分かったようで分かっていない
論文執筆中。博士号を取得してから、数年経過したが、やはり論文の精度は高まった気はしていない。人のを読めば、どうのこうのと思うが、自分のことになると、どうも盲目的なのか、甘いのかと思うことはしばしばである。論文を書くことは好きなことだが、気持ちの乗り方がどうかというのもあって、気乗りすればとことんだし、気乗りしなければ、手付かずになるしと。どう動いても大変である。論文とは何ぞやということをまたスパイラルのように、考えてしまう時間が増えた。やはり山を一度上っても、また山が出現したようなもの。終わりのない旅ということなのか・・・。
子どもの学び
夏の最後はあるぺん屋。子供だけで今回は泊まったらどう?というオーナーのご提案に甘えさせていただいた。子供にはいろんなものを体験させ、見せて触れさせてということで育て、自分で「解決力」を養っていけるようにと思っている。悲しいことに、普通で行けば親が先に死ぬわけで、子供だけになっていく。そして自分の子どもが出来、新しい家族を作るかもしれない。そんなとき、自分が幼き頃のことを少しでも思い出せば、きっと役に立つだろうし、生きる上での血や肉になるに違いない。そんな思いである。よく僕より上の人が子育てでもっとしてらればとよく聞くが、そうではなく、フルに子育てしたぜ、楽しんだぜと言えればいいなと思うのだが・・・。今回は、子供だけの合宿、いい機会になったなと。子供らの話を聞いて、心強く思った2023夏の最後。
聞く力の是非
汚染処理水が昨日、放出された。安全面では問題内のことであるが、中国はいち早く輸入を止め、漁業への影響は大きい。先日、首相が福島に行き、検討するという話だったようだが、その数日後に海水放出を決定する至るが、どうも「聞く力」というのが何なのか、よくわからない。意思決定は、いいも悪いもしていかないといけないが、「聞く」ということがなされていない気がする。つまり、情報の整理がなされた上で、相手にわかりやすく提示できる、説明できることが必要に思う。今回、漁業はきわめて悪い方向に進む気がする。今の日本に明るい話が少ないのは、とても行きにくい時代を象徴している気がしてならない。
いい話を聞かないね・・・
とかく行き詰っていると思うが、四方八方塞がりで動きがとれないというか、そんな感じで人の声が聞こえる。動きたいけど、動けないのもあるし、動きようがないというのもあるし、どうしようもないというのもある。相次ぐ物価高はほんとドロップキックのように効いている。人に活力がない。政治もドリフトしまくっている。無策のままで、なあなあで時間だけが経過し、うやむやで朝を迎える。悪化する日々、沈みゆく今を悶々として過ごす。悪い雰囲気である。それでも前へ、少しでも改善という流れを作りたいと思い、日夜考えるが、なかなか思うようにならずである。頑張れば、よくなる、幸せになるという青臭いシナリオはもう通用しないのか。あれこれ思いながら、でも明るく笑顔で過ごそうといつも思っている。元気発生装置でいたいのだが・・・。
飲むにも体力がいる
お世話になっている東広島のお店で久しぶりに一杯。職場でもあるので、あまり夜は出歩かないようにしている。あまり飲んでいる姿を人に見せるのはいいものではないので、少しずつ飲む機会は減らしている。特に、職場界隈で飲む必然性がある場合は、決まった店しか行かない。醜聞があってもいけないし。この店はもう20年以上の付き合いである。僕も勝手に大きくなったわけではない、皆さんのご支援があって、今があるというのはよく思うこと。もう少し行ってあげればと思うのだが、日ごろの忙しさもあるしということで、まあいい夜でした。
どっかに行きたいのかい?
さすがに暑いし、僕もやること満載だからというのはあまり関係ない。娘がヌマジ交通ミュージアムへ連れて行けという。だいたい電車好きの息子が言うセリフだが、自転車で遊べるので、ここがいいそうだ。そんなこんなで結局、引っ張られる。自転車は暑いので、中止になり、とても残念であったが、工作と展示で楽しんで帰ったとさ。そうこんな風な楽しみ方でも十分、面白いのだが、小さな頃からあちこち出ている子供らからすれば、外へ出ることは普通のことで、またぱっとここ行こうと思い浮かぶのかもしれない。経験なのか・・・。お金もそうはかからず、楽しめるものだ。
人の趣味にのっかって
蕎麦好きな石谷先生と一杯。今回は流川にあるあい月。広島では珍しい新潟のへぎそば。昨年、新潟に行ったことを思い出す。おいしい蕎麦でした。東京では蕎麦屋で飲むということはよくあるが、広島ではそういう機会は極めて少ない。まあ懐かしい記憶。日本人らしい感じがする。楽しい一夜だったが、遅くまで調子に乗り過ぎた。今日の朝のしんどさは加齢もあるだろうし、そろそろ自制しながら生きないと思うが、何度でも同じことをするのが僕である。
身体のなまり
さすがに今日はまだ身体がついていかない。休みに慣れたのもあるし、暑いのもあるしと何かと言い訳が続く。やはり今日、明日を休みという会社も多くあるのか、車もすいている。ただ稼働させていこうとしているのか、朝から人は良く来るなと思うところである。天候不順もあり、新幹線移動の人は大変なようだ。仕事もある人も多かったのはないか。そんなこんなで盆明けをスタート。怠けていたことを一つ一つ仕上げていかないと思うところである。
日常に戻れるのか
長い休みも終わりました。今年は1,2日長いイメージだったけど、結局あれやこれやとすることは多く、あっという間に時が過ぎたなという感じがする。子供らもやはりアクセントがつくようにと思いながら、僕も考えたが、今年はあれこれしたぞ!と我ながら思っているが・・・。僕も見たいものも見れたし、勉強になった。今度は椅子の上でコツコツ書いていかなければならない。生みの苦しみがまた始まる。夏がそろそろ終わる。
人文学の農業
最近のことだが、農業地理学という学問があることを知った。農業および農業に関連する事象を地理学的見地で考察すると言ったものだが、地理的なものから農業を見るのはわかるが、それを経済的に、あるいは経営的に見ていこうとする学問領域の拡張もあるようだ。少し地理もみていこうと手にしたのがこの書籍。息子と一緒に読んでいるが、なかなか面白い。農業を違う視点で見るというのも斬新である。