日常

高収入の職業

大学教授は稼げる?

高収入ランキングを見ると、1位:航空機操縦士、2位:医師、3位:大学教授、4位:大学准教授、5位:弁護士だそうで、トップ5の中に大学の先生は2個もランクインしている。実際、恵まれた職業ではあると思う。時間の自由度は高い方だし、収入も高い。研究費も出て、長期休みもあるなど、他の職業と比べてもそう思う。しかし、大学の先生はぶーぶー言う人もいるが、他を知らないだけである。社会的地位も高いし、基本頭を下げる仕事ではない。そうしたことから僕も転職をと思わなくもないが、この歳になると65歳定年といわれると、75歳まで現役とすれば、10年間の社会人としては余暇を楽しむことになるが、それでは困る。お金の面、生きがいの面、もうこの歳であれば、マイナスである。少しだけ大学にはかかわるという程度が好ましいと思うものである。大学の業界も厳しくなり、閉校は進む。頭でっかちのインテリの未来は明るいのかと思うが、今それでもいい職業であることは否定できないのだ。昔、こんな本も流行ったものだ。

 

 

 

出来ない自分と向き合う

現実を受け止めるしかない

思った以上に自分の子どもの学力がない。僕の想定するレベルのかなり下に位置しており、相当悩む。本人も危機感がない。母親は教育熱心な方ではないので、善後策もない。自分だけがイライラしてしまい、言う気も失せるほどである。元来、自分の子どもは親が教育できないので、他人に任せる。つまり、よい環境を与えるというのが親の務めと考えるが、何分、本人にやる気がない、人より相当劣っているという危機感もない、楽天的な生活を好むことから、ただ親子関係、夫婦関係が悪くなるだけである。結局、大人になると自分で責任を取ることになるが、わかっていてそれに対処できない僕のジレンマは相当なものである。教育にも携わると、よくわかるのだが、親だからだろう。子供は僕を尊敬(尊敬までしなくていいが)はしていない。教育がきちんとできていないのだと感じざるを得ない。一定の時期までは詰め込み教育、ドリル的な勉強もやっぱり必要で、それを排したら応用もないのである。家にいることが苦痛である。甘やかし(僕も含めてだが)て育っているから、それを受け止める「心」がない。自分に学力や能力が人より相当劣っており、人の2倍3倍、頑張らないといけないと奮起してほしいが、気づくのはだいぶ先かもしれない。その時はもう僕は生きていないだろう。

気になるお店

特徴とリピート

毎週、岡山の行き来が始まり、ここへ立ち寄ってみた。どうやらTSSのそうだったのカンパニーにも出ている会社のようだが、このサンドイッチを目掛けてドライブ。分厚い卵焼きがサンドされ、ほんとにうまい。家族にも大好評であった。普通にある卵焼きであるが、やはり厳選したたまごを使い、見た目もいいので、手が伸びる、価格も見ていない。これなんだろうなと思う。また近くに寄れば、リピートしようと思うってことは、ファンが出来たということか。一度、食べてみてほしい商品。ご賞味あれ。

自己顕示欲の代償

俺ならできる!

自分を過信してならぬ。器以上のことは出来ない。俺ならできる、たぶんこれは違う。確かに自信を持って、意欲的に取り組むことは素敵であるが、強い自己顕示欲はしっぺ返しを食うような気がする。僕も自己顕示欲は強い方であるが、最近は年齢もあると思うが、下がり気味で生きている。その方が楽であることもあるが、50歳も近くなると、自分の領域が見えてくる。人生の一発逆転も考えなくはないが、「器」は間違えないようにしたい。最近、身近でイケイケどんどん、自己顕示欲旺盛の方の停滞を目にしているので、自分で自分を戒めたいと思う出来事。その方は気づかない。僕はほどほどでいいが、オンリーワンになるようなことは何かやりたいと思う。自分の出来る領分の中で。

AとBの選択

決断したら進む!

人生には選択があり、どちらに進んでも一長一短がある。なので、決めることの怖さもあるし、やっぱり後悔だってあるものだ。もちろんよかったと思うこともあるしと。ほんとそれぞれ。決められず、なあなあ。たとえば、「ああすればよかった」という後悔のもと、過去が美しくなる情景もあることも多いかもしれない。でも決断したらいい方向に進むようにとかく前を向かないといけない。若いころは後悔ばかりで逃げ道を作っていた気はするが、もう言い訳できないほど年齢は重ねてしまった。決断⇒行動の姿を人は見ているし、その姿に誘因していくこともある。過去は過去の一時点。未来を切り開こう!そんな思いを馳せるのは、そういう人が今の現状を突破せず、逃げた。勝ち馬に乗れなかったので、僕にもう一度という話が来たからなおさら思いを持ち、自分はこうあってはいけないと思っている。

日本酒が美味い

都の西北

早稲田大学の公認の日本酒。頂き物であるが、いい季節になったので、飲んだ。1年に1度飲んでいる、美味いな~。やっぱり早稲田は憧れの場所は消えない。なので、気持ちもかわるのかもしれないが、早稲田大学って田舎者の鏡みたいなところがあって、魅力的。スマートではないが、やや泥臭さもあるようなイメージ。卒業生はそうは思っていないだろうが、僕は一番好きな大学である。どこかで卒業生にはなりたいなと思うんだけど、まあ年齢も時間もお金も・・・、考えることありますね。「都の西北」。機会あれば、ご賞味あれ。

連絡先がわからず・・・

思い出は儚い方がいい

とあることがあり、その関連するその方に会いたいなと思うが、その人に連絡先がわからない。メールにおいては、仕事を辞めているので、そのアドレスはない。個人アドレスはBIGLOBEを使っていたが、もうそのアドレス自体が使えなくなっているようだ。電話番号は昔知ってはいたが、携帯電話を落としたりしたこともあり、わからなくなっているとか、まあそんなことで繋がる術がない。万が一、手掛かりは思い、SNS なども見たが、当時からそういう類はやらない人でもあったし、今もそれはなさそうだ。そんなこんなである。結局は思い出は儚い方がいいと割り切りもしているが、「とあること」がなければ、検索もなかったと思う。元気にやってるのだろうか?少し昔の思い出に浸る出来事。自分の中で閉じておく。

誰も知る人がいない場所へ

トラベリングマン

年齢がそうさせるのか、日常がそうさせるのか、わからないが、好んで誰も知らない人の場所を選んで夜を楽しむ時間を作るようにしている。街を歩いても、誰も知った人に会うことがない。飲食をするにしても、インターネットで選ぶなど、かかわりのない場所を選ぶ。よく聞くのが週末になると、たとえば博多にいるとか神戸にいるとか、自分の住まいの県や市町村にはいないようにして、完全なリセットをして過ごすといったこと。その気持ちわかるな・・・。なので、時々、こうしてふらっとどこかへということもあるもので、見知らぬ人とたわいのない話をして、「旅人」で楽しむのもいいのではと思うものだ。実際、近くで飲むより遠くにいた方が気分も変わるし、この方が精神的にもいい気がする。また行き詰ったら、知らないどこかでふらっとというのがとても楽しみにはなっている。

おわりはじまり

さらば大学の教壇!

今年度で大学の教壇とはすべて離れることになる模様。いろんなことあったなと思うのだが、次のスタートして位置づける。常勤は話を頂くことはあるが、自分のライフと噛み合わないので、第一希望は、特任。その次は客員で、多くても週2日という程度で大学教育にはかかわりたいと思っているが、なかなか要望通りにはならない。下手に僕がいろいろ科目を持てる方だと思うので、 自分の専門分野がなんだったかなと思うこともしばしば。他人からの評価と自分が思う評価は異なるものである。教壇には「思い」もあるので、新天地へ少し動くと思うが、この1年は僕自身も大きな動きもあるだろうから、文字通り「おわりはじまり」なのである。

学費の値上げ

文部科学省への「反抗」か?

東大が学費を上げるという。約2割とのことで、値上げは実に20年ぶりだそうだ。教育無償化という流れとは逆の方向に動きだした。大学においても予算がだいぶ削られ、苦肉の策とも聞くが、東大がこれを進めると、他大学も追従はするだろう。奨学金を利用している学生は半分くらいはいるそうだが、なかなか高額な学費、仕送りと考えると、奨学金を利用するのは頷ける。時が返ってこないと考えると、借金をして、「今」の学校を取るかどうか考え深い。これだけ社会がカオスな今、ここまでリスクを取れるのかと考えてしまう。国立大学こそ学費は下げてほしい。教育機会を作ることを考えてほしいのだ。国もどう考えるのか。少子化対策といっても、無策に近いと僕は思うが、真剣さの伝わらない内容に加えて、こういう話題。どうなる日本の未来って話である。