日常

子どもの絵

思わず「パシャリ」

毎年、北広島にある民宿「あるぺん屋」に行くが、夏にとったカニを大切に子供らは育てている。可哀そうな気もするが、すごくかわいがっている。先日、長女が絵を描いた。嫁の血を引いているのだと思うが、3人とも絵は上手だと思う。中でも今回、長女の書いたカニの絵。とても上手に描けていると思う。親バカなところはあるが、カニへの愛情が伝わり、やさしさを感じる。なかなか僕は気に入っている。絵を自由に書かせると、心の状態が見えるもので今のところ、いい心持ちであるような気もする。明るく元気よくたくましく育ってほしいものだと思いながら、長女の絵を見つめている。

スカイレール

日本唯一の交通システム

近所ちゃあ近所にある広島市安芸区瀬野にあるスカイレールが4月末でなくなる。1.3キロを結ぶゴンドラ車両で運行する日本唯一の交通システムとして知られる(あまり知らないと思う)。これが来年4月末に運行を終える。長男が大の鉄道好きであるので、こういう知識があるのだが、全国から「てっちゃん」の大集合。それらしき人もいた。これから多く集うに違いない。当初は総工事費は62億円もかかったようであるが、それがなくなる。当初から赤字続きと言われているが、将来の見通しの甘さを感じざるを得ない。ただここに住む住民である。バスが運行するようだが、当初からバスにすればと思う。住まいのインフラであるから。交通システムは政治だろう、金だろうと勘繰るのは早計だろうか。そんなことを思いつつ、早めのラストランに参加した次第。

岡山にて

岡山も長くなったものだ

岡山で講義をさせてもらえるようになって、3年目である。講師室でも事務室でも図書館でも話す人は増えた。見知らぬ時間講師ではなく、皆さんよくしてくれる。せっかく岡山に行く機会があるんだから、もう少しいろいろ楽しんでみようと思っている。今回は早めに岡山に入ったので、名物のえびめしやへ。なかなか独特の味。岡山はほんと縁がなかった。岡山は新幹線でも通過するし、そう用事もない。だから岡山のことは隣の県でもよく知らない。講義の前後で時間が何等かとれるわけだから、ぶらりとするのもいいかもなと思い始めた日々雑感。

舟と筆

東京の楽しみ

銀座に一件、僕が楽しみに寄る小料理屋がある。他の人を連れて行っても、みんな喜んでくれる。それだけいい店なのだ。コロナもあって当分ご無沙汰している川嶋先生と一杯。僕を農大へいざなってくれた恩人である。僕はどこの学校より農大が好き。農大はそれだけ魅力がある。そんなこんなで昔話、今話をしていたところ、お隣のお客様がとても素敵な書道家。小熊廣美先生。気さくでだいぶ面白い先生。意気投合した。うまい料理に酒、いいお話。すべてにわたっていい時間であった。楽しかったな~。後日、メールでやりとりした。メールも粋であった。こんなブログも書かれているが、それぞれの「再会」は「未来」の懸け橋になると思う。そんなことを感じた。

ルパンにて

銀座の二日

頼まれごとで、久しぶりに東京へ。有楽町で仕事だったので、銀座といえばルパン(他もたくさんあるが)。ここへ久しぶりに行きたいと思い、足を伸ばした。運よく太宰が座っていた席であり、写真をパシャリ。うれしかったな。文学をやっていた人間からすると、ほんと気持ちは昂る。そもそも太宰を勉強しようと思っていたんだから、太宰は特別な存在なのである。それにしても、忙しい東京滞在であった。いろんな話もあるが、やはりたまには都会の空気を吸わないといけないと思う今日この頃。

ぶらり宮島へ

お父さんはどこへ行った?

宮島方面へふらりと一人で。まさか島を渡ることになるとも予想しなかったが、久しぶりの宮島は観光気分になれて心地よい。それにしても、多くの観光客が訪れ、活気に満ち溢れていますた。鳥居も修復が終わり、立派に。何度来ても宮島はいいところだなと思いますね。最近は一人を好む。好むというか、必然的にそうなる。それに慣れようとしている自分もいるし、いろいろ思うことは多々あるもので・・・。リフレッシュにはちょうどいいかもと思いながら島内をぶらり。帰ると、お父さんはどこへ行ったのかと。それはそうだ、何も言わず、ただ外出したのだから。

整える

供給過多

掌の中に仕事ややることをおさめる。少なくとも、少しあふれるくらいなら何とかというところだろうが、それ以上はどう欲張ってもできない。破綻する。これが僕の考えである。僕がやっている仕事は地味な仕事であるから、派手なことに憧れる。ただ歳を取るにつれて、派手なことはもうできそうにない。これはやる気とか積極性がなくなったと意味ではなく、地味なことでしか、自分の領分がないとことの自覚。自分の領分で勝負するしか活路がなさそうな気もする。派手なことというか、心を熱くさせてくれることがないのもあるが、地味な部分に自分の社会貢献があるのなら、それは甘んじて受けるべきな気がする。表に出るオフェンスではなく、その意味ではディフェンスなのか。生き方に迷う50歳手前の今である。

分相応

500円以下

広島大学に用事があり、大学へ。ランチタイムでもあったので、食堂へ行ったが、すごい人。ただ多くてもすぐに流れるので、負担もなく、食事ができた。学食、すごい安い。495円である。大盛にしなければ、400円前後である(学生の量、食べ過ぎた)。学食なので、味に対して大きな期待はしていないが、ランチで500円で食えるところはそうはない。これだけ物価高で何でも高いので、なおさら思う。結局、学食のランチは分相応ともいえるような気もするし。たまにはいいだろうと思いつつ・・・、日々雑感。

文句も多いが・・・

英語は逃げられない

小学校6年の長男に今年度からNHKのラジオ英語を導入した。どうのこうの、文句ばかり言っているが、一応、続けている。一生懸命、取り組んでいるのは、ゲームである。ゲームを与えたのが間違いであったと後悔しかない。英語はどうやっても、今の教育上、逃げられないし、英語が出来ていた方が世界は広がるように思う。それを理解するにはまだ年数がいるんだろうが、そうはいっても来年は中学生になる。日本に希望が持てない以上、やはり海外で活躍してほしいと思っているが、親の言う通りにはなるまい。ただ頑張った自分しか最後は助けてくれない。だから粘り強く続けて、本当に血肉化するように学習してほしい。

 

一人でいる時間

最後は一人になる

子どももだいぶ僕から離れてきた感じがする。寂しい気もするが、それは成長ということである。僕自身も年齢を重ねるにつれて、ギガ数が少なくなり、仕事でもなんでもそうだが、できる量が減ってきた。それに加え、一人になりたいなと思うことが多くなり、どのようにすれば一人でいながら充実感があるのかということを殊更に今、考えるようになった。一人でいると、孤独だと思うこともあるが、最後は一人であるし、どこかで孤独を楽しむことも必要ではないかと思うもので、そんな年齢になってきているんだなと思うのだ。そんなとき思い出すのが、この書籍である。いつまで経っても浪人的生活のような気もするが、それも僕であるための自己存在証明なんだろう。

 孤独であるためのレッスン (NHKブックス)