講義の記録

板書で講義

今回の授業はバンバン白板で書きまくっていたので、学生がスマホでパシャパシャとる。本来は書いてほしいなと思っているのだが、僕も撮ることがないので、撮ってみた。最後に時間が押していたので、なんと乱筆だことと思う。パワーポイントとかプリントは先生がやった気になるが、実は左の耳から右の耳へ流れているだけ。学生には為にはなっていないのだ。そう思い、僕も自分でノートに整理して、板書にする、そして説明するというスタンス。古風と言えば古風だが、やはりこれが一番いいのではないかと思う。教えるということを通じて、自分のキャリアアップになる。僕もさらに勉強すべしと思っているが、準備にもたくさん時間を要す。なかなか忙しい日々だ。

風聞に苦しめられる

名誉棄損も視野にしないといけないかもしれない

朝から気分が悪い話があり、非常に心持が悪い。とかく腹が立つ。最近は喜怒哀楽が大きく、「怒」という感情は殊更多い気がする。しかし、歳をとったせいか、突っ走る性格であるが、周りのことを少なからず考えるようになり、結局のところ、悶々とし、ストレスが荷重にかかっている。今回、聞いた話はさすがに聞き捨てならず、場合によっては名誉棄損を考えないといけない。人は裏切る、風聞は垂れる、最悪である。頭を冷やし、早計に動かないにせよ、ちょっと懲らしめようかなとも思う。人を差せば、返り血を浴びる。下らん風聞と思う一方、トドメを差しておこうかと思ったりもする。朝からとかく気分が悪い。

 

海を見る

普段見ない景色を

何か予定が立て込む。酒を飲むこともいいが、やはり山や海を見るとか感じるとか、自然に触れ合うとか、その方が僕には心が晴れるものだ。数か月、このハードルを越えると、人生が変わるのではないかと思うこともあり、心血注いでいるので、やはり脳みそがかなり疲れている。リフレッシュばかりしているようで、全く休まらないのが現実。それでも冬の海はいい。静かだ、心が洗われる(現れる)。

大学の可能性

教育の現場から

非常勤をやっている中国学園大学の記事を見かけた。一度、お会いしたなと思っている先生だが、中国学園大学もこれから農業コースにも力を入れていこうとしているが、大学教育の可能性がどこにあるのだろうか。中国地方で言うと、国公立をのぞけば、私大で農学系はない。吉備国際大学があるものの、農業は淡路島が中心と考えると、中国学園の挑戦は面白いと思っている。僕の何等かでかかわってくのかもしれないが、岡山との縁は中国学園が中心になると思う。大学とかかわるのは楽しいものだなと思う今日この頃。

誕生日という日

人から祝いを受ける

うちの家は薄情なのか、なんかあると思っていたが、子供らも何かしてくれるわけでもなく、何か寂しい思いもした。誕生日というものはやはり区切りにもなるし、何か感慨深い。この前、ブログにも書いたから、今回は書かない。ケーキは自分が祝ってもらうときにしか食べないし、まあ新鮮なのか。一応、スイーツの会社の社長をやっているわけだから、昔はよく食べた。今はそう食べたいと思わないので、食べないけど・・・。誕生日が終えても、何等か言ってくれる人もいる。有難いと思いながら生きようと思う事柄。

補助金申請の作成

ほっとした

コロナになってから、補助金が多く出ているが、中でも太い補助金交付がある事業再構築補助金は目玉である。進んでは作成の業務を受けないが、どうしてもというものを受諾したが、ほんと大変だった。やることが多いし、打ち合わせも大変、それでも採択は少ないということでピリピリ。それでも何とか受諾した仕事は採択であり、ほんとほっとした。企業からすると、補助金はありがたいのは間違いないが、事業を見直す、計画するという点でとてもいいと考える。昨日の誕生日にいいプレゼントになった出来事であった。

45回目の誕生日ー未分化に耐えるー

人生の稼働

誕生日が来るとどうにかこうにか生きて来れたなと一息つくようになった。誕生日というのはそもそも自分を祝うのではなく、母親に感謝をする日だと思っており、子供ができてからは特に強く思うようになった。44歳の1年の棚卸と言えば、ほんと激動である。仕事体制も組織替えもある、大学の非常勤講師の職にもつく、その他、たくさん。自分でもよくこなしたと思う。コロナになってから、「大変」というワードを出して、「大きく変わる」ことだと言うことを何度も言っているが、その変化に対応できなければ、自分が埋没してしまうだろうと思うところだ。若いころに、大学の先生に「未分化に耐えなさい」と言われたのを思いだす。「未分化」という言葉の意味が分かりませんといったときに、帰って辞書で調べなさいと言われたが、知らないことに真摯に向き合い、理解しようとする姿勢、大切な営みであろう。45歳のスタートはさらに激動、今、やっているタスク次第では人生は大きく変わるだろうと期待と挑戦の日々が続くだろう。前向きに明るく、視界良好な明日へ向かって、謙虚に頑張ろうと思う。

 

久しぶりの交流

コロナで空いた時間

最近、久しぶりの人から声がかかることが多い。会計学者の集まりとなった。僕も非常勤ながら教壇に立つようになったので、いろんな話をさせてもらい、楽しい時間となった。会計の話もするが、雑談もする。そんな雑談もコロナ前は何等かであったりすることも多かったので、今回は久々だなと改めて思った。コロナのおかげで行きたくないなと思う酒場は行かなくて済むようになったが、やっぱりある程度の時期に会いたいなと思う人たちもいる。最近はワインも少しは飲めるようになったが、いつもより酔ってしまう。楽しい時間は酒がすすむ。たまにはそんな時間もいいだろうと思いつつ・・・。

 

1年に1度くらいは

人とは会って話すものだ

いろいろ話があって、三原へ。安定、おいしいさんで。今回、広島のじゃ割を使ったので、宿泊、夕食ついて、しかも2000円のクーポンまでついてきた。12月末までの広島県民の特典だが、今回はお安く活用できた。最近、懐かしめの人によく会うのだが、話し込むことが多い。それはそうだ、用事があって話すのだからと思うが、やはり人とは会わないといけないなと思う。オンラインも一つのツールだが、基本は対面ということか。お互いいい方向に向かうことを考えていかないといけない。

 

慶応義塾大学にて

昔の足取り

東京の街をぶらつくというには、コロナ渦中ではなかなかできないことであったが、やはり都会を歩くと、刺激もあるし、意外と新鮮である。もっとも今回は、慶応に行くことでセルフチェックもしたいと思ったわけだし、指導を仰ぎたかった。僕自身、人前で教えるようになって、どうしても僕が思うことのズレを確かめたかったし、この人ならどう伝えているんだろうと思いつつ、学ばせてもらった。幸い、学園祭、三田祭をやっていて、今回はチケット制など本来であれば、入れない中、訪問者ということで入ることができた。少しの時間であったが、三田祭ものぞくことができた。それにしても、慶応も今頃は好きになってきた。気高いプライド人が多いので、あまり好きではなかったが、独立自尊というか、何か慶応に流れる「血」というものは何か感じるものがある。また訪れたいと思う次第。