岸保宏

花は人を幸せにする

親離れも寂しいものだ

3人子供がいるが、親からはだいぶ離れてきた。成長をよしと見ないといけないのだろうが、寂しい限りでこのバランスがとても難しい。アジサイのきれいな時期だから見ようと言うと、長女だけがついてきた。見た方がやはりよかったねとなるのだが、来なかった子供はやはり行けばよかったと思うのかもしれないし、行かなくてよかったと思うのかもしれないし、まちまち。でもきれいなアジサイを見れて、心が和んだ。どうも心のコントロールが今、難しくなっているので、どうすれば自分の気持ちを落ち着かせて生きていけるのかと考えるものだ。花は人を幸せにする、そんな心持をした少しの時間であった。

ランチタイム

ランチの時間

よく記すことだが、昼時間の使い方はほんと重要に思う。ぱっぱっとカップラーメンで済まして、読書するとか、じっくり人と話す時間を設けるとか活用の仕方次第で大きく変わると思う。なかでも、人との交流時間に使うのは特に重要と思っている。夜であれば、エンドが見えにくいが、ランチタイムは一定の時間という区切りも見えやすい。ちょっと贅沢しても、夜ほどの価格にはならない。そう考えると、ランチタイムの一息の入れ方は、人生を豊かにするものになるかもしれない。大げさかもしれないが、有限な時間の活用は永遠の僕の課題でもある。

 

昔の杵柄

過去?現在?未来?

人に会うのが億劫なことが多く、会っても昔の人と合うケースが多い気がする。新たに会っていこうという野心は薄く、どうも及び腰。そうなると、過去から産む現在、未来なのかと思うこともあるし、過去に引き戻しているだけというようなことも考えることもあるし、行く末がよくわからない。過去と言っても、過去をよく知っているのかどうかはわからずとも考えると、切り開くことも多いのか。まあそれにしても、「守りの自分」になっているような気がしてならない。これもいいのか悪いのか、不安定な時代だから、なおさらふさぎ込んでおきたいと思うこともしばしばである。

スピード感

判断と決断のサインプレー

年齢を重ねるにつれ、判断、決断が遅くなる気もする。昨日、書いたように守りなのか、そう思うこともある。昔から僕より年上と付き合うことが多いが、殊更、今感じるのはスピード感のなさである。スピード感がなく、あれこれと時がいたずらにすぎる、事柄の理解がされていないといった事案も散見され、振り回されるようなところがある。こうしたことに直面する機会が多い。僕もその予備軍である。年を取るにつれて、「客観視」する自分もいる。遠くに「僕」もいる。そうすると、第三者でいることもあるしと思いつつ。加速度をあげて、動く、判断する、決断する。そうふと思うのである。

守りに入る

歳を重ねるということ

40歳半ばになると、なにかたいぎいと思うことが多くなった。たいぎいというのは、広島弁でめんどくさいといった意味になるが、もともとは大儀がいいから来ている言葉と教えられた気がする。この「たいぎい」という感情。歳を取れば取るほど感じるもので、「たいぎい」ということがどうも後ろ向きに。しいては人生を守りに持って行くような作用でもあり、どうしたものかと思う。コロナで3年、行動制限があった。故に思考、行動ということも変え、自分も変えた。エンジンをかけようにもかけ方を忘れてしまっているのかと思うこともしばしば。まあ困った中年になってしまったものだと思うのだが、何となく同年代は相通じるところはあるのではないかと思うが・・・。

月曜日のゴング

慌ただしい週末を経て

犬かきをして、泳いでいるような感じ。なかなか一生懸命、生きているが、自分の思い通りに事が進まない。月曜日のゴングともに忙しさが増す。あちこちどさまわり。貧乏暇なしということだろうか。ランチくらいは少しゆっくりさせてもらったけれど、まあ何だろう。やはり時間とお金に縛られない生き方ができないかと思う。確かにあれはしないといけない、これはしないといけないというのは一つの張りではあるが、手段と目的が本末転倒。いつになれば、自分の理想たるものになるのか。そう思いながら、おいしくランチをご馳走になりましたとさ。

コロナ前へ

楽しい食事

年末以来ぶりに、学者の集まり、一緒に食事した。お店で言えば、コロナ前から行っていなかった店で、FBで久しぶりにやりとりしたこともあっていくことにした。まあ懐かしい感覚。店主とも久しぶりに話した。最近、学者といることが多くなった。その一方で経営者とはあまりご一緒しなくなったような気もする。それ以上に時間がどうもない。飲みに行ってまでと思い、躊躇してしまうものだ。飲むと楽しいが、時間がとられる。そして何より翌日にも影響する。そんなこと言っていたら何もできないよな・・・。久しぶりに会ってワイワイガヤガヤもいいものだ。また時期をみて一杯やりたいものである。

謹呈本より

研究の成果

いくつになっても勉強を続け、努力する。そんな姿を追っている気がする。川邉先生の新刊の謹呈を頂いた。コンビニがまだ世の中にそこまで普及していない未開な時代からこの分野では研究をされ、コンビニが社会に不可欠な時代の今、コンビニ研究は重要な領域として存在しているように思う。まだ読んでいないが、DXまでカバーしており、かなり最新のところまで書かれている。たぶんこれは30年たっても見返されるような研究所になるに違いない。僕も頑張らないといけない。そう思い、分野は違うが頑張っていきたい。

 

老舗のランチ

昔を訪ねて

東広島を拠点としていると、広島市内にいることはほとんどなく、浦島太郎状態にもなっているところもある。この前から懐かしいねっていうところを訪ねてはランチをしている。とはいっても、広島市内に用事があるときに寄るだけであって、そのためだけにということまではしていない。ということで、今回はステーキとおる。昔からあるところである。肉食か魚食か言えば、魚を選ぶことが多いので、肉系に行くことは少ないように思う。が、食えばやっぱり美味い。年をとってきたので、あえて肉を食うこともしないとなと思いながら、また次のランチタイムの機会を楽しみにしている。

幼き頃の子どもの姿

もう少しの時間

子供の成長はうれしいような、うれしくないような。まあ口はたつし、大変。その一方でまだ幼さもあって、僕もやはり子どもという目線で接する。後姿がいいなと思い、写真を撮ったが、性別も違うし、そう遠くない未来にこうしたツーショットは見られなくなるかもしれない。そんな思いで後姿を見たが、そろそろ子供も親から離れていくのだろうと思うのだ。それを受け入れるのは僕が時間がかかるだろうなと思う。ある休日に「○○行くか?」とついてくるのもだんだんなくなるだろうと思う。寂しい面も多い。