高知にて

地域名産を訪ねて

1月に企画した地域ブランドを探すことを目的として、今回、高知を訪れた。5年ぶりである。当時は夏に家族旅行。一時停止違反で捕まった苦い思い出があるが、高知は有数の交通取り締まりが厳しい県らしい。ほんとわからないところに警察官が隠れており、道に不案内な人はほんと困る。危ないから注意しようねという喚起の姿勢が本来あるべき姿な気がする。さて、今回の高知。高知城やひろめ市場は行ったことあるが、夜にあちこち出たことがなかった。高知県は酒のイメージが強いが、高知ファンも多く、酒だけを飲みに来る人も多いそうだ。独特な土地柄である。グルメも酒も申し分ない。地域ブランドはなかなか面白いなと思うものもあった。やはり違う場所に行くのはいいものだなと思う週末であった。

朝時間を活用すべき

時間を創出すること

朝、用事があり、早めに家を出て、事務所に出た。その用事もすぐに終わったので、時間があるということで喫茶店で本を読んでいたが、この時間、やはりいい。勉強時間に充てる、本を読む時間に充てる、論文を書く、自分を整理するといったことをするために、時間を作ることで豊かになるようにも思う。最近、睡眠がうまくとれていない。たぶん無呼吸症候群なんだろうと思うが、十分な睡眠がままなっていないせいで、身体は疲れがちだが、やることはたくさんあるので、それをやる時間が出来るといいのではないかと思う。ちょっと生活リズムを変えようと思う。何かを変えないと人生も変わらない、そんなことを思う今日の朝だった。

 

外食をしよう

飲食店の狼煙

緊急事態宣言やまん延防止とうやらで、ずいぶん飲食店は窮屈な思いだったろう。補助金をもらい、何とかしのいだ人、それでも足りず、銀行借り入れをしてしのいだ人、補助金でウハウハという人も中にはいるだろう。僕らも外食をすることがやはり億劫になってきており、行くのは腰が重い。それでも多少は外に出て、違う雰囲気の中に自分を置き、他人としゃべることの重要さは感じるものだ。外食には家で食べられない味や空間がある(外食感のない残念な店もあるが・・・)。たまには出てみるのもいい、うまい餃子を舌鼓。ニンニク臭いと家族には言われたが・・・。美味かったな・・・、また行きたいなと思う幸せ時間。

若いものとのランチ

がっつりと

若い人とランチをすると、たっぷり腹いっぱいというのがどうも頭にあり、がっつりコースを選んでしまう。ちょっと調子にのって、若い人と同じものを頼んでみると、食べるのに一苦労。残したら悪いと思い、一生懸命食べる羽目に。結果、夜ごはんもいらないくらい腹がパンパン。やはり量は考えないといけない。もう40代半ばなので、若い人と同じようにはいかない現実。反省である。食べないと元気も出ないしねと思うが、ほどほどにしようと思うランチだった。

4月4日

母の誕生日&結婚記念日

4月4日。母の誕生日&結婚記念日である。企図して同じ日にしたのだが、昨年、結婚10年の時にはじめて花を妻に渡したら、結構喜んでいたので、送ることにした。また母にも送ることにした。母にすれば、あと何年、花を渡すことができるだろうかと思うし、妻に関しては好きでもらった女房なので、まあこの日だけはと思う。それにしても花を人にあげるということは少なくなった。花というのは枯れるからいい。また来年、花のプレゼントはしたいと思う。

桜の木の下で

そうだ!花見をしよう!

桜を見ると、久々に花見がしたくなって、わずかばかり人を集めて、花見をした。とにかくコロナで集まりにくいし、飲み会などというのはご法度である風潮の中だが、少しリフレッシュも兼ねることにした。ほんと3年ぶりに花見をやったわけだが、うまい肉を、うまい酒、そして独占の桜。こんな贅沢な時間はなかった。もうコロナ前には戻らないが、人間社会、1人では生きられない。楽しむ時間を創出して、たまにはこんな会をやりたいと思うところだ。

年度末

幼児の卒業

3/31日をもって、うちの家にも幼児を卒業し、みんな小学生になった。春休みなので、平日に陶芸教室をしていただいた。その写真である。今日まで幼児料金、ギリギリだったけれど、あてつけではない。月に一度、行っているのだが、今月は忙しくてどうにもならなかったので、妻にお願いした次第。それがたまたま今日であったのだ。子供たちが熱心に陶芸に向き合い、作品に没頭するのはとてもいい。みんな仲良く学んでほしいと思う次第。

 

坑夫を読み直す

漱石はやはり面白い

漱石でもマイナーな小説である「坑夫」。なかなか忙しくて読み進められない。島崎藤村の「春』の予定が急遽、ピンチヒッター的にまわってきて、出された小説になるが、-自分が坑夫に就ての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていなんでも分る、と締めくくられており、ルポルタージュの方法をとっている。職業というもの、青年がなぜ坑夫に堕落したかという個人的な事情を青年の事実として、<過去>を物語ることで、<動機の解剖>という記憶や意識を、否が応でも読者が向き合うことを求めている。先ほど取り上げた結語が、夢から覚めたように読者に投げかけているのは、漱石のうまさというのを感じるところである。

 

時間構成

物事を考える時間

躍らせているような時間の使い方のようで、妙に疲れる。自分がイニシアチブを取る生活にならないと、物事を冷静に判断し、将来の計画を立てるなど、心の整理整頓ができない。最近、まあバタバタは続き、右行き左行きと、てんやわんやである。時間の使い方を本気で構成しないと自分も今後困るのではないかと思う。一方で締め切りがあるものは踊らされているが、これはやはり張り合いにもなっていいのではないか。う~ん、これは今だけに始まったことではないが、時間だけはみんな平等だからできるなら充実感を味わう生活にしたいよねと思うものだ。

故郷へ

やはり特別な場所

庄原で過ごした時期は生まれてから2年弱しかないが、僕のプロフィールは広島県庄原市生まれであり、僕にとって特別な場所である。県北は心が落ち着く。やはり地の血があるというか、そういうものを感じることがある。今回、墓参りをし、僕が生まれて過ごした家の位置を教えてもらった。長屋はもう今はないが、線路沿いに家があったことはかすかに覚えている。もし庄原でそのまま大きくなったら、どうだったろうと思うこともあるが、庄原はやはりいいところだなと思う。行くのにびっくりするほど遠くはないが、行くまでにどうも遠いなといつも思うが、着くと心は近づく。戻る家がないのが寂しいが、なんかしらで庄原と接点が残りの人生で持てれば幸いなのだが・・・。小さな僕の希望である。