遅く帰ってくるとこの「姿」
まだ三子目が生まれていない頃の写真。長男と長女が同じように寝ている。本とうり二つで。毎日が新鮮に生きて、楽しんでいるころだろうが、家から遅く帰って寝ている姿を見るとなんともいえない幸せな気分になったものだ。今や一緒に寝ることが旅先くらいしかなくなったが、子供がいる親では何とも言えないハッピータイムではないだろうか。FBにあがる思い出のフィードバックに思わず、保存した写真である。帰ったらこの写真をみせてやろうと思うが、どんな反応だろうか。
まだ三子目が生まれていない頃の写真。長男と長女が同じように寝ている。本とうり二つで。毎日が新鮮に生きて、楽しんでいるころだろうが、家から遅く帰って寝ている姿を見るとなんともいえない幸せな気分になったものだ。今や一緒に寝ることが旅先くらいしかなくなったが、子供がいる親では何とも言えないハッピータイムではないだろうか。FBにあがる思い出のフィードバックに思わず、保存した写真である。帰ったらこの写真をみせてやろうと思うが、どんな反応だろうか。
GW中に嫁さんが結婚式で家を留守にした。なので子守りが僕に回ってきた。しかもこの日帰ってから、なんと訃報の連絡があり、それからは通夜、葬儀でてんやわんやになってしまったGWとなる。だから奥出雲に気分転換した翌日に子供らとドライブしただけとなってしまう。今年はフラワーフェスティバルが最高の来場者というが物価高の象徴で以外に旅行など遠出をしていないようだ。だから近場で済ますという人が多く、メディアではGWが活況に人が動きということを取り上げるが、実はそうでもないようだ。ということならば、我が家もそれに準じたと言えばそう。長期休みも動くとお金もかかるし、考えものだけれども・・・。しまなみを少し味わい、5月晴れの気持ちよさを楽しんだというところか。激動のGWが終わり、さて日常へ。まだエンジンがかかりきらないが。
長期休みになると、家にいる時間が増える。これは喧嘩のもとである。家は居過ぎるとよくないという証左だろうか。そんなGWのスタートであまりにも腹がたったので、一人で奥出雲へ。はじめて行ったが、ちょうどいい距離である。何かあるわけではないが、リセットするにはとてもいい。少し観光して、そばを食べて、温泉入ってとたいしたことはしていないけど、それでリフレッシュ。それにしても、子育て感は合わないものである。たぶんこれは平行線になる。子供にとって、母親は逃げ道にもなるには理解できるが、そればかりはいかないところもあると思う。かといって、僕も親の言うことを聞いて育った人間ではないが、時代が異なり、ゲーム、スマホ、IPAD・・・。近代的なツールの使用法でどう考えても、僕とは世界観が合わない。
20年以上のお付き合いのあるお店へ寄らせていただいた。職場界隈ではほとんど飲むのを辞めた。目が射すからであり、別に悪いことをしているわけではないが、少し距離をおいている。酒の席で何かあってもいけないし(そうそうはないが)、あまり飲みたくなくなったのもあるけれど、そんな事情。まあ今回は宴席の機会があったので、覗くとずっとしゃべる感じでした。懐かしい話もたまにはいいのかしれない。それにしても時の経過は早いものである。20代で会って、僕も50歳近いわけで。そんなこんなの昨晩の夜でした。
赤日の間の3日間の仕事である。休めば、身体もだれる。また無駄なお金を使うとあって非常に考え物である。しかし、意外にやることもあるし、休むと繰延をしてしまうので、あとあと大変になるのも事実である。先行逃げ切り。そんな心持である。連休前にすごく久しぶりの方から電話をもらった。訃報である。どうも少しずつ知った方が死んでいく気がする。明らかに多くなった。僕が身体にいたわって過ごしているわけではないので、どこかで急にということもあるかもしれない。そうなると、自分が残すものは何なのかと思う。そう思うだけでなにもしないで死んでしまう。そんな風になるのだろうか。いずれにしても、「死」はどこか向き合わないといけない。この激動の時代に何を思うのか。そんなこんなで今日の一日。
遊園地系は僕があまり好きでないので、行くことはないのだが、子供たちの会話もあるんだろうね、盲目的であった「みろくの里」へ。広島県内では遊園地と言えば、ここくらいしかない。昔はナタリーというところはあった。遊園地というほどではないが、マリーナホップも今年で取り壊されることになるので、ここくらいしかなくなる。そんなこんなで行ってみると、さすがGW。たくさんの来場者。たまらないね!待ち時間も。それでも子供たちはかなり楽しかった模様。まあ行けるときはだんだん少なくなっているので、少し妥協するかと思うところ。晴れた日に行けてよかった。
年に2,3度食事をする人がいて、昨日はその日。とにかく仕事を頑張っている。ちゃんと食べているのか。、ちゃんと寝ているか、休みもとっているかなど心配してしまう。アクセル全開で毎日を過ごしているように見受けられ、どこかでつぶれてしまうのではないかと思うものだ。なぜ人は働くのか。確かに食べていくために労働は必要であるが、やはりバランスである。これを壊さないようにと思う次第で、余暇の楽しみも味わってほしいと思うものだ。人は歯を食いしばって頑張る時期も必要だが、無理は好ましくない。少しだけの無理なら必要な時期はあるが、まだまだ人生長期戦。そんな話をしたけれど、たぶんもっとその人は頑張るような気がする。「オフ」の気分になってくれたのならいいがと思いつつも、まあそんな所感の会食でした。
来年度あたりからは再発進で動いていこうと思うが、今年度はまだじっくり力を養成する。一度、立ち止まって物事を考えたいという時期で、できるだけ一人でいるようにしている。だからもう少し動けばいいのにと自分で思うこともある。しかし、動く=工数が増えると考えると、二の足を踏む。それだけ「いま・ここ」を大切にしているからである。しかし、もう来年度をこうしよう、ああしようと準備だけはしている。気が早いかもしれないが、時が経つのが早すぎて、怖いのだ。いつになったら、悩みもなく、晴れやかに生きられるのかとも思うが、人生はそんなものかとも思いながら、春雨の日を過ごす。
先日、長女も10歳となった。10年前の生まれたときの写真である。しわくちゃの顔で生まれてきたのが、昨日のことのようだ。3人子供がいるが、たぶんこの子は普通の幸せをつかめるのではないかと思っている。素直に物事に向き合うし、実直さが伝わる。しかし、どんくさい、とろいなどそういったところはあるので、何かやることなすことが遅いのは否めない。性格もあるが、もう少し早くとはいつも思うものだ。長女は芸術系に行くのが今のところいいのではないかと思うが、こうしなさいと決め打ちはするつもりもない。ただし、基礎的素養にかんして、長男に英語を必修化させているが、そこのものさえクリアすれば、別に何をしようがこだわりもない。そういった意味で、少しずつ自我が芽生え、自分を形成していく。その成長を楽しみにと思っている。
3,4か月に一度、一杯やる先生がいる。その先生はとかく蕎麦が好き。だから飲むときもできるだけ蕎麦の店を選ぶ。昨年は東京にいった際も、1日4食も蕎麦を一緒に食べた。いい思い出である。趣味がある人はうらやましいもので、自分には何もない。自慢にもならないが、じゃあ趣味のお裾分けというか、たまにその人の趣味に付き合うと楽しめないかと思うようになり、これはこれでと思いながらいる。十人十色。興味は違い、それはそれで面白い。今回は二八蕎麦。おいしくいただきました。
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