子育て

愛息、13回目の誕生日に言葉を添える

明らかに変わった面白い「男」へ

まずは13回目の誕生日おめでとう!中学生になってから初の誕生日を迎えることになり、大人へ少しずつステップアップしている日々。祝いもさることながら、ゲーム、スマホ、ipadのやりすぎ、そろそろ真剣に将来を考えなさい。勉強もしなさい。心の底から思いますよ。僕も親の言うことを聞いていたタマではないので、あんまり言えないが、まあ心配。日々、無駄な時間を過ごしているようにしか思えない。そう思うと悲しい気持ちですよ。まずもって、できるのにやらないというのが気に入らない。ユニークで変わったところは散見するし、決して出来ないとも思わないが、「やらない」というのはもってのほか。そう思いながら向き合い方をどうするか、迷いはあるが、結局は自分に跳ね返る。結局は頑張った自分しか助けてくれない。僕は期待しない人間には言わない。最近の所感である。大物になりなさい、人よりできなければ、人の数倍、努力する。これしかない。祝いより公開説教になってしまった。ゲーム、スマホ、ipadより面白く、夢中になれるものを探しなさい。お誕生日おめでとう、そして産んでくれた母に感謝すること。祝っていない気もするが、そんなことないぞ!

ある秋の日

子ども時間

長女が思い出したかのように、交通公園に行きたいと言う。もう少し小さい時に連れて行ってあげればよかったと思うのだが、ゴーカートに久しぶりに乗りたかったんだろう。小さい頃に親に連れて行ってもらった記憶がある。それは苦いもので、アクセルとブレーキを間違え、ゴーカートに衝突して怒られたのである。それしか記憶にない。ほんとに小さな公園で、ゴーカートの他、遊具も多少あるが、小学校の中学年になると少し幼稚ではあると思える。それでもこうして子供とどこかに行くのも終わりが近づいているのはわかる。だからこの時間を大切に親としては噛みしめたいと思う次第である。

経済負担、そして少子化

少子化への加速

こんな記事を読んだ。内容は子供2人目は現実的に無理。子供が欲しいが、経済負担が大きな理由とのこと。少し前に「子育て罰」という言葉が流行ったが、まさしく子育て世代の僕にもそういう言葉がわからなくはない。物価高で支出も増加し、皆さんどうやって生活しているのか、ほんと不思議である。モノは手に入れないかもしれないが、巷にはあふれており、欲しくなるようなものも多いが、とても手が出せない。スーパーの見切れ品も食品ロスの問題もあるにしても、これを狙って買い求めるお客さんも見える。子育て世代だけではないが、やはり生活苦は現前にある。2人目が無理ということになれば、横ばいは人口減少である。ただでさえ結婚しない人が増える中、夢も与えられない世の中。今日、投開票でどういう結果になるかはわからないが、少子化に対しては足りていないと思う。子育ては楽しいばかりではないが,人間的な成長は間違いなく促すと思うし、再学習もさせてくれる。何より幸せと思うのだが・・・。そんな平凡な生活も担保できなっているこの国、日本。今回の選挙戦のあとは、子育て支援ももう少し考えてほしいものである。

続けることで見えるものはあるのではないか

作品を通じて学ぶ

もう4年になるだろうか。息子が陶芸をやりたいといって、学ばせていただいている。あまりにも陶芸作品が家に増えるので、頻度は減ったが、それでも続いている。当初は息子だけであったが、娘もしたいという。今や娘の方が必死にやっているように思うが、継続は力なりである。そもそも陶芸家を知っている親も少ないぞと子供らにも言うが、まったく言ってもわからないようだ。とかく陶芸にしかり、芸術に触れることはいいことであるし、もっと真剣に真摯に向き合うといいと思うのだ。学校では教えてくれないことを学ぶことの重要さを感じてほしいと思う親心。

「もうダメ」だの向こう側

言いすぎるのもよくないとわかっているが・・・

中学生になる長男とは衝突する。何かと理屈をこねる。僕もその口だが、長男の将来を憂う。母親も甘い。自分で危機感を抱き、向上心を持たないといけない。難関高校、難関大学へ行くことが成功ではないが、選択肢は広がるのは確かである。なので、ひとまず学校のことはしっかりやる。別に学校に行きたくなければそうすればいいが、行くのなら誰にも言わさない結果を求める。何故かすぐに物事をあきらめる。もうダメだの向こうにまた「ダメ」がある。でもそれを乗り越える。この繰り返しである。自分の人生は後悔だらけである。だから同じ轍は踏ませたくないが、同じように進んでいる気もする。しかし僕はもう少し勉強をしていたとは思う。ハングリー精神を持てないのは親が与え過ぎたという僕の責任である。渇望する状況で現状を打破しないと次はない。だから歯を食いしばってほしいものだ。やはり夢、なりたい自分をみつけることだ。軌道修正してもいいが、ひとまずそれに向けて頑張る。学ぶ環境があることは幸せなことである。僕はまだ勉強している。まだ人には追い付かないからである。若い頃のマイナスはまだプラスにならないのだ。つらい、しんどいと思っても、頑張っているやつがいる。出来る奴がいる。そいつらも努力している。だから2倍、3倍やらないと追いつけもしない、追い抜けもしない。自分を律して戦え!息子に言いながら自分にも戒めながら、子育ても深く悩む。

出来ない自分と向き合う

現実を受け止めるしかない

思った以上に自分の子どもの学力がない。僕の想定するレベルのかなり下に位置しており、相当悩む。本人も危機感がない。母親は教育熱心な方ではないので、善後策もない。自分だけがイライラしてしまい、言う気も失せるほどである。元来、自分の子どもは親が教育できないので、他人に任せる。つまり、よい環境を与えるというのが親の務めと考えるが、何分、本人にやる気がない、人より相当劣っているという危機感もない、楽天的な生活を好むことから、ただ親子関係、夫婦関係が悪くなるだけである。結局、大人になると自分で責任を取ることになるが、わかっていてそれに対処できない僕のジレンマは相当なものである。教育にも携わると、よくわかるのだが、親だからだろう。子供は僕を尊敬(尊敬までしなくていいが)はしていない。教育がきちんとできていないのだと感じざるを得ない。一定の時期までは詰め込み教育、ドリル的な勉強もやっぱり必要で、それを排したら応用もないのである。家にいることが苦痛である。甘やかし(僕も含めてだが)て育っているから、それを受け止める「心」がない。自分に学力や能力が人より相当劣っており、人の2倍3倍、頑張らないといけないと奮起してほしいが、気づくのはだいぶ先かもしれない。その時はもう僕は生きていないだろう。

読書をしましょう!

読書の秋

国語の世論調査で、月に1冊も本を読まない人が6割超に上ると文化庁が公表した。インターネットやスマホの普及の原因は確かであろうが、あまりにも読書率は低いのではないだろうか。読書は語彙力や思考力、論理力といった人格形成にも大きく寄与するし、情報収集もできる。国語力の養成に影響は計り知れない。うちの子どもでも、スマホ、ゲームなど時間の浪費はすごいものだ。活字離れは昔から言われた事ではあるが、あまりにもこの傾向はよろしくない。本を読むことで、世界も広がるんだけどなと思うが、それに気づかないのかどうなのかと思う話であった。

葛飾区いいぞ!

明るいニュース

車の中でTVを見ていると、葛飾区が修学旅行費を無償化にするという。そして、諸費も無償化という流れのようだ。素晴らしい!修学旅行は一気に請求が来る。子供は楽しみにしているのだが、家計がしんどいところは行けないので、学校で補習をするということも取り上げられていた。少子化対策だの言うが、こういうニュースを見るとうれしくなる。他の自治体も追従してほしい。まあ住んでいるところは、スタバだのなんだのというのがあほらしくて付き合う気にもならない。民度への問いかけか。葛飾区、いいぞ!

 

諸費という徴収

お金の徴収法

子供の通っている諸費である。まず気に入らないのが、PTA会費。ほんと無駄でこうやって強制徴収をする。次に学年費、これはなんだ?なぜ徴収する必要がある?先生の飲み代か?と思う費目である。これが毎月のように教材がいるだのなんだのと通知がくる。子供が学ばせてもらっているのだから、仕方ないとは思うが、いらないお金まで徴収するのはどうか。最後決算の報告は複式簿記ではない。単式簿記を活用しているので、不正があってもわからない(一応、僕は会計学の先生である)。怪しいとかなり思っているが、あまり言うと子供のこともあるしと思うから困ったものだ。給食費においては、国が無償化ということも言っている(住んでいる首長は給食費無償化を公約にして当選したが、実行されていない)のだから、その可能性は少しはある。ただこの諸費も同じようにお金が出るのなら、ここは市町村の支援をしたらどうか。完全無償とはいかなくても、3,000円程度でも。内容見ると、ドリルとかいるものだろう。なくては困るが、それを払えない人(就学援助金はあるが、該当しなくてもしんどい人もいる)もいるだろう。だからこそ、PTAはいらない、学年費はいらない。何に使っているの?この通知書がくると、気分が悪い。拠出に関して、もう少し考えてみてはどうだろうといつも思う。

離婚について考える

現実的に思うことなど

先に断っておくが、僕自身は今のところ、離婚はないし、そのつもりもない。最近、離婚したという報告を受けた。縁があって結婚して、子供もできてと思うのだが、やはり夫婦間でいろいろあったのだろうからと思うので、踏み込めないのは現実だろう。今、離婚案件は3割くらいのようだ。つまり、極端に言えば3夫婦に1夫婦がシングルになる。ここで問題なのは、子供、財産分与である。財産分与も多くあればそれはそれで大変だし、子供はやはりずっとお父さんもお母さんも変えることはできない。結局、ずっと繋がっている。にもかかわらず、「離れたい」と思う気持ちが強いのだから、よほどである。僕自身も何度も思うこともあるが、それ以上に「幸せ」だと思うこともあるし、すべてがオールオッケーにはならない。これから社会がさらにカオスになっていくと思うので、結婚は最初からしない。離婚も増えるというようになってくると思う。ある人が僕に言ったことがある。「せっかく一緒にいるんなら、楽しんだ方がいい」と。そう、みんなそう思っているんだろうが、なかなかそうはならないのが人間である。何があるのかはわからないが、どうなろうとも「自分に与えられた人生」。最善に回答は自分になる。婚姻するのもしないも。離婚するのもしないのも。今の僕は「せっかく一緒にいるんなら」というところに帰着しているにかなと思うけれども。