岸保宏

47回目の誕生日

「動」から「静」へ

かねがね僕が言ってきたように、誕生日というのは母親へ感謝する日と思っているので、自分を祝ってもらうのもと思うが、お祝いメッセージをいただくこと、素直に感謝したい。いつも本当にありがとうございます。47歳。50歳が近くなってきており、40代の棚卸時期に差し掛かっている。そのこともあるが、近頃はできるだけ一人でいる時間を作るように考えている。漂流した浪人のようなところもあるが、どうも孤独を楽しむというか、物事を考えるのに、雑踏の中にいる誰も知らない<ただ>の人という位置づけを最近、好む。それだけこの数年は大切な時間のように思う。昔のように、たくさんの人に会って、見識を広めるという時期はもう過ぎた。適度に人と交流すれば十分である。力を蓄える時間、棚卸の準備期間、残りの人生の設計。「動」的ではなく、「静」的に生きることを求められているように思う。今のままでは人生はうまくいっていない。風を変えるにも、一度立ち止まることも必要に思う。もうこの年になると、大きな夢ばかりを語っては生きれないが、もう少し「夢親父」でいようと思う。そのためにも今年は特に「個」を大切する。そういう「時間割」で動くと、少し「風」は変わってくるのではないか。47歳の「風」は、静かに吹かせたいが、突風なのか、逆風なのか、軽風なのか、この答えも「風」に吹かれているのか・・・。

 

47歳、誕生日。東広島・賀茂の大地にて

岸保  宏

タイトルにひかれて

僕からしたら斬新

会計学を大学で教えている身からすれば、「会計」とあると反応する。パブロフの犬ではないが、ブックオフによった際に見つけた本である。基本的には買う前は目次程度でも中身を見て買うが、この本は価格も見なければ、中身も見ずに購入した。何故か、「会計。」というタイトルはストレートで斬新、とてもいい。副題はあるが、それは付随したもので何か期待されるものであった。もう一つは、研究者をやっていると八田先生のお名前は聞いたことはあるもので、素直に学んでみようと。そんな話である。中身である。会計大学院のことを含め、会計プロフェッションの育成について真摯に意見を述べられている。会計軽視にある状況に看過できない、あるいは危機感を抱いていることが十分に伝わる内容であった。会計プロフェッションの育成までいかなくても、会計軽視というか会計の重要性といったところを教えられれば(学生に伝われば)と思うが、果たしてどうだろうか。コラムでいいので何か、こういうお考えをさらに公開して読みたいと思うものだった。

 

簿記を見直す

バック トゥ ザ ベーシック

たまに見返す簿記の教科書。一昔前、Z会が資格事業をやっていた頃に使ったものである。Z会は特に独学なので、教材、よくまとまってると思う。この教材は初学者が一気に簿記2級まで駆け上がるように作成されてるので、3級と2級の境目という点はあるが、僕には教える上でも参考になる。検定の範囲が変わっているようだから、試験の観点ではもう使えないかもしれないけど、今風に改訂すれば、とてもいい教科書だと思う。Z会さん、復活させてほしい講座ですよ。

ぐっと沈む

年齢かわからないが・・・・

近年、人と会うとすごく疲れる。会っている時間はいいのだが、離れると異様な疲れが残る。その人が嫌なわけではないが、先にわずらわしさがきて、だんだん連絡も無精になる。かかわることがいい時もあるが、そうでもないこともあり、極力、一人でいるように時間構成をしているのが現状である。確かに考えることが増えた気がする。自分のギガ数も減っているし、あれこれ出来なくなっている。複眼的に物事が見れるといいなと思うが、もうその能力がないのかと思うし・・・。何となく浪人していたころのような心境で過ごしている。

11月22日

いい夫婦なのか

今日、テレビをみていると、11月22日はいい夫婦の日であるということをやっていた。久しぶりに「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」という言葉を聞いたが、僕は年上の女性といたいと思っていたが、年下ばかり縁があって、年上とは縁がなかった。縁がないということはそういう理解をすべきであろうが、もし年上といた場合、どうだっただろうと思う。パートーナーの選び方は難しいもので、やはり運命として受け入れるべきではあるが、みんなないものねだりである。かといって、今が悪いのかといえばそうでもない。ということでいい夫婦でいれるように引き続きということでとらまえると、必然的に幸せになるのかもしれないと祈念しつつ・・・・

 

SNSの拡散とは

SNSはどこまで効果があるのか

縁あって、元カープの高橋慶彦さんとコラボしている。やはり僕らの世代はスーパースターで、ほんとかっこよかったし、ああなりたいと思っていたものだ。実際、お会いするようになって、男にも女にももてるのが分かる気がする。人間味のある人である。そのときの状況を楽しんでいるような気もする。若いころは血気盛んだったんだろうけど、穏やかな感じは今はするし、とても僕もいいご縁をいただいたと思っている。どうもツイッターで慶彦さんが投稿を見つけてくれたようだ。リポストしてくれている。なかなかのヒットをしているが、購買にはつながるのか?楽しみではある。

同窓会再考

母親を連れて

母親が同窓会に行きたいというので、庄原へ。雪が降るので、スタッドレスも急遽履き替え。大変なスケジュールとなりました。母曰く、70歳も過ぎたので、最後かもしれないと皆さん集まることになったそうだ。僕は同窓会というものに全く行きたいとさえ思わない。過去にも書いたことがあるが、①基本的に成功者が主宰する、②妬み、嫉妬もあるが、それ以上にその人が良くなっていることも悪くなっていることも見たくない、③その過去の一時点を線にする必要はない、そんな所管である。だから僕はうらやましくもないし、嫌悪感さえある。誘っても欲しくない。ただ周りの行動において、どう行動しようがそれはいうつもりがない。あくまで自分の基準でいいのだ。母は参加してよかったと言っていた。それはそれで僕はいいと思っている。久しぶりに庄原の風景を見れてよかったな。少ししか過ごしていないけど、やはりふるさとはいいものだ。

年齢がタイトル

ミドルな微妙な年齢

最近、年齢がタイトルにある書籍や雑誌は気になる。40台で言えば、もう少しで終わり、50歳も近いので、40歳、50歳と書かれているものである。40歳をユングは人生の正午といい、今の僕は午後にあるが、真意はこの通りである。「午前の太陽は昇る勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背後においやられたもの、影に隠れてしまったものがたくさんある。それらを統合していくのが40歳以降の課題」としているという意味で、これからの人生の景色や風景は違うのであるということ。この手の書籍はこれからも手に取りそうだ。人生、充実或る過ごし方をしたいとかねがね思っているので、何らかのヒントになるような気もしている。もう少しセルフィングすることになろう。

 

ボジョレ解禁

頂き物

ボジョレを今年も頂いた。すぐに飲まず、正月に嫁さんの実家で頂いている。あまり好んではなまないが、たまにはいいもの。昔、ボジョレを何年か置いてみたら、味がよくなり美味い酒になった。ボジョレ解禁→すぐに飲むという風習よりも少し寝かした方がいいのかもしれない。それにしても、酒で思い出すが、忘年会等、ちらほら声がけを頂くが、予定的に結構しんどくなってきた。できるだけお酒の機会は減らそうと考えている。これは体力、資力もそうだが、時間の浪費が一番大きく、影響が大きい。そんな意味で時間配分を考えないとなと思うところ。ボジョレ2023は楽しみに飲んでみたいと思う。

たまには飲みに出よう!

話をするということ

一度、一杯という話でとある金融機関の方と飲みに出た。最近はあまり金融機関と交流がなくなった。なくなったというよりコロナもあって、組織としてアフターの制限もあったし、行動様式も変わったことから必然的に行かなくなったのが正しい回答になろう。しかし時は経過し、いろんなことが起こっているわけでこうした交流もやはり必要なんだなと改めて思ったものだ。少しずつ一人の時間を増やそうとする自分と、どこかで人と交流しないといかんなと思う自分と分裂感はあるが、やはり学びも多い。酒の席で円滑に人としゃべることも大切なんだなと改めて思った夜であった。