日常

動きながら考える

繁忙期と仕込み

僕の仕事の繁忙期と新年度の仕込みのタイミングが同じで、非常にタイト。春になれば、新しいことをしたくなるし、新年度のスタートを切ることになる。ああでもない、こうでもない、これをしよう、ここまでやると中途半端になるかとか、とかく考える。元来、あれもしたい、これもしたいという好奇心のカタマリのようなところがあるので、欲張り気味。研究もいったん小休止(もちろんやるけれども、この1,2年より鈍化の予定)して、違うことにも目を向けたいと思う。1月から3月は少し時間欲しいな・・・、ついつい情報収集も悪くなり、自分の発信に支障をきたす。文句を言っても仕方ないけど・・・・。

続・呉編

その続き

締めにラーメンを食べるのはほんと久しぶり。一軒目でたらふく食べたのに屋台が懐かしくなり、足を運ぶ。八起もよく行ったお店。元気にやられていた。昔は呉の屋台ももっとお店はあったが、今は数軒、あるのみだが、これも風情。いいものである。近くに川があり、屋台がある。中州も久しぶりに行きたいものだ。基本的にじっとしているのが苦手な僕であるので、動きながらあれこれ考えてみたい。そういえば、その時の飲みで僕はグルメだと言われたが、本人にその意識はない。趣味でもないしな・・、他人から見た自分は光景は違うようだ。美味しいラーメンで久しぶりの呉の飲みを締める。

呉へ

美味い!

呉で飲むことに恵まれた。一時期、呉はよく行っていたので、懐かしくもあり、レンガ通りも歩いてみた。昔は九嶺だったかそんな名前の本屋に行くのが楽しみであり、商店街もふらりと歩くのも楽しかったものだ。今回、老舗の関白さんへ。初めていったが、昭和の雰囲気満載。ここは美味いなと思ったものだ。そして価格もそうびっくりするほど高くない。良心的だと思う。地元の人には愛されるだろうなと思う。今年はもう少しグルメも足を伸ばそうなと思ったり、近場で。呉は今年、何か集中的に行こうかな、この感じはちょうどいい。

ご近所さん

懐かしい

住まいのご近所さんとは壊滅的にお付き合いもなく、会釈する程度であるが、職場の近くはお付き合いはある。移転前のご近所さんとは長いお付き合いで、久しぶりにばったり会った。東広島の狭い町だから、結構人には会うので、気が抜けないところもあるが、まあいいものである。一度、半年くらい東広島市に住んだが、落ち着かないのなんのって、どこ行っても人に会う。生活もすべて見られているような気がして息がつまったものだ。昔のご近所さん、元気でやられているようで何より。たまにはのぞ

「喫茶店」の倒産急増

喫茶店好きなものとしては・・・

よく利用する喫茶店。こんな記事を読んだ。原材料の高騰、珈琲豆の仕入れ値の上昇により、利益率が圧迫。中小零細の喫茶店が倒産が増えているという。確かにコメダやスターバックスなど大手がどんどん店舗拡大をしており、街にあった喫茶店がなくなっても、こうしたチェーン店がどんどんできる。特徴ある街の喫茶店は姿を消し、物価高に押されて外出も控える。社交の場も変わりつつある。それにしても、喫茶店だけではないが、どうも悪い流れが続いている。社会に余裕がなくなる軋みを毎日感じる。おいしい珈琲はどこで飲む?

ハイソサエティ

私論にて

私論を言うから個人ブログでもあるが、僕が近年思うことで、①煙草を吸う、②毎日、晩酌をする、という人は僕からも見れば、ハイソサエティである。①②とも嗜好品であるし、その嗜好品は別段のお金が発生する。特に②である。②の方が費用はかさむわけである。タバコは僕は吸わないが、酒は飲む。酒は飲むにしても毎日は飲まない。いずれにしても、余裕がないとその行為は享受できないのではないかと思うものだ。①は休息というのかもしれないが、やはり吸わない人間からすれば、贅沢な行為である(僕は吸いたいとも思わないが)と思うし、②の酒も毎日といえば、息抜きというのかもしれないが、そういう余裕が僕にはない(これも毎日は欲しいと思わないというのもあるが)。どこかでそういう余裕を得れるような人間生活ができればいいなと思うのだが、それは訪れないと思う。こびりついた劣等感が生活の恐怖として存在しているからである。ただし、人にそれを是正してくれとは思わない。どこかで僕の視線は羨望の目を持つ反面、僕は僕の基準で努力するしかないと思うだけだからである。

いかん、飲み過ぎた

人間らしい所作か

少し飲みたいと思って、繰り出すとついつい調子に乗ってしまってしまう。やはりお酒がだいぶ弱くなっているので、昔のようには飲めない。飲めればいいものではないが、飲み過ぎているんだろう。しかも翌日が決まって、下痢。何のことはない。毎日、お酒は欲しいタイプではない。だから出ると、こうなるケースも。翌日、お酒が残り始めたのが気になるところである。年齢相応に考えるべきであろうが、どこかでまだまだ若いと思う自分もいる。その調和が難しい。夜はやはり楽しい。しばらくは出たときに同じことを繰り返す。人間らしいと言えば人間らしい。

趣味がない人生

充実した時間を過ごすために

自分に趣味がないのは悩みである。仕事が趣味のような人は多くいる。話すことも仕事のことばかり。それはそれでその人が充実感があるのならそれでいいし、否定されるものではない。僕は仕事以外を充実させたいので、何か夢中になれることはないかと思うもの。ようやく自分はこれならやれるかも思うようなものを見つけたので、少しずつ形にしていきたいと思う。いつかこのブログにも書けるようになればと思う。せっかくなら続けたいので、無理をしない程度でゆるくやりたいのだが、どうも時間もかなり取られそうで、もう少しゆとりが欲しいところ。ここは悩むが一歩踏み出さないと何も起こらないので、ちょいとその点、動いてみようと思う次第。

お互い頑張っていこう!

やっぱり少人数がいい

12月しか会わない同級生とこの前、たまに飲みに行くかということで趣向を変えて一杯、団体でしか会わないので、正直、席が離れていれば、しゃべることもほぼない。ただ同じ場所に居合わせただけということになる。だから何の意味があるのかといつも思うが、まあそれはそれで近くの人と旧交を深めているんだから、これも場である。僕はほんと多くて四人くらいでの宴席がいい。せっかく忙しい中、会うんだから話もしたいじゃん。そんなことで居酒屋が好きなのに、フレンチを食べてみました。おいしゅうございました。そしていろいろ話もできた。お互い、同級生、頑張っていこう。50歳は目の前だ!

世の中に怒りを

日本中、ひらひら

いつも行く飲み屋さんが移転したので、寄ってみた。久しぶりに会った人がいて、まあいろんな話もしたが、吉田拓郎さんの話になり、大ファンなんだということからカラオケ合戦。これ、マニア向けだよね?って歌を何曲も。そうすると、ひらひらという歌を歌ってみた。今の時代の世相にぴったり。「おいらもひらひら おまえもひらひら あいつもひらひら 日本中 ひらひら」・・・、まあなんて社会だ!そんなことを感じる夜であった。