2020年 の投稿一覧

公職選挙法

経験者は語る

広島選挙区選出のK夫妻の公職選挙法疑惑のニュースが取り上げられる。コロナがなければ、かなりワイドショー、ニュースで取り上げられているに違いない。かつて僕の候補者をやったから、公職選挙法にはかなり神経を注いだ。今回、問題になっている運動員の報酬は、15,000円までとなっているが、法定通りの支給しかしていない。当時も安いとは思ったが、新人の僕は特に目をつけられえているだろうと考えていたし、僕の理念に賛同してくれた人が支援してくれたので、金額云々はまったく問題はなかった。また選挙民への年賀状の禁止や選挙事務所の湯茶以外の飲み物の禁止(実際、珈琲も入れさせなかった)など徹底した。たとえば、来年3月に選挙があり、年末に有権者に年賀状を出すのは禁止である(これも順守した、違反している候補者がいれば、選管へ)。今の時代と公職選挙法はマッチしているとは思わないが、やはりルールである以上、飲まざる得なかった。今回、全国をにぎわしている問題は、それが報道通り本当であれば、やはり失職になるだろう。政治家はなぜ、政治家へなったのだろう?初心を忘れず、地域、市民、国民などのために、社会に貢献してほしいものだ。

大学の差

危機対応

僕は大学というところには何か所も通わせていただいたし、学術研究などから大学とのかかわりはある方だと思う。今回、いろんな大学を見て、お粗末な学校、素晴らしい対応、学校の差がはっきり出ている。事務局の対応なんかははっきりわかるものだ。ダメな学校はほんとひどい。今回、素晴らしいと思ったのは、慶應義塾大学SFC(https://www.sfc.keio.ac.jp/news/014513.html?fbclid=IwAR27DRlDmbH8m7uqn7I4llLrKihAx2pymVs7RevyNapjJWs-lUMfAp2mb3c)良ければ、サイトを覗いてほしい。

 

新入生・在学生のみなさんへのメッセージ

環境情報学部長 脇田 玲

家にいろ。

自分と大切な人の命を守れ。

SFCの教員はオンラインで最高の授業をする。

以上。

という短いメッセージだが、十分に伝わる。親になって特にわかるが、こういう学校なら、一生懸命働いて学費出したいと思う。生活が苦しくても。一方で、こんな学校なら行かせたくないという学校も明確に分かった。これは大学にある風土や文化が露出したと思える。大学もいち早くオンラインを導入し、なんとか暗中模索の中、頑張る学校。ただ延期ということで指をくわえている学校・・・。役務の提供をしないのなら、学費は返すべきと思う。皆さんはどういう学校にいたいのか。これからは変化に対応ができる学校が生き残る。大学が過剰な中、どうするのか。僕はこういう危機的な状況化、対応をどうするのかを冷ややかな目で見ていたい。

 

困難の中にどう立ち向かうか

それでも前に進まないといけない

僕は人間ができていないので、なかなかその境地までたどり着けない。その境地とは何か。今の状況化、これからのアフターコロナに備えて、今、十分に力を蓄え、よくなったときに飛躍できる体制を作る。努力を今こそすべきだということ。漱石にしろ、ロンドン留学で。鷗外も小倉左遷で。苦境の時に踏ん張ったし、自分自身と格闘したわけだ。今、そんなときなのかなと思う。前向きにならないといつも思うが、毎日毎日、コロナのことで世の中暗い話ばかりである。だからこそと思うが、そうならないのも人間の姿なのか。いずれにしても長期戦が予想される。つまり、やるしかない。思いを新たに思う次第。文学はやはりいろんな示唆を与えてくれる。

 

確定申告

1か月延期した確定申告

明日でようやく確定申告が終わる。若干猶予を与えるようなことを言うが、一応、区切りである。今年はしんどく忙しかった。1か月確定申告は伸びたが、法人の申告は延長はない。またまたコロナであるが、感染拡大を防ぐという意味で確定申告を延ばすのは英断かもしれない。しかし、本当にそのことで困って時期を延長し、それを活用した人がどれだけいたのかのは検証すべきと思う。会計事務所の現場からは、やはり管理がちゃんとできていない人が延期を逆手にしたようにも思う。今年は終わった感のない確定申告業務であったが、さすがに年々、きつくなってきている。歳を重ねたのもあるが、年々、税制改正によって複雑になり、頭を使うことが多くなってる。頭がついていくのかなといつも思うのだ。皆さんも自分の事、よく調べてるし、まあ怖い仕事だとつくづく思う。

イベントの中止

夏も秋も

コロナ影響はどこまで進むのか。僕も各種相談続き。自分もかなりの不安。眠れなくなってきている。今日はイベント。僕の仕事であるイベントも全くできないので、非常に困っている。露天商の仲間たちもほんと困っているに違いない。先日、青森のねぶた祭りの中止の記事を見たが、秋に開催される長崎くんちも中止のようだ。毎年、10月にある西条酒まつりも中止の方向らしいし、広島フードフェスティバルもその方向らしい。正式発表はされていないが、たぶんそうなるのではないか。飲食店も半減するのではないかと言われている。弁当や仕出しに活路を求めているが、いつどうなるかわからない情勢から財布のひもは固くなる。ほんとどうなるの?って思うし、やけくそにもなりそうだ。もう少ししたら、「もういいや!普通に生きる」といって、自粛をやめ始めるかもしれない。この閉塞感、吹き溜まりはたまったものではない。さすがに毎日、毎日の話なので、気が滅入る。イベントもどこかでやらないと思うが、いつから始められるのか。平時の日常がどれだけ幸せだったのかと思うところである。

 

最終講義

近代の相克

かつて在京時に、教えを請うていた小森陽一先生。東大ではなかったが、いろんなところに講義をされていたので、僕はよく授業を聞かせてもらった。東京から離れる時に、食事に誘ってくださった。今の閉塞感と気分転換に文学でもと思ったところ、やはり小森陽一先生のことが思い浮かんだ。たまたまYOUTUBEで最終講義がUPされていたので、視聴した。もう退官したのかという時の流れと、当時と同じ切れ味ある講義だった。人を引き込む講義に魅了され、また同じテクストを読んで、なぜこうも「読み」が違うのか。確かに100人読めば、100通りの答えがあると思うが、僕の頭脳ではそこへたどり着かない。それにしても、僕に影響を与えている・与え続けている先生であることは間違いない。何かと忙しくて、最終講義(退官)は気づきもしなかった。それももう一年前の話だった。是非、参加したかったなと思う後悔もある。何かこの閉塞感、近代の相克を向き合っているような気分で、文学に心の救いがあるのではないかと思っている。どこかでまた講義を聞きたいものだ。そして、僕も教壇に立つときは、分野は違えど、このような講義をしたいと思う。

内部留保

節税か内部留保か

やっぱりコロナの話か....。どうしても話題の多くがコロナの影響がどうだのああだのっていう話になり、今日は暑いね、寒いねとかいうような、日ごろであれば、カープが勝った負けた、強い弱いなどと同じようなコミュケーションなのか。当分、ここからは逃げられそうにない。会計事務所に身を置く人間としては、毎日のようにその悩み。やはり「お金」である。つなぎ融資といっても、希望者殺到。5月末から6月初めにもなると聞く。今・すぐという緊急性と相反する現実。多くの倒産が予想される。それは他人ごとではなく、自社もそうなるかもしれない。私の住む広島県は、2年前に豪雨災害に見舞われた。その時も多くの資金を注入し、企業は踏ん張ってきたが、それもまだ半ばというところにコロナである。広島県においては、そうした事情もあり、相当無理な融資も応じたらしい。そうなると、今回、厳しい情勢は間違いないが、支援はできるのか。銀行も経営がある。儲かったときに、節税といってお金を使うことが果たしてどうなのか。利益を出して、納税。すべては取られない。こうした方がお金は残ると言っても、税金の納付は嫌なものである。税金の使われ方に皆さんがよく思ってないんだろう。節税カ内部留保か。危機的な状況の中、再度、自社に問うといいのではないか。

著者 :
唯学書房
発売日 : 2015-10-10

勝ち組思考

負け犬の遠吠えか

生きていると勝ち組と負け組と人生を識別する人がいる。もしその区分に当てはめると、僕は人生、負けっぱなしのまま、人生の半分を生きた。ユングは40歳を人生の正午といったが、43歳の僕は今、人生の午後を過ごしていることになる。その午後になって、やはり殊更、思うことは人生で勝ってきた人は、人を見下したり、区別したり、説法したりと人の気持ちが分からない人が多いような気がする。だからあまり僕もインテリが集まるところにはいかない。好きではないからだ。人生はいい方がいいが、それぞれ価値観も違う。負け組にも負け組の意地がある。かつてお付き合いのあった先生も明らかに人生の勝ち組で、俺のようにやれば成功するいった方程式を解く人だった。その周りの人は幸せになったのか。僕はその人といて不幸せになったので、合わないことにしたし、没交渉にした。社会情勢が不安定の中、僕自身も生き方を問われているような気がする。もう40歳を過ぎて、考えるわけだ。残された午後に生かされた社会にどう貢献できるのかと真剣に問う毎日である。

日本語教育

20年前の記憶

かつて東京にいたころに、日本語教師の資格を取得した。留学をしたいと思っており、お金がかかるので、留学先で何かできないかと考えたら、外国語としての「日本語」を武器にしたらどうかと考えたものだ。日本文学を専攻していたので、「日本語」と「日本文学」の接点を探るということは、意義が大いにあった。またその頃は、日本語ブームと言われていた時代で、巷に雑誌などにもよく取り上げられていたと記憶する。そんな最中、この日本語教師たるものがひょっとしたら活用できることになるかもしれない。当時のいろいろはあまり覚えていないが、この前、実家の整理をしていたら、終了証など出てきたとか、なんかつながるのか。点が線になるのか。やはり人生無駄なことはない。教科書を読みなおすと、何となく思い出したような思い出せないような。20年前の僕も悩んでいた。今と変わらない。でも20年前の僕は,20年後の僕は想像できないだろう。振り返るには早いが、その後の20年は激動である。

 

 

地方議員の存在

今こそ活躍の場だ!

地域から選ばれた地方議員。コロナの危機的な状況下、今、働かずしていつ働く。ほんとそう思う。臨時議会を開いて、条例や立法をし、地方でできることをやるべきではないか。正直、落選した身からすると、こういう発言はどうかとも思うが、まったくその気配がない。知らないだけならいいが、そうではなさそうだ。自分の住んでいる地域で、街頭演説はできないにせよ、街頭に立って、意見を聞くとか(集会は今はやめたほうがいい)、そんな動きもあっていいものだ。僕なら市町村のHPに各議員への意見を集めれるようなものを作り、そこで意見を聞く。子育て、介護、医療、教育、経済・・・・、それぞれに強い人がいるんだから、そこへ向けて、陳情を聞いて、少しでも反映させたらどうか。有権者の皆さんが議員を監視する。そこで市民が主体となる社会の構築をすべきではないか。地方議員しかできないこと、条例や立法をすること。地域のこと、一番わかっている人たちじゃないか。今こそ地方議員に遮二無二、地域住民のために働いてほしいと願う次第だ。