋も見える絶景の場所。坂出のゴールドタワーの横にある。こじんまりとした水族館で、半日程度で満喫できると思う。日帰りもできそうだ。水族館は久しぶりに行ったな。子供たちも喜んでくれた。楽しみをどこかで見つけ、前向きになれるように。子供も大人もそうありたい。

夫婦喧嘩

腹が立つ

どこの家庭でもあることだろうが、夫婦喧嘩はするだろうが、ほんと自分の基準からはさっぱり理解できない。喧嘩なので、いい気分ではない。コロナや豪雨などとにかくイライラすることが多く、心の余裕もないのだろう。そう思うと、喧嘩の事由だけで判断できないのかもしれないが、それにしても、心の納めどころは難しいものだ。コロナで家に居過ぎることもあり、行動派の僕はほんとしんどい。籠の中にいる感じで、縛られている感覚はある。いずれにしても、性格や価値観の不一致は感じざる得ない。すべてが完璧にならない。目をつむるところはつむるべきであろうが、気分の悪い朝である。

金メダル

過去の栄光か

オリンピックもあったので、メダルの話を子供が言う。そういえば実家に野球やっていたころのメダルがあるぞと思い、母親に聞いたところ、まだ家に残っていた。せっかくだから子供が見たいというので、家探しして取り出してみた。すごく子供は喜んでいた。子供ごころにメダルをもらうのはうれしいもので、いい記念となる。メダルを見たのがたぶん30年ぶりはなるだろうか。いつも見るものではないので、懐かしくも思うが・・・。箱を開けてみると、結構な量のメダルがあった。頑張った証だろうか。自分の小さい頃と自分の子供とか重なるときで、子育てあってこその話だろうと思う。穏やかな日々だったように思う。

避難所にて

豪雨の避難

自宅が山際にあるので、先日、避難した。3年前の件もあるので、敏感。やはり非難される方もいらっしゃった。まあ大丈夫かとは思いにくい。まあおかしなことになっている。そういえば、地震も先日あったが、コロナ、豪雨、地震とこれでもかというくらい前向きになれない。来週も雨だとも聞く。完全に梅雨だわ。

 

お金への執着

僕の嫌な人

周りにお金に汚い人、いないだろうか。僕の周りでもたくさんいるが、殊更こういう人とは付き合いたくない。特にお金の仕事をしていると、それが見えやすく、やはり人間関係もその人とはよくない。価値観の違い。やはり生活するうえでもお金は大切だが、向き合い方がある。自分のものは自分のもの、あなたのものも自分のものといった考えはいただけない。みんなでよくなろうという姿勢ではないか。最近、お金に意地汚い人が立て続けに会い、うんざりしている。十人十色、どう付き合うか。できれば、もう会わない方が幸せだろうけど。

再び豪雨の悲劇になるのか

細心の注意を

3年前の記憶が蘇る。油断というより予想外の出来事であったが、それが再び、災害被害に及ぶかもしれない。今回は雨も長期戦のようなので、被害は広がるかもしれない。局地的な豪雨も予想されるので、非難も今回はするつもり。災害で思うことは、やはり地球に対して、人間が好き放題やり、自然との共生ということを無視してきた(言い方きつくすると)結果かもしれない。そんなことを最近よく思う。避難所にいけば、コロナ感染も拡大はするだろうし、ダブル・トリプルパンチが目の前にある。暗い話ばかりしてもいけないが、命を守る行動を!生きてりゃいいこともあるさと言ってみたい・・・。

ひょんな話

話の成り行きで

とあることで、青果市場に行き、マツタケを仕入れるというので、我が家にも少し分けてくれという話をしたところ、どっさりマツタケが届いた。今の時期なので、外国産だろうが、久しぶりにがっつり食べた。コロナになってからは自宅にいることが多いので、何か食べるものにしてもいいものをと思ってしまう。ずっと動いて生きてきた人間としては、これだけ拘束された人生を送っているととてもしんどいのだ。この話の成り行きもたまには飲もうかという話をして集まったわけだが、みんな声をかけるのは躊躇するよねと言う話に同意。難しい時代になったものだ。店にあまりいかないので、こうしたものを仕入れて、我が家時間でということは多くなるだろう。まあ多くなった。これでいいのかはわからない。が、マツタケは美味かったので、ひとまずよしとする。