日常

ボジョレ解禁

頂き物

ボジョレを今年も頂いた。すぐに飲まず、正月に嫁さんの実家で頂いている。あまり好んではなまないが、たまにはいいもの。昔、ボジョレを何年か置いてみたら、味がよくなり美味い酒になった。ボジョレ解禁→すぐに飲むという風習よりも少し寝かした方がいいのかもしれない。それにしても、酒で思い出すが、忘年会等、ちらほら声がけを頂くが、予定的に結構しんどくなってきた。できるだけお酒の機会は減らそうと考えている。これは体力、資力もそうだが、時間の浪費が一番大きく、影響が大きい。そんな意味で時間配分を考えないとなと思うところ。ボジョレ2023は楽しみに飲んでみたいと思う。

たまには飲みに出よう!

話をするということ

一度、一杯という話でとある金融機関の方と飲みに出た。最近はあまり金融機関と交流がなくなった。なくなったというよりコロナもあって、組織としてアフターの制限もあったし、行動様式も変わったことから必然的に行かなくなったのが正しい回答になろう。しかし時は経過し、いろんなことが起こっているわけでこうした交流もやはり必要なんだなと改めて思ったものだ。少しずつ一人の時間を増やそうとする自分と、どこかで人と交流しないといかんなと思う自分と分裂感はあるが、やはり学びも多い。酒の席で円滑に人としゃべることも大切なんだなと改めて思った夜であった。

喫茶店時間

一息の時間

喫茶店は最近はよく寄る。一息つくのもあるが、論文を書いたり、勉強したり、本を読んだり、スケジュールを整理したり、打ち合わせしたり…。、いずれにしても一度、動いている時間を止めて、整頓する時間である。在京時は喫茶店が好きでよく通っていた。最近は忙しいながらもどこかでこういう時間を作るようにしながら、できるだけ一人でいるようにと思っている。昨日は打ち合わせであったが、会話も楽しむ時もこれも必要である。歳を重ねてどこかで喫茶店はやってみたいと思う仕事である。そのときは「食べる」ための仕事ではなく、「生きがい」としての仕事になればと思うのだが、資金的にもそう余裕のある生活が待っているとは思わないが・・・。いずれにしても、スイッチの切替は喫茶店のみならずである。

 

小学生最後の誕生日

早いもので12歳

昨日、生まれてきたような感覚もあるが、長男、小学校最後の誕生日を迎えた。12歳もなると一丁前である。オオカバチもたれるし、立派なものである。これから大人になる境であるから微妙な歳になってくる。ここからどのように自分を構成していくのかは重要であろう。かといって僕自身がうまく立ち回れたわけではない。なので、ここはうまく乗り越えてほしいなと思う次第である。僕が正解ではない。自分自身で開拓していってほしいと願う次第。そして、誕生日はお母さんに感謝する日だぞ!そこは忘れないでくれ。お誕生日おめでとう!

行動の原動力

目的がないと動けない

未来の自分は今の自分が創造する。そう考えると、「今」どうあるべきか、どう動くのかが重要になってくるわけで、やはり日々の堕落や怠惰な自分とどう向き合うのか、なかなかきれいごとでは動かないのもそうであろう。僕も考えると、徒に日々が経過しただけで、果たして年相応に生きて来れたのか、そんなことをふと思う。やはり目的がしっかり定まって生きていないと、小さいころに強制された学校の宿題をこなすという作業では大人になってからは通用しない。しかし、ドリル的にこなす時期も必要であるのは間違いないが、やはり目的を高く持ち、それに向かって努力する。そうなければならないと思う。人に言うようで、実は自分に戒めている。起伏が激しい今の自分にどこか心を静めながら、爆進しなければという起爆剤を欲している。なかなかだな・・・と思いながら生きている。

谷口正和先生を偲んで

足跡の確認

立命館時代にお世話になった谷口正和先生の回顧展が今週末にある。招待状をいただいたが、どうしても今回、上京が叶わず行けそうにない。散々、お世話になったのに、最後のメッセージの場にも入れないとは、不義理でしかない。昨年、僕の誕生日にお亡くなりになった。なので、なおさら忘れることがない。立命館のとき、授業後に飲みに行くのだが、8回授業あって、8回とも僕は行った稀な学生であった。先生曰く、4回目と8回目は交流するように考えていたようだが、僕が引っ張っていろんな話をした。谷口先生の出版社からも書籍を出させてもらった。「構想力」とよく言われていたが、今の僕はどう先生からは移るのかはわからない。しかし、一生懸命生きているつもりだ。天国から見守ってほしい。立命館大学院の一番、熱い時期にお会いできたのは幸運であった。いい学びと時間を僕に与えてくださった谷口正和先生に感謝したい。

生き方の模索

こういう生き方もあるのか

最近、たまたま出くわしたもので、留学関係のものをみた。ここでの体験記であり、卒業生の記事であるが、放送大学の単位を使って、アメリカの大学に編入したというもの。僕にとっては衝撃的であった。こういうステップで留学をして、人生を切り開く方法もあったのかと。若いころは思わなかったが、放送大学は非常に優れたコンテンツを持つ大学で僕にとっては相当評価が高い。とてもいい大学だと思っている。学費も良心的であるし、選択科目も多く設定しているので、幅もある。そして内容もいい。独学という場に身を置くが、それは普通に考えれば当たり前のことであり、そこを正面から受け止めればなんてことはない。僕もこんな選択肢があるのなら、放送大学→アメリカへという選択もよかったのではないかと思った次第だ。意識と目標を高く持つと、どこかで見えなかった選択肢が見えるのか。若いころは一本道しか見えなかった。その一本道は険しいものであったし、僕の過去は素晴らしいものではない。ただ時は帰ってこないので、今をどう生きるかしかないわけであるが、この記事を読んだときにもっと充実した人生があったのかもしれない(今とは違う)、そんなことを思った日々雑感である。

 

誕生日会

近所にて

お誕生日会をやるのでという話で、近所での祝いに参加した。そこまで長い付き合いではないが、祝いには多くの人から祝福をした方がやはりうれしいもの。そんなこんなで急遽花屋にいって、小さな花を持ってお店へ。子供たちも一緒に祝いに参加してくれた。人とのつながりが希薄になっている今の世の中、ささやかな時間と空間が人を幸せにしてくれるのかもしれない。社会が混とんとし、不透明で見通しの悪い今、こんな平凡で有難い(あることがむずかしい)ことがあればと思うものだ。ささやかだけど、お誕生日おめでとう、まりこちゃん!

廃線をたどる

電車好きの息子にはいいだろう

連休中に瀬戸大橋近くにある旧下津井駅を訪れた。平成2年に廃線となった模様。児島から岡山市内への足となっていた電鉄もこうして観光資源として保存されている。瀬戸大橋の開通はもちろんプラスの部分もあるが、マイナスもある。マイナスとはこうした地域を支えてきたものがなくなっていくこと。電鉄の利用の方が便利だと言う人もいただろうし、それは仕方ない部分でもあるが、すべてが残るものではない。そんな時代の移り変わりを見た気がした。近くの保存会たる民間のサークルのような方々が写真や機材保存などしているところもあった。鉄道マニアな息子がいなければ、一生寄ることはなかっただろうと思いながら、ここを後にした。

近所にて

徒歩数分

家の近所にお好み焼き屋があり、ふらっと一人で行く。近所すぎて、人に会わないかと思い、ビクビクするところはあるが、ちょうどいい。近所付き合いは基本的にはしないようにしている。その理由が、①妬みと嫉妬になりやすい、②知らないほうが幸せな気がするという点が大きい。これは僕の基準であるので、誰も当てはまることではないと思うけれども・・・・。話は戻すと、ほんとすぐに家に帰れるので、ついつい酒の量が多くなる。これは気を付けないといけない。店主もあまり欲がない人で、ちょうどいい感じである。酔いにいくというより、一日のクリーニングである。たまにそういう日を作るようにして、たわいのない話をするのである。仕事を離れると、基本的には馬鹿話しかしたくない。