岸保宏

分相応

500円以下

広島大学に用事があり、大学へ。ランチタイムでもあったので、食堂へ行ったが、すごい人。ただ多くてもすぐに流れるので、負担もなく、食事ができた。学食、すごい安い。495円である。大盛にしなければ、400円前後である(学生の量、食べ過ぎた)。学食なので、味に対して大きな期待はしていないが、ランチで500円で食えるところはそうはない。これだけ物価高で何でも高いので、なおさら思う。結局、学食のランチは分相応ともいえるような気もするし。たまにはいいだろうと思いつつ・・・、日々雑感。

文句も多いが・・・

英語は逃げられない

小学校6年の長男に今年度からNHKのラジオ英語を導入した。どうのこうの、文句ばかり言っているが、一応、続けている。一生懸命、取り組んでいるのは、ゲームである。ゲームを与えたのが間違いであったと後悔しかない。英語はどうやっても、今の教育上、逃げられないし、英語が出来ていた方が世界は広がるように思う。それを理解するにはまだ年数がいるんだろうが、そうはいっても来年は中学生になる。日本に希望が持てない以上、やはり海外で活躍してほしいと思っているが、親の言う通りにはなるまい。ただ頑張った自分しか最後は助けてくれない。だから粘り強く続けて、本当に血肉化するように学習してほしい。

 

一人でいる時間

最後は一人になる

子どももだいぶ僕から離れてきた感じがする。寂しい気もするが、それは成長ということである。僕自身も年齢を重ねるにつれて、ギガ数が少なくなり、仕事でもなんでもそうだが、できる量が減ってきた。それに加え、一人になりたいなと思うことが多くなり、どのようにすれば一人でいながら充実感があるのかということを殊更に今、考えるようになった。一人でいると、孤独だと思うこともあるが、最後は一人であるし、どこかで孤独を楽しむことも必要ではないかと思うもので、そんな年齢になってきているんだなと思うのだ。そんなとき思い出すのが、この書籍である。いつまで経っても浪人的生活のような気もするが、それも僕であるための自己存在証明なんだろう。

 孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

秋だね

外国産ではあるが・・・

秋になると、一度は食したいと思うものだ。マツタケである。うちの家ではマツタケは不評である。どうもグルメ的なものは合わない。いいものを提供しても、それに評価がない。「いいもの」といっても個人的な尺度であるのか。そう思うと、非常に共有の領域を作れないので、さびしくもある。何が僕と合うのかと思うが・・・。今回、アメリカ産である。はじめてアメリカ産というものを食した気がするが、なかなかよかった。風味もあるし、味もしっかりしている。自分ひとり大満足である、季節を味わうというか、そういう小さなことが幸せな気もするが・・・。

厳しい現実

繰り延べた現実

長いコロナでの自粛。アフターコロナと言われる今、いろいろしわ寄せがきているように思う。農業は保護産業であるが、それでも破綻はする。保護産業と言えども、民間事業であり、営利を求める以上、当然であるが、厳しい現実と言わざる得ない。負債総額も約35億円、売上がコロナ前で16億でも債務超過は間違いない。相当無理な経営をしてきたのだろう。やはり農業は設備投資がかかり、それに見合うリターンがあるように思えない。しかしながら、衣食住の人間の根幹を支える農業をどのようにとらまえるのか。そんなことを考えながら、農業法人の記事を読んだ。

お花畑の会計について

会計の重要性を考えよう!

会計を教えている、会計の仕事をしている。そういうバックグラウンドはあるが、どうも経営者の会計軽視の姿勢が目につく。日常が忙しい、営業が忙しいというが、稲盛さんではないが、「会計がわからんで、経営ができるか」というのはないだろうか。コロナが明け、補助金なども支援がなくなっている今、コロナで融資も増え、銀行も回収に入っており、企業の姿勢や態度を見ているように思う。「まあ、何とかなるだろう」、「何とかしてくれるだろう」と安易に思う。お花畑思考である。もう黄色信号から赤信号になっている。企業側も真剣に会計を見て、経営再建する。それでももう銀行もダメと判断すれば、倒産へ向かわせるだろう。売上UP、販路開拓の素敵なお話を聞くのもいいことだが、足元の点検、会計をきちんと構築する。企業の地味な構造改革こそ、未来につながるのではないかと思うのだが・・・。結局、会計を重要と考えていないのが起因であろう。

祭りのこと

祭りのないスケジュール

長年、やってきたアイスもコロナでOEM先が廃業に追い込まれ、我々も休業になった。だから西条酒まつりも出店することもない。なので、一抹の寂しさがある一方で、長年、10月の連休にある祭りは、とんと行くことがない。今回、尾道まで足を運んで、尾道灯り祭りへ。駅周辺、公園、寺院の周りに灯りがともる。温かみのある祭りであった。お客で行こうともやはり出店側の目は抜けない。ああだの、こうだの、いろんなことを思うもので、結局は「お客様」にはなり切れないのだ。祭りのないスケジュールに慣れるのはいつ頃になるだろうか。そんなことを思いながら、やっぱりどこかで再起したいと思う自分もいる。

学会嫌いの学会報告

いざ出陣!

学会はほんと好きではない。いろいろ議論で言われることはいいのだが、差別と区別というのを味わってから、学会は好きではない。そして何より読めばわかる。読んでわからなければだめだと思うので、そもそも学会は不用論者である。しかし、査読というのものが重宝される。これがネックとなり、たまにはいう運びになるのである。さて愚痴ばかり言ってられないので、進撃!、僕の理想の報告は、①誰も寝ない、②質問が出ない(素晴らしい!と言われる一言で終わる)、③時間内に終わる、これである。③だけは達成できた。タイムキーパーの人には、「先生だけですよ、時間できっちりされたのは」と褒められた。みんな時間を守っていないようだ。昔、○○大学の○○教授に「1分早く終わった」とこっぴどく指摘された。のちの報告では、時間超過した人がいたが、◇◇大学の◇◇教授の報告となると何も言わずである。ここの文法は地位だけしかないんだなと悟ったが、時間内に終えないと、質問も本来はしてはいけないのである。僕は1分くらいの誤差程度しかたぶんでない。ただ20分と決められれば、鮮やかに時間内で終える。コンプリートでいたいものだと思いつつ・・・。結果的に今回はまあまあということだろうか。

 

一息入れる

一杯の日本酒

歳をとったのもあるが、多く酒が欲しいわけではない。少し気分転換ができればと思うところで、こうした時間と空間は必要ではないかと思うところだ。長時間いるのも体力の問題からしんどいし、あまり生産性もない。いろいろ考えると、まあ少しだけ「おつかれなおす」ということなのか。パラオでは、「おつかれなおす」といえば、飲みに行こうという意味だが、わけのわからんように飲むのも何もいいことはないのである。

合点は行かないが・・・

喧嘩をしても仕方ないが、納得は行かない

久し振りに学会報告をすることになった。今秋に迫り、何かと忙しくなってきたが、報告プリントの件である。どうも僕がプリントを用意しないといけないそうだ。参加費を3000円徴収し、なぜ僕が用意しないといけないのか。お茶、お菓子とかあるが、まさに無駄。勉強をしに来ているんだから、ここが優先の経費ではないかと思うのが僕である。一応、会計学者のおしくれとしては、お金の動きは気になるところである。何に使えば、こういうことになるのか。主催校のお世話役の方々の謝礼金があるのは当然だろうが、それは準備を含めてのものである。常識の違いが見て取れる。だから学会は嫌いなのである。