睡蓮を見よう

目の保養

豪雨がなければ、葉っぱも色づくことはなかったのかと思うが、きれいな睡蓮を見ることができた。一番下の娘だけがついてきた。たまたまTVで見たのをきっかけに行ってみようとかなと思ったわけだが、こうした時間がやはり取りにくい。睡蓮を見ることいいことだが、道中に子供と話をすることが大切な時間のように思う。なぜこのように自分に余裕がないのか、あれこれ雑多のことは山積しているわけだが、今の傾向はとてもよくない。時間を作る強制力、いわゆる「何もしない」時間の創出もいるのかもしれない。

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