アドバイスを人に求めること

 

やってもらった結果を「ただ」でもらおうとする?

激変の社会では経営にしてもそうだが、アドバイスを人に求めたいものだ。何か糸口を探り、好循環に持っていきたい。今を打開したいと思っている。だから打開策を知るために、自分が解決に導いてくれる人に相談する。しかし、そのアドバイスはおおよそ空手形。時間の無駄にはならないか。時間の無駄というのは、それをやらない人が多いからだ。やるかやらないか、それを考えている時間がもったいないにもかかわらず、やらない言い訳を探す。だから最初から求めなければいいのにと思う次第だ。やった結果を楽に得ようとする行為。そんなに世の中甘くないよと思うところだ。僕もよくわからない未分化の社会をやってみることで、いいも悪いも判断する。答えがあってはじめるものとそうではないものもある。今、やっているラジオもYOUTUBEもそうである。だからどうなるかわからないけど、やってみて検証。人の識別がよくつく。識別というのは、事を起こせる人かそうではないかという意味の識別だ。自分自身はどうであろうか。コロナ禍、じっくり考える時間が少ないように思う。とにかく動き、新たな世界を構築するしかないだろう。

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