またこの季節ですね
おとといくらいから鼻水が止まらなくなり、ああ花粉症の季節がやってきたと感じる。花粉症も収まらないし、毎年ひどくなってきている気もする。集中力はなくなる。目はしょぼしょぼする、眠くなる、だるいなど、いいことは全くないのである。しかし春である。春はスタートの季節だから気持ち新たに進みたいではないか。それとは反作用に環境がそうさせる。ほんと勘弁してくれと思うが、言っても仕方ない。鼻にスプレー、マスクを常備・・・、万全を期していこう。
おとといくらいから鼻水が止まらなくなり、ああ花粉症の季節がやってきたと感じる。花粉症も収まらないし、毎年ひどくなってきている気もする。集中力はなくなる。目はしょぼしょぼする、眠くなる、だるいなど、いいことは全くないのである。しかし春である。春はスタートの季節だから気持ち新たに進みたいではないか。それとは反作用に環境がそうさせる。ほんと勘弁してくれと思うが、言っても仕方ない。鼻にスプレー、マスクを常備・・・、万全を期していこう。
30代に入る前に、自分を変える。そんな思いが強く、また環境を変えたいと思い、処女地関西に身を置く。週末に大阪の行き来が2年間。体力もあったし、野望もあった。思えばもう20年経過する。2年経過して、無事、MBAを取得したわけだが、やはり一つ一つやることに関して、踏ん張って乗り越えていく。そんなことでしかないことを40代を終えようとしてしている自分にも投げかけられる。この2年間も熱い、いい時間だった。年齢の潮目はどうしてもいろいろ考える。まだこの頃は人生の序盤戦。この写真の向こうにある未来は今で正しいものであっただろうか。そんなことをふと思う。
戦争が起こりそうな気がしてならない。アメリカの関税問題、ロシア、ウクライナ、イスラエルなどもそう、国内をみても米騒動、物価高・・・。きわめて悪い話が多い。グレードリセットならぬ戦争があり、社会が変わる。人間が争うこと、愚かであること。繰り返すような気がする。平和を希求したいが、それをよしとしない人もいるし、平和を望む人もいる。地球は人間が支配者ではないこと、動物、植物、魚なども生きているわけで、立ち止まって考えてほしいものだ。それにしてもきな臭い。そう思うのは僕だけだろうか。ひび割れがはっきりとはじまっている。とかく嫌な心持なのである。
僕の仕事の繁忙期と新年度の仕込みのタイミングが同じで、非常にタイト。春になれば、新しいことをしたくなるし、新年度のスタートを切ることになる。ああでもない、こうでもない、これをしよう、ここまでやると中途半端になるかとか、とかく考える。元来、あれもしたい、これもしたいという好奇心のカタマリのようなところがあるので、欲張り気味。研究もいったん小休止(もちろんやるけれども、この1,2年より鈍化の予定)して、違うことにも目を向けたいと思う。1月から3月は少し時間欲しいな・・・、ついつい情報収集も悪くなり、自分の発信に支障をきたす。文句を言っても仕方ないけど・・・・。
締めにラーメンを食べるのはほんと久しぶり。一軒目でたらふく食べたのに屋台が懐かしくなり、足を運ぶ。八起もよく行ったお店。元気にやられていた。昔は呉の屋台ももっとお店はあったが、今は数軒、あるのみだが、これも風情。いいものである。近くに川があり、屋台がある。中州も久しぶりに行きたいものだ。基本的にじっとしているのが苦手な僕であるので、動きながらあれこれ考えてみたい。そういえば、その時の飲みで僕はグルメだと言われたが、本人にその意識はない。趣味でもないしな・・、他人から見た自分は光景は違うようだ。美味しいラーメンで久しぶりの呉の飲みを締める。
呉で飲むことに恵まれた。一時期、呉はよく行っていたので、懐かしくもあり、レンガ通りも歩いてみた。昔は九嶺だったかそんな名前の本屋に行くのが楽しみであり、商店街もふらりと歩くのも楽しかったものだ。今回、老舗の関白さんへ。初めていったが、昭和の雰囲気満載。ここは美味いなと思ったものだ。そして価格もそうびっくりするほど高くない。良心的だと思う。地元の人には愛されるだろうなと思う。今年はもう少しグルメも足を伸ばそうなと思ったり、近場で。呉は今年、何か集中的に行こうかな、この感じはちょうどいい。
住まいのご近所さんとは壊滅的にお付き合いもなく、会釈する程度であるが、職場の近くはお付き合いはある。移転前のご近所さんとは長いお付き合いで、久しぶりにばったり会った。東広島の狭い町だから、結構人には会うので、気が抜けないところもあるが、まあいいものである。一度、半年くらい東広島市に住んだが、落ち着かないのなんのって、どこ行っても人に会う。生活もすべて見られているような気がして息がつまったものだ。昔のご近所さん、元気でやられているようで何より。たまにはのぞ
よく利用する喫茶店。こんな記事を読んだ。原材料の高騰、珈琲豆の仕入れ値の上昇により、利益率が圧迫。中小零細の喫茶店が倒産が増えているという。確かにコメダやスターバックスなど大手がどんどん店舗拡大をしており、街にあった喫茶店がなくなっても、こうしたチェーン店がどんどんできる。特徴ある街の喫茶店は姿を消し、物価高に押されて外出も控える。社交の場も変わりつつある。それにしても、喫茶店だけではないが、どうも悪い流れが続いている。社会に余裕がなくなる軋みを毎日感じる。おいしい珈琲はどこで飲む?
私論を言うから個人ブログでもあるが、僕が近年思うことで、①煙草を吸う、②毎日、晩酌をする、という人は僕からも見れば、ハイソサエティである。①②とも嗜好品であるし、その嗜好品は別段のお金が発生する。特に②である。②の方が費用はかさむわけである。タバコは僕は吸わないが、酒は飲む。酒は飲むにしても毎日は飲まない。いずれにしても、余裕がないとその行為は享受できないのではないかと思うものだ。①は休息というのかもしれないが、やはり吸わない人間からすれば、贅沢な行為である(僕は吸いたいとも思わないが)と思うし、②の酒も毎日といえば、息抜きというのかもしれないが、そういう余裕が僕にはない(これも毎日は欲しいと思わないというのもあるが)。どこかでそういう余裕を得れるような人間生活ができればいいなと思うのだが、それは訪れないと思う。こびりついた劣等感が生活の恐怖として存在しているからである。ただし、人にそれを是正してくれとは思わない。どこかで僕の視線は羨望の目を持つ反面、僕は僕の基準で努力するしかないと思うだけだからである。
少し飲みたいと思って、繰り出すとついつい調子に乗ってしまってしまう。やはりお酒がだいぶ弱くなっているので、昔のようには飲めない。飲めればいいものではないが、飲み過ぎているんだろう。しかも翌日が決まって、下痢。何のことはない。毎日、お酒は欲しいタイプではない。だから出ると、こうなるケースも。翌日、お酒が残り始めたのが気になるところである。年齢相応に考えるべきであろうが、どこかでまだまだ若いと思う自分もいる。その調和が難しい。夜はやはり楽しい。しばらくは出たときに同じことを繰り返す。人間らしいと言えば人間らしい。
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