オレンジジュースなくなる?
先日、日本農業新聞でこのような記事がでた。オレンジ果汁不足である。世界的な果汁不足と物価高騰が背景であるが、国産の機運とも言えない。農業の後継化不足などによる脆弱化を考えると、外国産が駄目だから国産にという安易な移行にはならない。すなわち、少しずつオレンジジュースも手の届かない品物になるのか。日本は貧しい国になっている。円安も止まりそうにない。政府サイドはインバウンドの機運で、経済は活性化していると思うのかもしれないが、国内では物価高騰である。賃上げは大手だけであり、中小企業は倒産がますます増えるだろう。政治の混沌は収まりそうにない。目を覚めることのない今、我々はどこに向かうのか。難破船、オレンジの記事はいろいろ考えさせられるものであった。
資材高止まり続く
今日の日本農業新聞の1面である。農業の倒産が最多更新だそうだ。負債が100万円から5000万円がもっとも多いようである。スタートアップに多額の資金を要する。農業は単価が低いものを売り、商売をするのだから回収という観点ではなかなか厳しい。そして気象の問題や生産物の育成と考えると、不安定な要素もあるので、計算通りにはなかなかいくまい。資材の高騰もボディブローのように効いてくる・・・。農業は人間生活の根幹を担う「食」であり、大切な産業である。これをどうとらえるか。保護が手厚いのか薄いのかなどいろいろ議論はあろう。しかし、こういう記事をみると新たな担い手が出てくるのだろうか。別の産業を職業に選んでいくのではないかなど、やはりいろいろ思うことは多々。価格転嫁・・・、これは当然ではあろうが、賃上げ?さあどうなるんでしょう?
ほんと「謙虚」なのか
一応、専門はと聞かれると、「農業会計学」と答えているが、その農業会計学は、農業経済学の一端から派生しており、その一部として考えていい。僕の立場からすれは、社会科学で育ってきたと思うが、最後は自然科学の農学部出になるわけで、ほんとどっちつかずで生きているのは間違いない。そのどっちつかずの僕が先日読んだ「農業経済学の意義」で違和感を感じざるを得ない。謙虚という言葉が果たして適切なのか。中身を読むと意味はわかる。「本質的な構図をシンプルな概念で提示するのが農業経済学の役割」、「能動的に日本の農業を内外に発信することが重要である」ということは理解できる。果たしてそれが「謙虚」なのか。ぱっと言葉が浮かんではこないが、「謙虚」ではない。そんな所感を得た記事であった。
時代への対応
昨日であるが、日本農業新聞にこんな記事が出た。地域づくりや農業をテーマとした入試問題が多く採用されたとのこと。農業高校であると、農業の科目が用意されているので、知識としてあるかもしれないが、普通科の高校で学んでいると、知らない可能性も高い。しかし、農や食という部分は人間生活の根幹であるので、それを知る、学ぶという点では必須であるものの、入試問題で多用されることを考えると、普通科の高校でもこうした科目の用意は必要かもしれない。高校教師には興味があるが、なにせ教員免許がない。特別免許状というのもあるが、うまくそれが回避できるのなら、活躍の場が僕にもあるかもしれない。そう思いながら、時代に僕の領分がマッチし始めた気もする記事であった。
日本三大和牛
日本農業新聞を購読しているが、はっきり言えば読むところはほとんどない。たまに読むべき記事も出てくることから、取っている。今日の記事は教養的なものであるが、へっ~と思ったのであるが、日本の三大和牛である。松坂、神戸・・・、あと一つと言い江波、米沢か近江のようだ。いつどこで定義されたのか、またどんな理由で言われるようになったのかはわからないようだ。岩手県の奥州市に牛の博物館たるものがあるらしい。そんなことも知らずして、どうも三大和牛と言っても、数を数えれば4つ。そう考えると、米沢も近江もどちらかがもれるよりは、あいまいであるが、競い合ってよりよいものを後世に続けていく方が好ましいかもしれぬ。そんな所感。牛肉が食べたくなったな~。
今年も終わりました
年々、学生の学力の低下を感じながら講義をしています。一応、今年も無事大学の講義が終わりました。僕が使用している教科書も味が出てきた。コアな部分をしっかり学べるという確信もでき、ほんといい教科書を選べたように思う。しかし、これで理解できているのかどうか、やはりもう少し詰めたいところ。やっぱりわからないよりわかった方がいいよね、そう思うけどな、会計学は役立つよと思うので、僕も講義をブラッシュアップしていきたいと思う。
ブロッコリーの指定野菜の追加
現在の指定野菜はキャベツ、キュウリ、サトイモ、ダイコン、玉ねぎ、トマト、ナス、ニンジン、ネギ、白菜、ジャガイモ、ピーマン、ホウレンソウ、レタスの14品目があるが、じゃがいも以来、52年ぶりの指定野菜の追加になる運びだそうだ。指定野菜となれば、農林水産省が需給ガイドラインを策定し、出荷団体や生産者がそれに基づき供給計画を作成することで安定供給に努める。特定野菜に比べて、価格が下落した際に生産者に支払われる補助金も手厚くなるのだが、ブロッコリーは指定野菜ではないんだと思ったものだ。どうも県や市町村の支援野菜は見るのだが、国の指定は盲目的であった。改めてみると、サトイモ?とか思うものもあるが、52年ぶりということは極めて画期的?異例?、そんな印象である。
考えさせられる内容
僕自身が「農村たたみ論」という言葉に初めて遭遇したかもしれない。田園回帰や田舎暮らしもあるが、最終的に財政問題が大きく、結局は都心部への移住に繋がる議論になる。農村、集落ががなくなると、経済的には善という考えである。一方で、農村、中山間地域における多面的機能や公益的機能ということもあるが、バランスよくという形が極めて難しいと考え、財政負担はできない=農村たたみ論に繋がるのだろう。何か人間生活がギスギスしたものとなり、胸が引き締められる記事であった。農業の行方は一体どこに?そんな受け止めをした。
採点の時期
この時期になると、採点をする必要がある。僕自身が大学は論文を書きに行くところだという信念があるので、レポートを課している。しかし、レポートの精度が低く、1年生ということを加味しても厳しいなというのが印象。来年からその「信念」は捨てないといけないかもしれない。自分の与えられたコマではそこまで教えるのは、時間的にも無理。今回、この本を見つけて頼んでみた。最初は失敗してもいいから、作法がいるよと思うのだが・・・。あとあと自分が困ることになるので、僕は行っているのだが、伝わっていない気もする。常勤の先生にそこら辺はお任せして、コマに徹しようかと3年目で思い始めた。
| 慶應義塾大学出版会 発売日 : 2014-10-21 |
考える力
共通テストの振り替えで岡山に講義へ。だいたい正月明けまでにレポートを学生に提出させる。1年生のレポートだから、出来不出来もあるが、まず「出来ない自分と向き合う」こと。孤独のレッスンと言えば、格好がいいかもしれないが、そんな格闘を望み、そこから出た言葉に期待している。しかしながら、語彙力、教養の低下を年々感じる。つまり論理だの、思考だのと言う前に、その素養がないため、ファンダメンタルなところが欠けているから、前へ進まない。詰め込み教育がということも言われるが、ドリル的に漢字や単語、計算などの訓練が必要ではないかと思う。今どきの大学生を見ると、自分の子供が受けている教育、親から子への教育など考えること、満載なのである。大学は論文を書きに行くところだと僕は思っているので、レポートを通じて、思うこともたくさんある。さて、採点という仕事が僕には待っているな~。