動いてみることでわかること
今月はとかくあちこち行ったが、ウィズコロナなのか、人の動きは間違いなく活発になっている。そんな中で観光地を巡りに巡ったが、やはり地方自治体が本腰を入れないと、観光は難しいと思える。たとえば、写真にある倉敷。倉敷と竹原を比べて、範囲とかはあるが、集まる中身が倉敷にはある。竹原(町並み保存地区)は資源があるが、もったいない感じもする。越後湯沢と西条(東広島)、もし日本酒ミュージアムのようなものがあれば、西条も集客があるかもしれないとか。越後湯沢はぽんしゅ館とか…。いろんなことを張り巡らせた。歳をとってしまったので、もうあれやこれやと出来ない。出来ないというより、絞っていく作業がいる年齢になったように思う。そう思うと、こうした地域づくりの取り組みをどうするのか、ほんと考えていく必要あるだろうなと。観光資源の創出、これからコロナ後を見据えて。
5年ぶりの催事
東京から始まったドラえもん展。岡山でやっていると目にして、終わる直前で覗くことができた。ドラえもんには目がないというか、昔から好きである。自然と足が運ぶと言えばそう。なので、5年前に東京で見たのに、やはり時の経過。忘れているのも多くある。感性を磨くことは大切な営みだ。息子と二人でみた催事を、家族で見ることができた。やはりみんな共有の時を増やしたいものだ。
夏の準備
この夏、県立広島大学での集中講義をお願いされて、打ち合わせで久しぶりに訪れた。県立広島大学で教鞭をとるのは、6年ぶりになるだろうか。今回はブランド戦略のような講義で、中身を聞くと、面白そうだ。商品が学生に与えられ、それをどうブランドを作っていくのかをグループで学習する形である。その商品の選定と一部講義、講評をすることになる。大学らしいいい内容と思う。あとは学生がどのように取り組んでくれるのか、それが課題であるが、15名の定員を大きく上回り、39名も受講生はいるそうだ。今回、楽しみな仕事をいただいたように思う。
東京にて
新潟行きの前泊で東京に1日滞在したわけだが、雨が降りしきる中、散歩した。4年ぶりに漱石記念館を訪ねた。文学館や美術館など好きなのだが、なかなか回ることができない。余裕がないのもある。心を豊かにする営みを継続していくべきだなと思うところだ。漱石再読も牛歩で進めている。漱石の軌跡をたどるのは楽しいことだ。なんとか今年、来年で樋口一葉記念館に再度行ってみたい。
年に一度の旅行
MBA時代の有志、ファイナンスを学んだ仲間と年に一度、日本のどこかに旅行をしている。2006年から続いているが、この2年はコロナで旅行も行けずで、久しぶりの開催となった。3年前に企画した新潟。広島からだと遠い。東京に前泊して、それから一路、新潟へ。なんとJRの切符を忘れるという大失態もして、てんやわんや。まあそんな中の新潟であったが、僕自身、はじめて行った土地。広大な越後平野をみながら、皆さんといろんなところを回った。2日もいると、いろんな話ができるので、旧交も深まるものだ。来年は能登へ。また元気にお会いしたいものだ。
ふと思い出した言葉
引用の織物。ロラン・バルトを思い出したわけだ。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物であるという。模倣と独創。ほんとに独自性は自分にあるのだろうか。引用の織物と検索したら、宮川淳さんの本が出てきた。僕が生まれる1年前に出版している。p117。「なぜ引用なのか。引用について考えること、それは読むことについて考えはじめることだ。読むとはアルケー(原理とか根拠という意味)、一なる全体、《本》へと送りとどけることではない。それは逆に還元不可能な複数性、くりかえしと差異について考えることでだろう」という一節があるが、くりかえしと差異。深く考える。続いて、他社への存在を記しているが、殊更、何か自分が自分であるような、ないようなそんな感覚を感じるときがある。楽しく読ませてもらった。
子どもの動機
任天堂スイッチのゲームの影響は多分にあると思うが、株式投資をやってみたいと長男が言う。株について教えてくれと僕に言ってきたので、パーソナルファイナンスってものを少し教え得ていこうと思い、テキスト購入。そもそも大学でもこうした講義をやりたいと思っているが、そのおはちは回ってこない。お金の教育は声高に言われるが、何から手を付ければとか、教え手の問題とかはいろいろ問題はあろう。しかし、大切な知識・素養である。ただ実の子に教えるというのは難しいなと思いつつ、真剣に準備もしようと思っている。さてどうなることから。このテキストからスタートがいいと思うのだが・・・。
なかなかできない経験
宇和島での楽しみは、もう一つ。真珠養殖体験ツアーである。土居真珠というところがやっている。娘たちにはもってこいの企画と思い、早くから予約した。ブローチやイヤリングを作っていたが、真珠がどのようにできて、どうように見分けるのかなど、僕のとっても新鮮なお話ばかりであった。なんでも体験をする企画はあるが、真珠養殖はなかなか出くわさない。また、宇和島に来ることがそうはないことから貴重な体験だったように思う。少しずつ子供も大きくなってきているので、あれこれ一緒に行く機会もなくなってくるだろう。大人になって思い出してほしい体験学習である。
一度は見たかった闘牛
今回、珍しく5月連休中に闘牛があるのを情報をキャッチして、早くから宇和島行きを計画していた。15年前に1度、宇和島に行って以来、もう来ることはないだろうと思っていた。晴天にも恵まれた。意外にも宇和島は愛媛と言えども遠い。広島からだと福岡や神戸の方がたぶん近い。進めど進めどという感じもありながら、車を走らせた。今回、闘牛をはじめて見れたが、迫力もあるし、一度は見るといいかもしれない。子供らもすごい怖がるかなと思ったが、そうでもなかった。全国でも闘牛をやっているところは少ないようだ。そして闘牛自体が少ないようで、大会を開くのも大変だそうだ。ひとつの町おこし。宇和島に一度はいいのではないかと思う次第だ。
子どもの人生
自分の人生に主導権を持ち、生きる。意思決定を自分でし、骨太に生きるというようなことを子どもに託しているが、息子に関してはその強い意志を感じる。ぶれないし、自分がやりたい将来に向かって生きている。そう思うと確かに親としてはたくましいが、息子に関しては自分の器をはるかに上回っており、どう育てればいいのか悩ましい。3人ともいい具合に育っていると思うが、まああれこれ考えさせてくれる。親も大変ですよと思う今日この頃。