45回目の誕生日ー未分化に耐えるー

人生の稼働

誕生日が来るとどうにかこうにか生きて来れたなと一息つくようになった。誕生日というのはそもそも自分を祝うのではなく、母親に感謝をする日だと思っており、子供ができてからは特に強く思うようになった。44歳の1年の棚卸と言えば、ほんと激動である。仕事体制も組織替えもある、大学の非常勤講師の職にもつく、その他、たくさん。自分でもよくこなしたと思う。コロナになってから、「大変」というワードを出して、「大きく変わる」ことだと言うことを何度も言っているが、その変化に対応できなければ、自分が埋没してしまうだろうと思うところだ。若いころに、大学の先生に「未分化に耐えなさい」と言われたのを思いだす。「未分化」という言葉の意味が分かりませんといったときに、帰って辞書で調べなさいと言われたが、知らないことに真摯に向き合い、理解しようとする姿勢、大切な営みであろう。45歳のスタートはさらに激動、今、やっているタスク次第では人生は大きく変わるだろうと期待と挑戦の日々が続くだろう。前向きに明るく、視界良好な明日へ向かって、謙虚に頑張ろうと思う。

 

久しぶりの交流

コロナで空いた時間

最近、久しぶりの人から声がかかることが多い。会計学者の集まりとなった。僕も非常勤ながら教壇に立つようになったので、いろんな話をさせてもらい、楽しい時間となった。会計の話もするが、雑談もする。そんな雑談もコロナ前は何等かであったりすることも多かったので、今回は久々だなと改めて思った。コロナのおかげで行きたくないなと思う酒場は行かなくて済むようになったが、やっぱりある程度の時期に会いたいなと思う人たちもいる。最近はワインも少しは飲めるようになったが、いつもより酔ってしまう。楽しい時間は酒がすすむ。たまにはそんな時間もいいだろうと思いつつ・・・。

 

1年に1度くらいは

人とは会って話すものだ

いろいろ話があって、三原へ。安定、おいしいさんで。今回、広島のじゃ割を使ったので、宿泊、夕食ついて、しかも2000円のクーポンまでついてきた。12月末までの広島県民の特典だが、今回はお安く活用できた。最近、懐かしめの人によく会うのだが、話し込むことが多い。それはそうだ、用事があって話すのだからと思うが、やはり人とは会わないといけないなと思う。オンラインも一つのツールだが、基本は対面ということか。お互いいい方向に向かうことを考えていかないといけない。

 

慶応義塾大学にて

昔の足取り

東京の街をぶらつくというには、コロナ渦中ではなかなかできないことであったが、やはり都会を歩くと、刺激もあるし、意外と新鮮である。もっとも今回は、慶応に行くことでセルフチェックもしたいと思ったわけだし、指導を仰ぎたかった。僕自身、人前で教えるようになって、どうしても僕が思うことのズレを確かめたかったし、この人ならどう伝えているんだろうと思いつつ、学ばせてもらった。幸い、学園祭、三田祭をやっていて、今回はチケット制など本来であれば、入れない中、訪問者ということで入ることができた。少しの時間であったが、三田祭ものぞくことができた。それにしても、慶応も今頃は好きになってきた。気高いプライド人が多いので、あまり好きではなかったが、独立自尊というか、何か慶応に流れる「血」というものは何か感じるものがある。また訪れたいと思う次第。

紅葉も見ごろ

電車でガタンゴトン

子供用のイコカICcardを作ったので、電車に乗りたいと子供らが言う。当初は宮島に紅葉でも見ようかという話もしていたが、近ごろあまりにも忙しくて、家で休養した。ふっと思い出した三滝寺が思い浮かび、ここなら駅から近く、紅葉も楽しめると思い、ここへ行った。息子は目ざといから、三滝寺のことは知っていると思ったが、知らなかったようで、広島にはこんなところもあるんだよというのは教えることが出来た。また車で行くと、駐車場が混雑していたのもあり、電車で移動はいい選択肢であったように思う。写真でもわかるが、葉も色づき、いい紅葉が見られた。こうしたふっと息の抜ける時間は必要。子供との時間が少なくなっているので、ちょっとした旅気分にはなっただろう。

会いたかった人

いい機会に恵まれた

ラジオで出演いただいた石破茂代議士にお会いすることができた。コロナが落ち着いたら、上京して会いたいと思っており、この度、その機会に恵まれた。少ない時間であったが、いろんな話ができた。今回、石破代議士にラジオ出演していただいたときに、農業に詳しい政治家は誰だと思ったときに、イの一番で浮かんだ人である。はじめて会ったが、気さくで話しやすい先生であった。これを機にまた会いにいこうと思う。上京の楽しみが新たにできた出来事である。

まずは教育ありき

教育に携わって

まずは教育ありき。教育にかかわるというのは、人を育てることであり、人を育てることは自分の成長とも相通じる。教育で金儲けという運びにはならず、続けるための報酬はもちろんいるが、教育を通じて、利益を追求するという姿勢ではうまくいかないように思う。学生がどのように将来を描けるのか、その手助けが本当にできること、学校は手段ではなく、目的である。私財をなげうって、教育に注力した過去の偉人たちは、今の教育はどう思うだろうか。最近は教育関係のことばかりが頭を垂れる。

教科書から学ぶ

教材をどう使うか

人にモノを教えるのは性分として向いていると思う。しかし、突き詰めていくと、やはり物事を伝えることは難しいなとも思い、過去に買ってあった高校の教科書を読んでみた。よく整理がされており、これで講義をしたいくらい。そんな内容だが、すべてにわたって、いいものは取り入れていこうと思いたったわけだ。商業高校を卒業した学生には馴染みあるかもしれないが、普通科をはじめとする違う科で出た人(→僕もそうだが)には、新鮮である。研究をはじめて、多くの会計の書籍を購入するが、ここまで完成度が高いとなると、本当は使いたい。板書には十二分に活用しようとは思っているが、機会があれば、どの科目でもいいから教科書は読んでみるといい。きっといい気づきがあるはずだ。

健康診断

身体の点検

健康診断たるものというか、病院自体が好きではない。注射も怖い、何をされるかわからない、悪いものがあったとしても、知りたくないなど、とかく逃げ腰である。注射に関しては、幼少期に通った皮膚科の看護婦の影響が強い。「ガンボくん、お注射しましょう!」と呼ばれ、この言い方が嫌で嫌で、そして注射は痛い。大人になってからもトラウマがある。いずれにしても、嫌な時間を過ごさせていただいた。またバリウム、最悪である。明らかに体に良くない。とかくいいことがない、健康診断、ほんとに毎年、せにゃあいかんのかと思うんだが…と思いつつ。

久しぶりに会う

18歳くらいからの長い付き合い

いつも僕が人生で重要な時には、この先生に相談したり会うのだが、かなり久しぶりに会った。Aさんと僕、その先生とひょんな深いつながりもあって、これも人の縁。びっくりした出来事であったが、喫茶したり、歩いたりというの中で、人生の示唆を与えてくれた仲である。僕が苦しい人生を歩んできたこともよく知っているし、過去・現在・未来の中で、これほどまでに僕という個人に、根差している人も少ないかもしれない。自分の親でさえも、なぜその先生は僕にここまでしてくれるのかというくらいである。僕もほんと感謝しかない。何故か僕は指導教官たる人とは縁が薄い。ほかの先生ばかりがいつも周りにいる。声がかかるのは必ず他の先生である。そうした意味で、昔から僕はそういう星回りなのか。18歳の僕と45歳の僕、どう変化したように映っているのか、これからの僕の頑張りである。