子育て

春休み

忙しいことを言い訳に

子供たちは春休み。少し遠出したいよねって話で、石見銀山へ。世界遺産に登録の地であるが、実は銀山に行ったことがなかった。広島からだと2時半程度で車で行けるが、機会がなかったのもあるし、まあいつでも行けるという慢心もありと。行ってみると、改めて新鮮な気持ちになった。カートに乗って、地域の説明を受ける。歴史に学び、土地に触れる。子供と一緒に学ぶからいい。子供たちもある程度、大きくなっているので、勉強になったようだ。そして温泉津温泉につかり、山陰の日帰り旅行は楽しく終えました。春休みにどこも連れて行けてなかったので。よかった。

学校給食の無償化?

2026年度から?

早ければ2026年度から学校の給食無償化が実現するという。耳障りの言いことをいって、市町村の首長が選挙で公約したことが国で実現するのか。住んでいるところも学校の給食費無償化を公約したが、普通に支払をしている。まあだましあいのようなものだ。給食よりも実は諸費を公費で当てた方がいいように思う。これは学校のドリルや図工などの用具も含め、学校の授業で必要なもの。給食はアレルギーで食べられない子もいるので、強ちすべてがイエスとはいいがたい。弁当の人はどうするって?その一方で多くの生徒が食べるのだから食育、オーガニックというところも学ぶ機会はできる。それでも政策的に前進したのは評価したい。さてこれからどうなるのかと思いながら予算審議を見守りたい。

意志と強制

自分を動かす「原動力」

息子の定期考査の期間が始まった。であるにもかかわらず、遊びに行く、スマホ、ゲーム。情けなさしかない。やるべきことやる。やらないといけないときにやるという姿勢がない。そもそも毎日、1時間は勉強するとか、こうした習慣の中ですごしているのならいい。楽な道に流れてしまう。今は全入時代に突入しているので、どこかは行くところはあるだろうが、行く意味があるのだろうかと思う。自分意志で動かないと成果はない。強制は一時期は必要であるが、これももう効かなくなっている。自分で気づくしかない。母親にも厳しさがない。自分だけがあれこれ言っても聞くわけもない。子供の将来が不安である。不安になっても安易な道の選択をするのだから、自分で責任を取るしかない。今のままでは淘汰され、埋もれてしまうのは間違いない。本気で努力してほしい。このままではいけないとお父さんはそう思う。

選択肢を拡大せよ

コツコツやるしかない

このブログ。息子が愛読者の模様である。昔の投稿を読んでどうたらこうたら妻と話していた。まあ別に公開しているわけだからいいのであるが、こんな暇があるのなら勉強しなさい。確かに全入時代になり、選ばなければどこかにはいけるかもしれないが、やはり「ある程度」の学力があり、可能性が広がる進学をすべきと思う。超難関にとは思わないが、やはり選択肢は広がる。それでもだめにになる可能性もある。すべてが成功手形でもないのも事実だが、コツコツ続けるしかないし、周りに流されず、自分の軸を持って生きてほしいと願う次第。結局は親が先に死ぬ。つまり、ずっと責任は取れないのだ。後悔先に立たずなのである。これは自分がそうなので、子供には同じ轍は踏ませたくない。

子供たちの小遣い

毎月の小遣い

3人の子どもがいる中で、中学生になる息子だけに小遣いをあげている。まだ小学生の娘は都度都度で、小学校6年の時に小遣いが欲しいとの申し出があった。都度都度もらった方が多くもらえるという計算を息子がしているのかと思っていたら、そうではない。自分でマーケティングをして、相場を言ってきた。当時、1000円。中学生になってから、現金1000円+ペイペイ500円にしてみた。ペイペイにすると、ポイントが加算されたりすることやもしお金がないとなっても、すぐに送ってやれるというのもある。現金を持たない時代にこうした渡し方もいいのではと思い、はじめているが、それなりに考えて使っているようだ。年齢に連れ、金額は上がるだろうが、プレゼンさせてみようと思う。どう親を説得させるのか、これはいい教育法ではないかと個人的には思っている。

節分

俺が鬼役か

今年は節分が日曜日で家に居ることもあって、父親が鬼役となった。イワシはいらないのかと言うといらないという。どうも風習にかける。それでも豆まきは毎年しているようで(だいたい仕事で家にこの時期は帰れない)、今年は「おっ!いるじゃん」ってのりである。寒いのに庭に出て、豆をぶつけられる。こんなこともあと少しだろうなと思いながら、家に帰って豆を食う。歳の数だけ食べるというが、だんだん量が多くなる。誕生日のローソクと同じかも。ほのぼのとした日曜日の夜。

無邪気な頃

こうやって電車ばかり見ていたころ

今はだいぶ落ち着いたようだが、小さな頃、とかく電車、電車で息子は夢中であった。何につけても電車である。昔の写真であるが、新幹線の車窓をのぞき、よく外の景色をみていた。その頃、大阪の行き来をよくしていたし、まだ子供も1人。何かについていろいろ言った記憶がある。こういう写真が出てくると、ほっこりするものである。今は何かと大カバチをたれるが、仕方がない。これも成長と思わなくてはいけないが、腹が立って仕方がないが、まあそれはそれで。こういう小さい頃、何を思い、外の景色を見ていたのか、希望だろうか。子供の見る世界はどのように捉えていたのか。知る由もないが。

次女の誕生日

9歳の誕生日

一番下の子が9歳になった。誕生日おめでとう。早いもんだな、あんなに小さかったのにあれよあれよと大きくなり、もう小学校3年か。しっかりしていて、お母さんのお手伝いもよくしてくれる。子供の誕生日にハッピーバースディを歌うのは灌漑深い。この時は親としてほんと幸せな時間である。しっかりと立派に成長してくれ!

愛息、13回目の誕生日に言葉を添える

明らかに変わった面白い「男」へ

まずは13回目の誕生日おめでとう!中学生になってから初の誕生日を迎えることになり、大人へ少しずつステップアップしている日々。祝いもさることながら、ゲーム、スマホ、ipadのやりすぎ、そろそろ真剣に将来を考えなさい。勉強もしなさい。心の底から思いますよ。僕も親の言うことを聞いていたタマではないので、あんまり言えないが、まあ心配。日々、無駄な時間を過ごしているようにしか思えない。そう思うと悲しい気持ちですよ。まずもって、できるのにやらないというのが気に入らない。ユニークで変わったところは散見するし、決して出来ないとも思わないが、「やらない」というのはもってのほか。そう思いながら向き合い方をどうするか、迷いはあるが、結局は自分に跳ね返る。結局は頑張った自分しか助けてくれない。僕は期待しない人間には言わない。最近の所感である。大物になりなさい、人よりできなければ、人の数倍、努力する。これしかない。祝いより公開説教になってしまった。ゲーム、スマホ、ipadより面白く、夢中になれるものを探しなさい。お誕生日おめでとう、そして産んでくれた母に感謝すること。祝っていない気もするが、そんなことないぞ!

ある秋の日

子ども時間

長女が思い出したかのように、交通公園に行きたいと言う。もう少し小さい時に連れて行ってあげればよかったと思うのだが、ゴーカートに久しぶりに乗りたかったんだろう。小さい頃に親に連れて行ってもらった記憶がある。それは苦いもので、アクセルとブレーキを間違え、ゴーカートに衝突して怒られたのである。それしか記憶にない。ほんとに小さな公園で、ゴーカートの他、遊具も多少あるが、小学校の中学年になると少し幼稚ではあると思える。それでもこうして子供とどこかに行くのも終わりが近づいているのはわかる。だからこの時間を大切に親としては噛みしめたいと思う次第である。