日常

忘年会

しっぽり終わる

今年の12月は体調を崩して、飲もうとも思わなかった。飲むよりも身体がしんどく、日ごろの疲れがどっと出た感じ。最後に近所で鍋をつつきながら、お酒を楽しみました。あれやこれや考えることも多いですが、ひとまず今日で2024年も区切り。まあまあいい年だったように思います。あと少しですが、よいお年をお迎えください。

今年もここで終える

ココロが躍る

どうも市場に行くと、楽しくて仕方ない。ついつい大量に買ってしまうのが行けないが、年末を迎えるに当たり、市場に行かないと今年が終わらない気がするのだ。市場に行くと、大量に買ってくる、魚の処理で家庭はもめるが、それでもここが好きなので、勘弁してほしいと思うのだが・・・・。

苦労の産物

一人一人の物語

農地相続たるものを少し調べようと思って見つけた本である。これから読むので内容はまだ何とも言えないが、目次を見る限り、興味深い感想である。はじがきやあとがきを読んで見ると、苦学を強いられたようである。勉強したいと思っても、勉強できる幸せというのはなかなか感じにくい。なので、努力してこうした成果を世の中に出せて、出されて時間は経過しているが、少なくとも僕には役に立ちそうなので、やはり貢献度は高い。昔の人である。自分の住所を書籍に書いてある。やはり評価を求めているのかとも思うが、僕が何かの論文で書くことがあり、引用したらそれを見てほしいと思う。

 

人生の最終駅

最後に「肯定」するための営為

50歳が近づくにつれ、やはり人生を見直すことばかりである。最後に自分の人生を肯定したい。そう思って、そのことが頭を離れない。可能であるならば、すべてオールリセットをして人生をやり直したいが、そうもいかない。それが自分を苦しめるのだが、あれこれと考えてみても、これまでマイナスばかりである。そのマイナスをプラスに転じたいと努力するが、それまでのマイナスが大きすぎて、なかなかそれを覆うほどにはならない。これも僕の生きてきた性である。当座、数年で判断しないといけないと思うのは、学術研究である。①完全に辞める、②完全に分野を変える、③隣接分野に取り組む。今のところ、②が強い。あんまり今やっていることに執着をしていない。みんな「回収」とかいうが、そんな陳腐な発想をしていないのである。やりたい人にチャンスを与えてほしいし、僕は少しだけ大学教育にかかわることができればそれでいいのだ。常勤なんてまっぴらごめんなのだ。やはり生きる道は②な気がするのだが、どうもまだ迷いがある。迷いはその突き進む内容にあり、今の執着とは違う。何をやれば、最後、「肯定」できるのかということだけなのである。

体調が回復しない

けだるい

熱、インフル、コロナではないし、身体も回復傾向にはあると思うが、とにかくだるい。覇気もない。睡眠もこの2週間、10時間くらいはとっているが、咳が止まらず、体調が芳しくない。夜も出たいと思わないし、人と接するのもおっくうである。電話さえもめんどくさい、lineもNOサンキュー。弱っているなと思うところ。今週末にはそろそろ身体を万全にしたいところだが、意外に時間を要している。加齢もある。今、何よりもこの体調面のことばかりが頭にある。

期待倒れ

凄くない

立命館出身だけに楽しみに読んで見たが、期待倒れ。何ら立命館がすごいというようにとらえられない。まずもっても、立命館の歴史が全く書かれていない。すなわち、今に至るまでどのように学校が発展してきたのかを知ることで、今が描き出されるはずである。確かに立命館が広域に活躍している大学であることは認めるが、この本によって、立命館はマイナス評価である。書いた本人は文庫にしては厚みのあるものになっているので、自信満々かもしれないが、内容がない。立命館そのものの学力を問われる。そんなこんなでこの本は残念であり、今年読んだ本の中でワーストNO.1である。

 

親父の教え

今の時代ではダメだろうが・・・・

社会人になって、風邪をひきました、熱が出ました。だから休みます。これ本当にいいの?って思う。親父はこういう時、「お前がたるんどるから風邪をひくんだ」ということで、仕事を休むというのはご法度であった。どんなしんどかろうが、出ないといけないし、動きながら治していくしかなかった。昭和の根性論といえばそうであろうが、当たり前であった。周りの経営者も「熱い日本酒を飲めば、治る」ということで酒場へ連れだされたこともある。少し痛いだの痒いだので休みだしたらキリがない。こうやって自分の体を強くして、日常を過ごせるようにするしかないのである。すべてがいいとも思わないが、これは僕にとっては当たり前。かつて野球選手の衣笠氏や金本氏が骨折しても試合に出ていた。ここまでは出来ないかもしれないが、「気持ち」も持ちようである。今回の風邪の期間中、どうしてもやらないといけないことが山積していたので、意地でやった。今やパワハラだのという時代だから、昔話で終わるだろうが、今の人たちはこうした経験もなく、社会人を過ごすのもどうかと思わなくもない。

波が来る

嵐を起こせ!

2025年に開学するZEN大学。今日現在で出願が2000人とのこと。3500人が募集定員なので、これは達成するような気がする。内容をみても面白いカリキュラムであるし、今の時代にフィットしている。既存の大学が衰退していく中、伸びていくように思う。あとはオンライン大学で学びはいいにしても、生徒指導しかり進路指導しかり、その部分がどうかというのはあるが、学費の安さも含めて、教育を受けることができるチャンスを与えてくれる。僕自身、かなり期待してこの大学はみている。

今、忙しい

夜が駄目なら昼で

年末も影響しているが、とかく忙しい。夜に一杯というのも余裕なく、ほとんど出ていない。やることが山積みなのである。だからそんな話をすると、ランチはどう?と誘われる。断ってばかりではいけないし、やはりいろんな人と話した方がいいので、ランチへ出かける。久しぶりに会うと話も弾む。そして少し贅沢にすると、やはりいいものですよ。うまくランチタイムを使いたいと、ここでも書いたことがあるが、やはりそう思う。ランチタイムだと時間延長は少ないし、有効活用できると思う。いついつも時間の使い方は永遠のテーマ。使い方の意識が必要なのである。

無邪気な頃

こうやって電車ばかり見ていたころ

今はだいぶ落ち着いたようだが、小さな頃、とかく電車、電車で息子は夢中であった。何につけても電車である。昔の写真であるが、新幹線の車窓をのぞき、よく外の景色をみていた。その頃、大阪の行き来をよくしていたし、まだ子供も1人。何かについていろいろ言った記憶がある。こういう写真が出てくると、ほっこりするものである。今は何かと大カバチをたれるが、仕方がない。これも成長と思わなくてはいけないが、腹が立って仕方がないが、まあそれはそれで。こういう小さい頃、何を思い、外の景色を見ていたのか、希望だろうか。子供の見る世界はどのように捉えていたのか。知る由もないが。