絶対的な基礎的部分
最近、知った本だが、これはいいなと思った。高校生までに知っておきたい2000ワードのようだが、クイズのように問題があり、以下で解説している。高校国語を分析して選んだようだが、結構ハイレベルなものもカバーしているし、これは将来的に子供にもそれぞれ買い与えようと思う。おすすめ。やはり語彙が不足していると、論理といってもそのレベルの基礎的前提がないので、話が進まない。最低限、基礎的な部分は絶対的に必要と思う。子供がもう少し大きくなって、一緒に学べるときが来るといいなと思うのだが、果たしてどうなるだろうか。その時まで少しずつ学んでみたいと思う。
坊ちゃんから学ぶ
漱石を少しずつ読み直している。今回は坊ちゃん。言わずと知れた作品だが、1週間から10日で書かれたと言われる小説であるが、素直に坊ちゃんの成長小説として読めばいいと思うが、それでもなお深く考えるのは、清の存在、死というものから人生を考えるというか、その人が死んでも、受け継がれるもの(人)の中で生きるんだという命題を与えられているような気がする。そして、教壇に立つようになってから、教師の正義感とか思うこともある。漱石はやはり面白い。もう一度読み直そうと思っているが、なかなかうまく時間がコントロールできない。できるなら、少しサバティカルのような休息が欲しいなと思う今日この頃。
過去と成功
僕が言ってみたい言葉で、「もうひと花咲かせる」。この「もう」というのが味噌で、「もう」ひと花と言えば、過去に成功していることを意味する。だから僕の場合は、「ひと花咲かせる」という言葉の使用が正しいと思われ、何とかその花を咲かせてみたいと思っている。10代のころは何とか20代で、20代のころは30代でとだんだんあとになってきており、結果的に成功はしてない。何をもって成功というのかは難しいが、満足度が低いんだろうなと思う。なかなか思うようにはならないものだ。
年をとれば、楽になる
10年前の写真が出てきた。子供を背負い、仕事。役所とか外回りもこうした格好をしていた。まあ毎日ではなかったが、結構、このスタイルは好きで、もう子供もみんな大きくなったので、二度とない姿かもしれない。10年前と今であるが、もう少し年をとると楽になると思っていた。実際は、物質的にも精神的にも豊かになったとはいいがたい。懐かしい写真である。
72回目
生きていれば、72回目の親父の誕生日だ。よく金正日と同じ誕生日だと言っていた。この日より確定申告期間もはじまり、現職の時も所得税出身だったので、何か縁のある誕生日だろう。親父という人間に関しては、ほんと合わない人間で、どう思い返してもろくでもない父親だった。しかし、亡くなってから思うのは、親父よりもっとひどい人間が多くいるという現実を知り、少し株は上がった。しかし、相対的にはそうかもしれないが、絶対的にはひどかったと思っている。生きている間は、衝突ばかりしていたので、盲目的であった。まあそれでも血は地なのかと思う。静かに今日という日を過ごしたいと思う。誕生日おめでとう!
今の職業だと・・・
昔も書いたことあるが、僕の仕事で言えば、完全に逃げ遅れた。あれよあれよと逃げれなくなって、結局、立ち止まっているような感じである。会計事務所の仕事だと、確定申告時期は縛られる感じがある。期限が迫っているので、どうしても仕事をしないといけない。量も多いので、仕方ないが、それにしてもこの時期が毎年、こういう状況というのも機会損失と思えることもある。昔、さっぽろ雪まつりに行ったことあるが、たまたま連休にもなって、もう二度といけないかもしれないと思い切って行ってみた経験がある。もしもう少し有給でも取れてゆっくりできるなら、もっと違うこともできるのかなと思ったりもする。仕事があるだけありがたいのだが、人間はないものねだりである。「もし、たら、れば」ということは多い。それにしても、毎年忙しくなっているのは気のせいだろうか。
おじさんたちの行動
45歳と言えば、もう立派なおじさんだろう。月日が経てば、おじさんと言われる年になるには当然であるが、なぜおじさんたちはスナックやスタンドに行くのかというのが非常にわかる年になった。そのママを口説こうとかではなく、話を聞いてもらいたい、だから一人で行く店には一人で行き、話をする。そして適当に飲んで歌って帰る。仕事や家庭で言うに言えないこと、持ち帰れない話など、気持ちのリセットにちょうどいいのかもしれない。だからよく聞いてもらえば、飲み代は当然に払うにしても、少しケーキでもというお土産も持って行こうかと思うのではないか、ふとそう思うようになった。コロナで飲食店は閉まっているが、社交場というか、そのトポスは重要な役割を担っている気もする。これは加齢でわかったことで、若いころには分からなかった心境。僕の推論があたっているかはわからないが、この前から思うことなど。
名城を再び
改装中に言った覚えがあるので、たぶん7、8年ぶりに姫路城を訪れた。息子の城の趣味に付き合っているようで、久しぶりだなと思う場所へ再び行くことが多い。姫路城は久しぶりに行ったが、立派な城である。中に入ったにはたぶん15年前にはなるだろうが、あまり記憶がない。城に上がる道は覚えがあるが、記憶に何だから改めてということで良しとしよう。コロナ渦中だからお客さんも多くなく、ゆっくり見ることが出来た。姫路の街を一望でき、新幹線からも見える姫路城、こういう有名どころは行くようで実はあまり行かない。6階建てのスケールの大きい城だと思うので、一度、行ってほしい場所だ。広島⇔姫路でも十分、日帰りできる。
事業形態の転換
この頃はあまり呼ばれることもないが、新店のレセプションへ参加した。今、はやりの天使のわらび餅のFC事業である。女子高生がわらび餅が飲めるねというようなことを言って、それが事業化したものだとも聞いたが、スイーツははやりもあるので、これからどうなるかわからない。ショッピングモールでも出店なので、十分なイートインもある。その意味では、若い人が多く利用するだろうし、おみやげの利用も結構あるのではないかと思う。それなりにはアベレージは残すような気はする。これだけ飲食業が痛みつけられている中の挑戦を応援したい。ひとまず出店おめでとう!
何だかんだ言ってられない
コロナ、コロナと家では騒ぎ立てる。この2年、事あるとこの話になるが、いい加減にしてほしいものだ。気を付けないといけないが、過度に敏感に騒ぎ立てるのはどうか。正直、うんざりしている。僕の方は気にならないと言えばうそになるが、日常を動かさないと、収入も途絶えるし、家庭も会社も養えない、だからちゃぶちゃぶ言っている場合ではない。覚悟を決めて動いていくしかないわけで、リスクとはいつも背中合わせで生きてる。だからといって、コロナになろうと向かって生きているわけではないし、まあ困ったもんだ。うちの家族とのコロナ認識は一生、交わることはない。