
母校と言えば母校になるが・・・
学術研究にはやはり大学の図書館が必要で、近くの大学と言えば広島大学ということで図書館は利用する。2年間お世話になったといえばそうだが、ビジター感満載である。ホームカミングデーという卒業生も集まる大学祭もあって、これにもアイスクリーム屋さんで参加するが、これにも何も感情がない。それぞれの心持である。さて国立大学の図書館は新しい書籍はあまりないが、古いものがあるという印象である。ただ書庫にもあり、要領がつかめない。広島大学の仕様など正直わからずに、2年間過ごしたので、まったくわからない。ちょっと持ったないかもしれないが、これも僕の仕様だろう。

目の保養
豪雨がなければ、葉っぱも色づくことはなかったのかと思うが、きれいな睡蓮を見ることができた。一番下の娘だけがついてきた。たまたまTVで見たのをきっかけに行ってみようとかなと思ったわけだが、こうした時間がやはり取りにくい。睡蓮を見ることいいことだが、道中に子供と話をすることが大切な時間のように思う。なぜこのように自分に余裕がないのか、あれこれ雑多のことは山積しているわけだが、今の傾向はとてもよくない。時間を作る強制力、いわゆる「何もしない」時間の創出もいるのかもしれない。

僕にとって苦痛な作業
論文は書いた!さあ掲載だ!となると、避けて通れないのが校正である。大切な工程だが、とかく僕はこの作業が好きではない。研究者失格なのかもしれないが、本当に嫌いなのだ。それでもやらないといけないので、するのだが、まあ地味作業である。書評と言えども久しぶりに執筆した。論文を書くこと、執筆に関しては好きな営みである。机につくまでがどうしても時間を要する。モチベーションの持って行き方が難しいのかとも思う。今回、書評であったが、研究者として自分の活動の再開と位置付けたい。会計学ではなかったが、集落営農法人についてのものなので、門外漢というほどではない。もう少し学術的なことをする時間がほしいものだと思うが、日常がそうはさせてくれない。

決断の遅さ
オリンピックの開催の意思決定は、IOCかもしれないが、政治の決断のなさ、1年たってもあまり変わっていない社会。困ったもんだ。コロナ感染者もかなり増えて、ようやく無観客開催の決断。なんかめちゃくちゃだ。コロナに打ち勝った証のオリンピックや復興五輪といってきたが、そうなのか。何のためにオリンピックをやるのか、ほんとわからない。たぶんコロナ感染は拡大するだろう。その道中に選挙があり、ごまかす。そんな話になるのかなと思うと、お先真っ暗と思うのは僕だけか。オリンピックは無理ではないかというのが私論である。

さすがに敏感に
3年前の豪雨の経験もあって、少々大丈夫よとはさすがに思わなくなった。自分の住まいも交差点も冠水している。いろんな方面で影響が出ており、自宅待機中だ。コロナあり、災害ありと平穏には暮らせないのか。安心、安全ということがどれだけ幸せなことなのか、平時ではなかなか思わないことである。それが当たり前と思うから。いろんなこと、考えるね、さすがに。これからもう少し続きそう。どうなるんだろう。非難も準備もしているが・・・・。

早いものでもう4年
昨日、珍しく政治関係の人とお会いした。それも長時間、話し込んだ。昨日まで気づかなかったが、来年1月には職場の東広島市も市長選挙があるんだと。衆議院議員選挙は任期満了だから、間違いなく秋にはあるにせよ、こうした身近な選挙ももうまもなくあるのかと改めて気づいた。政治関係の人は河井問題があってから会いにくい。そして、昨日の不起訴。前例ができる信じられない判決。お金は配ってもいいが、もらってもいいそうだ。断り切れなかったと言えばいいということか。司法ももう終わった。この国は法治国家ではないんだと。選挙も何の意味があるのかわからなくなった。候補者としてやっていた純真な気持ちは無駄な営みということなのか。そう思わざる得ない。

天候のこわさ
今回、熱海市の被害も甚大である。映像を見ると、すさまじい。広島も平成30年の豪雨は大変だった。自宅は被害はなかったが、周辺の被害状況はひどく、未だその痛みは残っている。熱海市の方も大変なのは十分わかる。現場にいる人と外部の人では、「情報」が異なる。たとえば、ティュシュペーパーが足らないとか軍手が足らないとか、それぞれの場所で違うだろう。僕らの時は明らかに土嚢袋がたらず、それをよけようにもできなかったりした。住まいの方は何とかなったが、職場の方は道路状況も悲惨で移動の制限が余儀なくされた。数日経ったが、まだ時間がかかるものと思う。特に今はコロナ禍であるので、避難所も大変と予想する。天候だから仕方ないのだが、ここ数年の天候は恐ろしいものがある。まだ雨は降る時期なので、どこでどうなるかわからない。やばいときはすぐに非難すべきと思う。

テイクアウトで活路
コロナ渦になってから、飲食店の売上を確保するために、テイクアウトをしていなかったところも参入。だいぶ普及しているように思う。ただこれだけ長く続くと、家庭でかける食費とテイクアウトでかける食費と考えると、テイクアウトばかりといかない。外食も行かない習慣がつき、どこまでシェアを確保できるか。飲食店も4割はテイクアウトが売り上げを占めてくのではないかという予想の中、家ではできない「テイクアウト商品」を求められる。ここは腕の見せ所であろう。それにしても、いつまでコロナ状況は続くのだろうか。飲食店も撤退も見られるようになり、先行きは不透明。平時のときの幸せを感じる。

じゃがいもを掘る
天候がどうかと思っていたが、雨も降ることなく、じゃがいも堀りに参加してきました。廣島農人のラジオで出演いただいたご縁から今回の体験に家族で参加、子供たちもすごい喜んでくれました。昨日までの雨で土はどうかと思っていましたが、水捌けのいい赤土、何ともない。竹原市の吉名地区はじゃがいも栽培が盛んな土地であり、昭和27年から39年ごろには日本で一番の高値で取引されていたようである。隣接している東広島市安芸津町も赤土じゃがいもで有名。じゃがいもには適した気候と土壌である。農業の担い手不足など農業の抱える問題は、竹原市吉名町も例外ではなく、こうした素晴らしい地域資源を残していこう、継承しようとする取り組みが「吉名じゃがいもプロジェクト」さんである。是非、取り組みはFBページで更新されているので、是非フォローし、応援してほしい。

身体について学ぶ
長女は最近、身体について興味があるようだ。それを嫁から聞いたので、鉄は熱いうちに打て!ということで、健康科学館へ。僕もはじめてでいい勉強になった。それぞれの身体の器官を子供にもわかりやすく学べる。長女の場合、小学校1年生なので少し早いかもしれない。中学年・高学年くらいがちょうどいいかもしれないが、こうした学習はとてもいいことだと思っている。中学生以下は無料のようだが、公共にある学習施設を有効に活用すると、子育てにもいいと思う。もちろん大人でも図書館など身近な場所にいろいろあるもんだ。お金をかけるばかりがいいことではない。