勝ち組思考

負け犬の遠吠えか

生きていると勝ち組と負け組と人生を識別する人がいる。もしその区分に当てはめると、僕は人生、負けっぱなしのまま、人生の半分を生きた。ユングは40歳を人生の正午といったが、43歳の僕は今、人生の午後を過ごしていることになる。その午後になって、やはり殊更、思うことは人生で勝ってきた人は、人を見下したり、区別したり、説法したりと人の気持ちが分からない人が多いような気がする。だからあまり僕もインテリが集まるところにはいかない。好きではないからだ。人生はいい方がいいが、それぞれ価値観も違う。負け組にも負け組の意地がある。かつてお付き合いのあった先生も明らかに人生の勝ち組で、俺のようにやれば成功するいった方程式を解く人だった。その周りの人は幸せになったのか。僕はその人といて不幸せになったので、合わないことにしたし、没交渉にした。社会情勢が不安定の中、僕自身も生き方を問われているような気がする。もう40歳を過ぎて、考えるわけだ。残された午後に生かされた社会にどう貢献できるのかと真剣に問う毎日である。

日本語教育

20年前の記憶

かつて東京にいたころに、日本語教師の資格を取得した。留学をしたいと思っており、お金がかかるので、留学先で何かできないかと考えたら、外国語としての「日本語」を武器にしたらどうかと考えたものだ。日本文学を専攻していたので、「日本語」と「日本文学」の接点を探るということは、意義が大いにあった。またその頃は、日本語ブームと言われていた時代で、巷に雑誌などにもよく取り上げられていたと記憶する。そんな最中、この日本語教師たるものがひょっとしたら活用できることになるかもしれない。当時のいろいろはあまり覚えていないが、この前、実家の整理をしていたら、終了証など出てきたとか、なんかつながるのか。点が線になるのか。やはり人生無駄なことはない。教科書を読みなおすと、何となく思い出したような思い出せないような。20年前の僕も悩んでいた。今と変わらない。でも20年前の僕は,20年後の僕は想像できないだろう。振り返るには早いが、その後の20年は激動である。

 

 

地方議員の存在

今こそ活躍の場だ!

地域から選ばれた地方議員。コロナの危機的な状況下、今、働かずしていつ働く。ほんとそう思う。臨時議会を開いて、条例や立法をし、地方でできることをやるべきではないか。正直、落選した身からすると、こういう発言はどうかとも思うが、まったくその気配がない。知らないだけならいいが、そうではなさそうだ。自分の住んでいる地域で、街頭演説はできないにせよ、街頭に立って、意見を聞くとか(集会は今はやめたほうがいい)、そんな動きもあっていいものだ。僕なら市町村のHPに各議員への意見を集めれるようなものを作り、そこで意見を聞く。子育て、介護、医療、教育、経済・・・・、それぞれに強い人がいるんだから、そこへ向けて、陳情を聞いて、少しでも反映させたらどうか。有権者の皆さんが議員を監視する。そこで市民が主体となる社会の構築をすべきではないか。地方議員しかできないこと、条例や立法をすること。地域のこと、一番わかっている人たちじゃないか。今こそ地方議員に遮二無二、地域住民のために働いてほしいと願う次第だ。

おかしいことはおかしい!

今日から学校やるってよ

僕の住んでいる広島県。まさかの普通登校。さすがに休ませた。学校の勉強はできる先生方かもしれないが、社会常識はあるのか?ほんとそう思わざる得ない。人の命はなんだ、自己責任で片付けるのか。今回のコロナは人命を脅かす脅威である。日に日に感染が拡大し、死亡者も増えている。ブログを書いている現在、まだ緊急事態宣言もない。緊急事態宣言が出たからと言って、日本の法律では拘束力は薄いかもしれないが、さすがにこんな時期に学校やりますってことは言わないのではないか。義務教育を受けさせないのは、親の責任か。だとすれば、喜んで僕が責任取るよ。子供の命が大切だから。勉強?オンラインでやったらどう?これまでの自粛はなんだったのか。3密の極致ともいえる学校空間で、今は不安を生み出す装置でしかない。もう少し待て!もう少し考えてくれ。民意とどうもずれる気がする。もう黙っていられない。

無力なMBA

ピンチはチャンス?

コロナウィルスの影響は日に日に広がっており、負のスパイラルである。それでも日は登り、今日が来る。だからいろんな打開策を練って明日に繋げることが必要であるが、策が浮かんでこない。僕もMBAは終了させてもらった。一応は勉強したつもりである。ビジネスの種というか、こんなときに仕込んでおく、打開策となる一手を打って、状況を打破したい。そう思いつつ、何も手を打つ策が浮かんでこない。無力そのものである。そうなると、日々のことをコツコツという帰結になるが、それは当然の前提であって、それ以上もそれ以下でもない。自分の無知無学を感じるとともに、それでも進まないといけないので、知恵を総動員して考え抜き、行動したいと思う。みんな持ちこたえられるだろうか・・・。自分もそう。明るい話題の中、元気に過ごしたい。

 

身体を調べる

はじめての経験を経て

秋口からずっと突っ走ってきたせいか、身体の異変を感じ、数日にわたり、血液検査や内視鏡、CTなど診断、検査をしていただいたが、何も異常なかった。ほっとした。過労や心労かもしれない。内視鏡もCTもはじめての経験で、不安と恐怖であったが、やはりこういう検査でないとわからないらしい。40歳も過ぎれば、いろんな異変も出てくるだろうが、とかくこの数か月は体にすごく負担のあることの連続であったので、傷んでいたのだろう。コロナの件もあるから、できれば病院には行きたくなかったが、先に延ばしてもいつかくることである。やらにゃあいけんときはやらにゃあいかんのでしょう。

 

現金給付について

もう時間がない

コロナで世の中、大パニックだ。感染爆発、ロックダウン….言葉も踊る。世界中が大混乱しているが、日本もとんでもないことになっている。経済はボロボロ、ほんとどうなるんだろうか?現金給付でいくらとか、所得制限だとか、商品券、お肉券、お魚券など。いろんな案がでているが、ひとまず仮払でもいいから、一律支給すべきだ。家賃が払えない、生活費が不足しているなど、ほんと困窮している人もいるわけで、もう時間がない。一説によると、5月末にどうのこうのとか言ってる場合ではない、早く支給、手当てすべきと思う。何のためにマイナンバー制度を構築しているのか、活用すべきだし、迷っている時間がもったいない。こんなことを誰もが予想はしていなかったと思うが、あれこれ言ってる場合でもないと思う。政治家の真価も問われる。国だけではなく、地方もそうだ。先の見えない戦いに途方に暮れるが、ここはみんな力を合わせて乗り切るしかない。

クラウド会計

時代の流れか

僕も早くからクラウド会計には目をつけて、導入もして実践した。しかし、途中でやめた。なぜやめたのか。帳表がみにくい、仕訳が見えにくいといったことで、勝手が悪かった。この前、調べてみると、2016年に取り組んでいた。クラウド会計は、手軽な部分はあるが、僕にとっては複式簿記が見えにくい(裏では動いているのはわかるが)。そんなことで、足は遠のいた世界であったが、時代の流れか、ますますクラウド会計、全自動化を目指す会計の在り方が進んでいる、。ということで、逃げずに取り組んでみようと再度思い立った。たぶん当時と帳表が違うんだろうし、進化も遂げていると思うので、勉強をしてみたいと思う。時の流れは早いので、乗り遅れないように進むだけ。なんでもそう。ひとまずやってみよう!新しい幕開けだ。

 

人の器

人の領分

世の中にはいろんな人がいる。実力のある人、ない人。大きく見せたい人、目立たない人、欲がある人、ない人・・・。様々だ。かねがね僕が言っていることがあるが、やはり自分の器以上のことはやはり難しいということだ。自分の器以上でもちょっとあふれるくらいであれば、何とかやっていけるかもしれない。しかしそれ以上を求めると、メッキはすぐはげる。等身大でいい、無理しなくてもいい。それでも価値は十分にあるということ。その意味では僕は頑張りすぎない。僕も人にはよく見られたいと思うが、どう頑張っても勝てそうにな人によく会うので、自分の生きる領分を考えるものだ。自分にも戒めにもなるが、実はそうではないかといつも思う。40歳もすぎれば、妥当な考えか・・。もっと頑張るべきなのか。答えは自分自身にある。

体のメンテナンス

いい機会

10月から突っ走って生きたせいか、どうも体調がすぐれない。なので、明日、CTや内視鏡検査をすることにした。これまでやったことはないが、医者の先生もいい機会だと思いますよと言われ、ちょっと調べてもらうことにした。今日一日は、写真にあるような検査食。食べられるだけ幸せと思わないといけないんだろうが、白がゆとか食べた記憶がないくらい、はじめてかもしれない。それにしても、40歳過ぎてから体調が変化しているのがよくわかる。何もないことを祈るが、若いころと同じようにはならないと思いつつ、若いころと同じ感覚で動くことがある。ほどほどにしないといけないのだ。いずれにしても、体のメンテナンスは必要。健康でないと結局何もできないのだ。どんな偉い人もそうだ。定期的なセルフチェックの機会となるかもしれない。まだまだ健康に暮らし、社会に活躍していかないと思う次第。