岸保宏

子育てを通じて

子供と二人で旅行する

昨年から子供と二人で旅行することにした。長男とは3回目、今年は長女とも行けた。理由があって、お父さんを独占できる機会を創出することと、ゆっくりその子だけと話す時間を強制的に作れるというメリットがある。そして何よりその子の好むものや体験や触れ合いの中で、非日常を感じることができるということ。これは非常にいい時間である。今回も東京を中心とした関東での旅行をしたが、飛行機に乗せて、ぐるぐる回って、長男もすごく喜びました。これからも3人の子供を、順番にいろいろ連れて行こうかと考えているが、これは距離関係なくお勧め。ただ泊ったほうがいい。親としては何かと手間ではあるが、子供にとってもいい思い出になるに違いない。子育ては自身も成長させる。楽しい時間を共有できるためにも、日ごろもっともっと頑張らないと思う次第である。

気分転換もつかの間

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日帰りでぴゅんと

観光地というのは、近くにもあるもので、今年はいろんなところへ行っている。お土産品や店舗を見たりと勉強になるものだ。僕の方も何かヒントにならないか、何か新しい発見はないだろうかと、ぶらつきながら考えている。また今年は、冴えないことが多く、気分転換もしたいというのもあって、近めとは言えず、遠目とは言えずというところへ出かける。出雲大社は、10年ぶりくらい言ったけど、記憶にない。行ったことは覚えているが、神社までこんなに歩いたっけとか、道なりがこんなんだったけということは皆目覚えていない。人間の記憶とはあいまいなものである。何かとバタバタ続きだが、少しだけでも気分が変わるように思いつつ、現実にいつも戻される。ストレスがかかる日々が続く。

新たな幕開け

今日まで40年、今日から40年

実家である税理士事務所が今日から法人化して、再スタート致しました。先代から通算して40年にもなる税理士事務所。法人化も時代の流れか、違和感なくスタートしています。まあ新しい人が追加で入ることで、組織強化にもなるし、また新時代を作っていけると思うので、いい流れなのかもしれません。この数か月、忙しい日々を過ごしました。まあほんといろいろ雑多で疲れ果てましたよ~。心機一転、頑張ります。是非、応援してください。

研究を続けるべきかやめるべきか

夜明けは近いのか

詰めになっているのか、それともひっくり返されるのか、正直、よくわからないが、形にはなってきたように思う。最後の最後に、こうなのかもしれないという自分なりの結論は出たが、それが第三者に評価されるかどうか。論文と言うのは書いた!脱稿と言う時は気分いいものだが、ひとたびそれを離れると、読み手の自由ということになる。この論文を最後に学術研究をやめようと考えている(た)。それだけの余裕がないのと、公正に評価される場所で、残りの人生を過ごしたいと思ったからだ。しかし、やっていると問題意識が研ぎ澄まされ、こんな論文をまとめようと思っていしまう。思うのはいいのだが、決定的に研究をするだけの余裕がなさすぎる。その点、研究者はうらやましいときが多い。僕もじっくり腰を据えてやってみたいと思う時もある。ただそういう環境になると、だらだらしているような気もする。結局は決められないのか・・・。いずれにせよ、僕なりの農業会計論を結集編として、もうひと踏ん張りして、爽やかなゴールテープを切りたい。今後はそのあとに考える。しかし、なかなかうまくいかないものだ・・・。

 会計学原理 (プリンシプル・シリーズ)

小規模保育園の検討

子供・子育て支援制度で保育園を始める

保育園不足と言われて久しい。待機児童問題はメディアでも多く取り上げられている。小規模認可保育園は、定員が6名から19名であり、小規模保育は「認可」保育園なので、認可を受けられれば、公的な補助金を受けられるなど、経営の安定も見込める。児童の年齢も0歳から2歳と手のかかる時期ではあるものの、預ける親御さんのニーズは多いように思う。僕個人としては、主婦は立派な仕事だと思うので、親が子供見てあげるように助成をした方が、子供の人間形成にもいいのではないかと思っている。ただし、働き方改革といった時代の潮流の中で、こうした社会の体制も必要であることは間違いないことだろうけれど。個人的に大変勉強になった。小さな子供を持つ親としては気になる問題である。

 

越境の醍醐味

揺らぎの中の「私」

新聞の広告で掲載されていた書籍で気になったので、購入し読んでみた。僕もこうした「越境」的な生き方や思考をしていると思うが、なるほどと共感できる点が多かった。越境の醍醐味として、4つの類型を挙げられている(P232-233)。

①知らないということである。
②知らないと知って、停滞を破る。
③離れているものどうしに共通点を見出す。
④知らないことを知ることで多数の視点を持つ。

専門を決めるということは確かに有用なことも多いが、専門を決めないということも一方で新境地を見出していく。そのためにも質問力を磨くことは、上記の4つの類型に示した越境力を手助けするだろう。意外に池上氏の書籍を僕は読んでいないことに気付く。難しいことを優しく説明できる方だから、僕ももう少しいろいろ読んでみようと思う。

 

 

強い農業の文脈

農は「業」なのか

あまり読書をする時間に恵まれないが、気になって読んだ一冊。かなり頷けることのなる書籍だった。特にわかりやすく伝えていたのが、強い農業を理想とする日本の農業政策の文脈と、本来、足元になる農業の実態の相違があからさまに指摘されている点である。農業は生産力をあげ、製造業のように突き進むことができるのか、これは「NO」である。生産力の向上は一定のところまではできるが、限界がある。その限界をどこか無視、無視と言うより軽視しているのではないかと思えるのである。農は生きる支えとなる食の根幹にある。角度を変えながら、言い方を変えながら、農業を再考するきっかけとなる。すっと読めるので、手に取りやすい書籍と思える。

 

 

危機管理について

今どきの話題

アメフトでの悪質なタックル問題で、毎日のように報道もされている。昨日、加害者となった選手が勇気をもって、記者会見していた。様々な報道がされているように、明らかに対応が悪すぎる。こうしたことをしたことはもちろん悪いし、それにいたる経過なども多くの方々と同様な意見だと思うが、大学側の対応はほんといただけない。森友/加計の問題もそうだが、何かを守るために川上にいる人が隠蔽する、うそをつく。それが少しずつはがされていくと、本来波及しなかったところにまで広がってしまう。ここにあるのは、やったという「事実」。これはどうやっても消えないということである。いろんな手立てをしても、やはり善悪があり、これはきちんとすべきところにある。今年、日本大学は受験者数は減るかもしれないが、入学者は変わらないだろうし、大学も潰れはしないだろう。就職も大学のイメージもあるが、能力の高い学生を会社に入れたいわけだから、ここはシビアに見るに違いない。それでもなお、日本大学がこういう対応を続ければ続けるほど、いいことは一つもない。加害者の選手は立派だったと思う。心の傷はいえないだろうが、関学の関係者には気持ちは伝わったのではないかと思う。おこってしまった「事実」。どういうこれからの対応をするのか、興味深い。一応、日本大学には、危機管理学部 があるらしい。ここは組織立って問題を真摯に向き合ってはどうだろう?

 

 

今年も元気に花見!

今年は遅かったけど・・・・

今年は思いのほか、開花が早かった。もう一週間、早ければと思うところではあったが、これも予定だから仕方ない。去年も一週間前は、雪が降っており、ほんと寒かった。ちょうど去年は見ごろでよかったんだけど。今年は寒かったな~。火をおこしている分、まだぬくもりはあったが、今年も元気よく花見が出来ました。面白いもので、毎年、行くと誰かがタケノコを掘っている。これも一つの風習というものか。こういう場は持とうと思ってもなかなかできない。まずその場がないからだ。子供たちにもこういう場をたくさん設けて、体験し、共有したいと思っている。ぬくもりある時間は豊かな心を育てる。そう思って、また来年の桜に期待して。

日本農業新聞に掲載いただきました

コツコツと進める

僕の書籍、地域農業のスプラウトが日本農業新聞に掲載されました。2度目になります。日本農業新聞は、何かとよく取り上げていただいています。書籍と言うのは、何万部とかいうように軽くなるものではないですが、ちょぼちょぼお話をいただけるところもあり、うれしいものです。一つ形にすることは、やはり大切だと思います。中身も大切ですが、恐れずチャレンジしてみる。これ、ほんと大切ですね。第二弾も早くやりたい。もう少しお話をしたいこと、あるわけで。今年はいろいろあって出足から悪いので、巻き返しと言わんばかりに、よかったなということで終わりたいと思っています。