怒り心頭

怒ることが多い

コロナのおかげでイライラしていることが多いが、それにしても僕の周辺ではカツンとくることがしばしば。僕も爆発することが多くなった。我慢しなければいけないのだが、そのストッパーがきかないこともあり、ちょっと冷静にならないとと思っている。自分の言い分がすべて通るとは思っていないが、自分が動こうとするとそれを咎める行動、あるいは否定のみでのアクションが多い気がする。否定は代案が欲しいし、待て待てのステイのみではイライラが増幅するばかりだ。あれこれと動いていかないと、物事が進んでいかないので、動きたいが、自分が動くだけで事が解決はしない。解決する問題もあるが、相手がある場合が多いわけで、それいかんというときもある。ダブルバインドの状況か、それにしても何だかな・・・、停滞感。この重苦しい空気を早く変えたいものだ。

向いていない職業を選ぶこと

職業選択の自由

職業の選び方はほんと考え物である。自分自身もそうだが、向いていないのにその職業をやっている。そんな人が多いのではないだろうか。教師に向いていないのに、やっている。周りが不幸になっているのに、それに気づかずやるといったように。大方、人生も半分になるとそんなことを考えることがある。この前、ある人に質問されたが、いろいろやられてますが、どの職業がいいですかという質問。迷わず露天商と答えていた。インテリにももうなれない、有名企業で活躍することももうない(できない)。雑踏の中で生きていくしかないものである。職業についてはよく考える。どの仕事につけば、やりがいがあるのか。そして人も幸せにできるのか、人それぞれ適職はある。果たして僕はどうだろう。自分のことは自分でわからないというのが答えだろうか。

集落営農法人の在り方も変わる

知識のアップデート

農業の税理士と言えば、森剛一先生が思い浮かぶが、この本も10年ぶりの改定になるようだ。前回のも持っているが、内容はかなり変わった気がする。今回は消費税の改正も大きいが、2階建ての法人化を突っ込んでいる。前回も書かれているが、そこまではと僕も思っていたが、具体的にこの策は考えていかないといけなくなるように思う。やはり農業補助金が減り、米価も低くなっている(コロナの影響で米価は高くなると予想しているが・・)。とすると、集落営農法人も生き残りをかける必要がある。ただし、制度もあるが、やはり「ヒト」の問題、担い手不足の解消をどうするのかにある。農業に未来があるのかないのか、今のような国難時にはやはり食料を自国で100%確保できる。自給率を上げること。もう少し本腰を入れるべきだろう。話は戻すと、集落営農法人の関係者には、読んだほうがいい必読書。僕も結構参考になった。

 

食える職業

職業についても考える

コロナ社会になってから、よく聞かれる。これから何がいいんかね・・・と。何がいいかねとは、職業、ビジネスのことで、今、やっている仕事への不安から新たな展開をみんな模索している。正直、僕もさっぱりわからないが、そもそもAIやITという流れがあって、これが一層加速することになる。加速し、衰退する事業も、なくなる事業も、これから期待される事業も出てくる。僕が平生やっている会計の仕事は正直、衰退、なくなるとは思わないが、かなりの人が失業へ向かうと思う。これからどう生きるのか、職業も考えもの、公務員が最強なのか?僕も知見のある方に聞きたいものだ。

 

自粛解禁

客観的数字

昨日のコロナ感染者情報。テレビでUPされたものをぱじゃっと保存したが、さすがにもう動いてもいいと思っている。第二波や第三波が来るかもしれないが、来ないかもしれない(たぶん来ると思うが・・・)。人口の割合から考えても、38 人(昨日の情報)はかなり少ない。インフルエンザの感染でもゼロにはならない。ゆるみとかいうが、ゆるみではなく、もう完全解禁すべきのような気がする。脆弱な補償で、生活を奪うのもどうか。動かないと仕事にならない。だからそろそろ稼働する。未来のために。

もう一つ博士号を!

ダブルドクターの時代

先日、博士号は取得したが、これで終わりではなく、改めてスタートである。2つ目の博士号を取るために動いているが、博士号を取るには自分の能力もさることながら、指導教官との相性もある。少なくとも2つ目ともなると、指導教官がシングルドクター同士であるならば、その方が僕以上の学力・人望などを備えていないと、僕が学ぶに値しない。社会人にもなって、もう一つと思うには理由がある。学術界もシングルドクターの時代ではなくなる。査読云々とかいうが、そんなのあまり関係ない。僕は学位と思っている。ダブルドクターになってから、ようやく自分は研究者であるは言うこととしたい。それだけ自分に課題を課すから、研究者という価値があるのであって、サラリーマンで楽するのならば、僕も格好だけそうする。今回、自分が動いたが、大失敗した。かなりひどかったので、新天地を模索することとした。もう僕も40歳を越えている。歩み寄ってどうのこのうという年齢でもない。ダメなものはダメ。時間の無駄である。また苦しいイバラの道になるが、イバラの道だから研究なのだ。それをガタガタいうのなら、研究者失格。僕は2つ、博士号をとってから言う権利が発生する。アクセサリーでもないが、もう一つは自分に課したい。その後、自分の趣味的な動きに移行したい。それまでは僕も修行僧である。

約15年ぶりに

インターネットの力

約15年ぶりに電話をいただいたが、インターネットをみて、講演をして欲しいとの依頼があった。こんなことを今しているんですねと言われたが、確かに15年前の僕からは想像もつかない領域に僕の活動範囲が広がっている。中身はアフターコロナを見据えて、農と食の最前線を語るといったものだが、ありがたく受諾することにした。昔話もたくさんした。時に流れは早いものだ。僕も40代にもなっているし、まだ20代の駆け出しで出会っているんだから、面白いものである。今年はコロナもあって、大学の講義も呼ばれることはないかもしれないが、年に数回、こうして話ができる機会があれば、僕も活力になる。突然の再会に驚きもあるが、真面目に生きていればチャンスも来る。ピンチはチャンス!頑張ろうと思う。

陶芸体験、本格化するのか

図画工作は苦手なのです

息子が陶芸を習いたいと言い出して、まずは体験からスタートしようという流れで、東広島市黒瀬町の保田窯へ参りました。以前からお付き合いはありましたが、アトリエははじめて。子供も楽しめるように、いろんな工夫の中、陶芸を楽しむことができました。それぞれ花瓶やコップなど各々の作りたいものを作って、焼き上がりが送られてくるのを楽しみにしたいと思います。息子を通じて、子育てはよく考えます。明らかに息子の方が親よりできるので、親以上の子を育てなければいけない親の気持ちは結構なものです。やりたいことはやらせてみようと思いますが、想定外のことが多く、今回の陶芸はびっくりで、これから教室にも参加していく運びだ。芸術系をやることはいいことだ。僕は余裕があれば、茶道をやってみたいのだが、現役中は難しいかな。心に余裕がなさすぎるから(言い訳でもなく)。いずれにせよ、陶芸もいい時間でした。中屋先生のアトリエ、体験も是非堪能していただきたい。

 

コロナ下でのマスク

苦い思いで

世の中ではマスクが必須となった。マスクをしていない人の方が珍しい。この頃はドラックストアでもスーパーでも並ぶようになった。平時のときよりは未だ価格は高いが、流通しだしたのは間違いないだろう。路上で「マスクあります」とプラカードを持って、販売をしていた事業者がいるが、あれを見ると苦々しい。需要と供給があるのはわかるので、それはいいのだが、大人が3,4人もいて、販売する。仮に時給を900円とすると、8時間で7200円。4人だと、28,800円。それ以上に利益が出るということである。マスクとか、今それで大儲けを狙うものなのか、疑問がある。ほどほどの利益じゃないことがわかる。未だ販売している事業者もいる。閉店セールという。仕入れすぎなんだろうが、苦い思いしかない。あれを見ると、僕はどうしてもつらいのだ。

論文送付

思い切って送ってみた

東京農業大学での博士論文。一度もお会いしたこともないが、是非、お会いしてみたいと思う先生に論文を送ってみた。メールの返信もあり、今度、コロナが終息すればお会いする機会に恵まれそうだ。農業会計学は、「農業」に力点を置くのか、「会計学」に力点を置くのか、これは大いに悩んだ。農学部で博士号をいうことであれば、前者でという理解であるが、僕がこれまでやってきたのは後者にどうしても力点をという話になる。どちらも天秤にかけても必要であるが、会計ということにもう少し深堀も考えるべきではないのかと思うところ。一応、博士号という区切りが区切りとしていいのだが、これは今後の僕の課題になるだろう。農学部系では、農業会計という分野がもう重要視されていない。社会科学、会計学から見る農業の位置づけの方が重宝される気もする。農学部で学んだ人間ではないからそう思うのか。それにしても、思い切って論文を送ってみてよかった。今後の楽しみである。