
たまにはいいでしょう、昔話も
20年以上のお付き合いのあるお店へ寄らせていただいた。職場界隈ではほとんど飲むのを辞めた。目が射すからであり、別に悪いことをしているわけではないが、少し距離をおいている。酒の席で何かあってもいけないし(そうそうはないが)、あまり飲みたくなくなったのもあるけれど、そんな事情。まあ今回は宴席の機会があったので、覗くとずっとしゃべる感じでした。懐かしい話もたまにはいいのかしれない。それにしても時の経過は早いものである。20代で会って、僕も50歳近いわけで。そんなこんなの昨晩の夜でした。

確かにめんどくさい
赤日の間の3日間の仕事である。休めば、身体もだれる。また無駄なお金を使うとあって非常に考え物である。しかし、意外にやることもあるし、休むと繰延をしてしまうので、あとあと大変になるのも事実である。先行逃げ切り。そんな心持である。連休前にすごく久しぶりの方から電話をもらった。訃報である。どうも少しずつ知った方が死んでいく気がする。明らかに多くなった。僕が身体にいたわって過ごしているわけではないので、どこかで急にということもあるかもしれない。そうなると、自分が残すものは何なのかと思う。そう思うだけでなにもしないで死んでしまう。そんな風になるのだろうか。いずれにしても、「死」はどこか向き合わないといけない。この激動の時代に何を思うのか。そんなこんなで今日の一日。

子どものオーダー
遊園地系は僕があまり好きでないので、行くことはないのだが、子供たちの会話もあるんだろうね、盲目的であった「みろくの里」へ。広島県内では遊園地と言えば、ここくらいしかない。昔はナタリーというところはあった。遊園地というほどではないが、マリーナホップも今年で取り壊されることになるので、ここくらいしかなくなる。そんなこんなで行ってみると、さすがGW。たくさんの来場者。たまらないね!待ち時間も。それでも子供たちはかなり楽しかった模様。まあ行けるときはだんだん少なくなっているので、少し妥協するかと思うところ。晴れた日に行けてよかった。

力をつける
来年度あたりからは再発進で動いていこうと思うが、今年度はまだじっくり力を養成する。一度、立ち止まって物事を考えたいという時期で、できるだけ一人でいるようにしている。だからもう少し動けばいいのにと自分で思うこともある。しかし、動く=工数が増えると考えると、二の足を踏む。それだけ「いま・ここ」を大切にしているからである。しかし、もう来年度をこうしよう、ああしようと準備だけはしている。気が早いかもしれないが、時が経つのが早すぎて、怖いのだ。いつになったら、悩みもなく、晴れやかに生きられるのかとも思うが、人生はそんなものかとも思いながら、春雨の日を過ごす。

人の趣味で楽しむ
3,4か月に一度、一杯やる先生がいる。その先生はとかく蕎麦が好き。だから飲むときもできるだけ蕎麦の店を選ぶ。昨年は東京にいった際も、1日4食も蕎麦を一緒に食べた。いい思い出である。趣味がある人はうらやましいもので、自分には何もない。自慢にもならないが、じゃあ趣味のお裾分けというか、たまにその人の趣味に付き合うと楽しめないかと思うようになり、これはこれでと思いながらいる。十人十色。興味は違い、それはそれで面白い。今回は二八蕎麦。おいしくいただきました。

たまにはランチでも
昼でもどうですか?と誘いもあったので、たまにはと思い、食事をさせて頂いた。痛感するのは、ランチタイムの有効活用、コミュニケーションの必要性である。今頃は忙しいし、自分でも考えたいことが満載なので、一息つけるように一人でいるように極力している。しかし、たまにこうして出かけて、他の人としゃべるのもいいものだなと思ったものだ。夜と違い、昼タイムは時間も区切りが見えやすい。これ、大切な時間の使い方であるよねと改めて思うランチタイムでした。

子どもから大人へのステップ
長男が今日から中学生である。3人の子どもにも伝えているが、幼稚園をもって、父親が入学式や卒業式に行くことは辞めている。①みんな行けるかどうかわからないので、不平等になりうる、②父親は外に出て、仕事をして、家族を養うのが本分、といったことを念頭にそうしている。だから子供のことも心配ではあるが、ここは母親に任せている。中学生になると、今まで小学校では最高学年であったが、また新入りの新人である。環境も多く変わるので、人格形成にも大きく左右する。公立には行かせたくなかったが、自発的ではないといくら進学校にいったからとて、成功するはずもない。結局は自分なのである。これからは「大人」として成長を期待する。あまり大カバチを垂れると、父親の雷が落ちるのもわかっているとは思うが・・・・。わんぱくもでいい、たくましく育ってほしい(何かのCM)。

若いころの話
若い頃、わいわいやっていた人が再独立をして飲食店を開業したので、お祝いがてら一杯飲みに行った。空白の時間。やはりコロナもあったり、別の仕事にもついたりといろいろ苦労はされていたようだ。空白の時間、僕ももちろんいろんなことがあって、悶々としていたし、ああでもない、こうでもないと思いながら生きていた。だからそれぞれに思うところはあるだろうが、こうして何とかこうにか再スタートを切れたことに素直にお祝いしたい。歳をとると、残念ながらこれもできる、あれもできるという風にはならないだろう。どこかの政治家ではないが、「自分の立ち位置」を考える。50歳のカウントダウンは少しずつ進んでいる。僕は僕なりに頑張っていくし、また再起を目指して頑張る姿に刺激と再会の喜びといろいろかみしめたいい夜であった。

特別な日
13回目の結婚記念日&母親の誕生日。僕がいろいろ考えて、この日にしたわけだが、結婚して長い時間経過した。ちょうど12年前の写真である。息子がピアノ教室に通っていたころであり、まだ幼さがにじみでる。今は一丁前なことを言ってくるが、こうして大きく育っているので、時の経過は早いものだ。離婚が多くなっている中、不思議と長く生活が続いている。離婚前提ではないが、長く一緒にいれるのはきっといいことだろうと思う。花よりケーキがいいそうで、大事に持って帰ろうと思う。そして、母親にはお花を持って行くつもりである。長く生きてほしいと願う次第。二人に感謝した一日。4月4日。死ぬまで感慨にふける一日である。

さかのぼること、2006年
立命館時代MBA時代の同期が広島に寄ったのでということで、連絡をくれた。そして一緒に食事をして、旧交をくわえた。当時の立命館はMBA専門職大学院の初年度であり、入学もしやすかったと思うし、先生方も初年度ともあって熱気があふれていたように思う。今ではMBAは学力的に入学できなかったかもしれない。また29歳という若さが関西へ進ませたと思うし、エネルギーは重要と思う。さてもう20年近くなるが、大きくキャリアチェンジをしているのは、FBで拝見済。充実した人生を送っているようだ。社会人大学院は、人生の転機となる可能性も多い。それを証明した人だと思うし、努力の賜物である。コロナもあったが、ほんとMBAの人たちとは会わなくなった。機会もないのもあるが、たまにこうしてふらっとというのが一番好ましい気がする。